作品№32

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弁証法とは?

今回の作品は、「絶対弁証法」です。哲学好きの方であれば、「弁証法」という単語にピンと来ていると思いますが、みんながみんな哲学好きというわけではありませんので、軽く「弁証法」の説明をしておきます。

難しい話しは抜きにして、簡単な例を挙げましょう。定番なのは、カレーうどんの話です。「カレーライスが食べたい人」と「うどんが食べたい人」がいて、さて、カレーうどんのどっちを作ろうかとなった時に、間をとってカレーうどんを作ろう。これでwinwin 、仲良し継続みたいな感じです。

一見すると、これはとても良い答えであるようにも思えます。お互いの良いとこどりをしているようです。でも実際のところ、カレーライスが食べたい人は、ライスとカレーの組み合わせに意味があるわけで、うどんが食べたい人も、おそらく麺とだしの組み合わせに醍醐味を感じていますから、麺だけ残されても肝心のだしがなければ意味がない。だから本当は、これって何の解決にもなっていないんです。

要するに、これは間違った弁証法の使い方といえます。

ヘーゲル的な弁証法

これに対して、弁証法をもう少し深く突き詰めた人の考え方はこうです。カレーうどんというのは、ただの妥協案に過ぎないから、winwin ではない。Winwin というのは、お互いが心底納得しあうものでなければならない。

カレーライスうどんの両方を満足させるもの、じゃあ、それは何なのか?残念ながら、今の私たちには分からない。答えはあるはずなんだけど、私たちはまだそれを知らない。たとえば、今の人類が宇宙や海底についてほとんど何も分かっていないのと同じように、私たちの知識はまだその段階に達していないのだ。

逆にいえば、その段階に達することが出来れば、私たちは進化した人類になれる、そしてその進化した先に待っているのは、真理の世界なのだ、みたいな。これはかなり極端な例ですけど、大体のイメージはこんな感じです。

この世にある相反する両者、すなわち矛盾を一つずつ解決していくことで、より高みの存在を目指していく、ヘーゲル的な弁証法だとこうなります。

ヘーゲルとは?

ヘーゲルというのは、19世紀に活躍したドイツの哲学者で、五本指に入るといっても過言ではないくらい、超大御所の人物です。

そんなにすごい人がいっているなら、たしかにその通りなんだろう、と私みたい凡人は思ってしまうわけですが、実はこのような弁証法に対して、批判というとニュアンス的に語弊があるのですが、異を唱えた日本人がいます。

清沢満之という浄土真宗の僧侶です。詳しい内容は後回しにして、さらにそれを論理として発展させたのが、西田幾多郎に代表される「京都学派」と称されるグループ。作品のタイトルになっている、「絶対弁証法」というのも、京都学派がしばしば用いていた言葉でした。

それでは、彼らは一体ヘーゲルの弁証法のどこに問題点を感じていたのか?この話を続けるには、先ほどのカレーうどんの例えでは役不足なので、もう少し具体的な例を挙げます。

当時の時代背景

まず、京都学派が活躍していた当時の時代背景は、第二次世界大戦の戦前・戦中です。つまり、極端にいうと、お国のために死にましょう、こんな雰囲気が漂っていた時代。

ここでは、死にたくないと思っている個人と、国のためにと思っている国家が対立し合っている状態です。こんな時に、先ほどの弁証法の理論が用いられるとどうなるでしょう。個人としては、死にたくない、と思っているけど、それは自分が無知だから、本当の真理を知らないからそう思い込んでいるだけで、実はwinwin なんだよ、本当は国のために死んだ方があなたのためになるんだよ、という方向に話を持っていけちゃうんです。

もちろん、逆のパターンもあります。お国のためにっていってるけど、本当は自分たちが死なない方がwinwin なんだよ、と。でも普通に考えて、国家個人だったら、力関係は絶対国家の方が上ですから、どちらの言い分が通るかというと、国家の言い分ですよね。

弁証法の欠点

で、先ほどの話しに戻りますけど、清沢満之京都学派が弁証法を批判したのも、イメージとしてはこういうことなんです。弁証法って、結局どちらかに偏っちゃうんです。中間とは言いつつ、どちらかが必ず主導権を握っている

カレーうどんの話にしても、カレーライスを食べたい人とうどんを食べたい人、このどちらかが、じゃあカレーうどんを作ろうって提案して、もう一人の方が、それいいね、みたいな感じで乗っかる。普通の会話はこんな流れですよね。

言葉を交わさずとも、二人共気が付いたらカレーうどんを作っていた、なんてドラマみたいなことは現実にはないわけで、どちらかが提案して、もう一人の方がその提案に乗っかるか反対する。まぁこの例えだと少し分かりにくい気もしますが、大体のイメージが伝われば幸いです。

絶対弁証法

で、大事なのは、京都学派の方々が弁証法に変えて、どのような結論を導いたか?ということですね。それが絶対弁証法。ここでは、意見の反する両者が、一致する答えを目指すのではなくて、意見の違う二人が対話すること、ここに重点を置きます。

対話を通して、自分と違う価値観の人がいることを知る。また相手の意見も聞いてみることで、自分はカレーライスがいいけど、うどんにはうどんの魅力があるな、と感じる。つまり、意見の一致じゃなくて、違いを尊重する、ということですね。だから絶対なわけです。

自分は絶対にカレーライスが好き、自分は絶対に死にたくない、これは絶対に変わりません。相手がどれだけ理論武装をしてきても、それは絶対に揺るがない。でも、だからといって相手を完全にはねのけるわけでもない。相手の意見も聞いて、絶対に一致することはないけど、それでも対話を重ねて行こう、この対話すること自体に意味があるから。

まとめ

今回は長めの解説になっちゃいましたので、最後に少しまとめておきましょう。まず、私が思う弁証法でもっとも大事なポイントは、対話を通じて、自分と相手との違いを知ること。専門的にいえば、矛盾に直面する、ということ。そしてこの矛盾を解消する、これが弁証法だと考える人も多いんですけど、現実には、矛盾なんて解消出来ないわけです。

もっというと、解消する必要もないはずです。自分にとって都合の良いことが、相手にとっても都合が良い、そんなことはまずありませんから。自分ではwinwin と思っていても、相手はきっと忖度してくれているはずです。

これを強引に同じ価値観に一致させようとすると、かえって争いになるだけです。矛盾っていうのは、ある意味では世界の構造そのものでもあるわけです。特に、絶対矛盾的自己同一という言葉が私は好きなんですけど、西田幾多郎さんの代名詞ともいえる言葉です。

世界は矛盾なんだ。そしてその矛盾を解消するのではなく、自覚していく。そのためには、対話が大事である。西田さんの弟子高山岩男さんは「呼応の原理」という本で、この対話のことを呼応と呼びました。

呼応、呼んで応える、このことによって矛盾を自覚していこう、というわけですね。だから、単なる弁証法ではなくて、絶対弁証法。弁証法には始まりがあって、ゴールがありますが、絶対弁証法は対話そのものですから、どっちが始まりでどっちが終わりとかはありません。

つまり、どっちがとかとかいう優位性も生まれません。この絵で描いているのは、まさにそのような世界観なのです。黄色、どちらかの色に染まるのではなく、かといってばらばらに存在しているのでもない。手を取り合っている、ということです。

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