日本建築-外国人居留地

2025年10月3日

日本建築-禅宗様

時代背景 禅宗の伝来 12世紀末、栄西によって日本に禅宗がにもたらされました。禅宗では、これまでの仏教とは教義や儀式も異なるため、僧の生活や建築も変化していきます。 禅宗:仏教の教えを直接実践することで、真実を見出すことを目指します。基本的な修行としては、座禅が挙げられます。 14世紀頃までには、確固たる地位を築き上げることに成功しました。その背景には、得宗政権*や室町幕府が、既存の権門体制に代わる宗教勢力として、禅宗寺院に焦点が当てられたということがあります。得宗政権や室町幕府の支援を得て、禅宗は広く普 ...

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2025年10月3日

西洋建築-古代ギリシャ

時代背景 ドリス人の侵略 紀元前1100年頃、北方から南下してきたドリス人によって、先住のイオニア人やアルカディア人などが駆逐されました。 ポリスの形成 その後、紀元前800年頃には、村落を中心とした小さな都市国家ポリス*が形成され始めます。 ポリス:一定の地域に住む人々が、政治的・社会的な共同体を形成し、共同で自らの生活を統制する政治組織のことです。 しかし、あくまでもこの都市国家は、単に人々が集まり住んだものに過ぎず、都市として整備されたものではありませんでした。 古代民主政の誕生 ポリスは当初、農業 ...

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2025年10月3日

日本建築-室町

時代背景 南北朝時代 鎌倉幕府による長期政権は、200年以上に渡りました。しかし14世紀に入ると、幕府内部に対立が生じるようになります。そして1333年、後醍醐天皇が幕府に反旗を翻して、建武政権を開きました。 建武政権:後醍醐天皇の直轄支配下にある新たな政治体制。天皇としての権威を回復し、幕府を打倒することを目的としました。 建武政権の初代天皇となったのは、後醍醐天皇の皇子である光明天皇です。しかし鎌倉幕府の滅亡を実現できぬまま、建武政権は1348年に崩壊します。そして、建武政権崩壊後に成立した北朝には、 ...

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2025年10月3日

西洋建築-古代ローマ

時代背景 小さな村落から始まったローマ市 紀元前753年に誕生したローマ市は、最初こそ小さな村落に過ぎませんでした。 ヨーロッパ全域へ領土を拡大 しかし、紀元前5世紀末までにはエトルリア*などの周辺都市国家を、紀元前3世紀中頃までには南イタリアのギリシャ植民都市を支配下に置き、紀元前1世紀末には地中海沿岸全域をほぼを手中に治めます。 エトルリア:古代イタリア半島に存在した文明です。紀元前8世紀から紀元前3世紀にかけて栄えました。 異国文化を吸収 領土の拡大は、エトルリア文化や植民都市経由での古代ギリシャ文 ...

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2025年10月3日

西洋建築-アール・ヌーヴォー

背景 新様式の準備 19世紀末、産業革命によって工業製品の生産が増え、大量生産や機械化が進む中で、人々の間に単調で機械的なデザインに対する反発が生まれていました。その代表格がアーツ・アンド・クラフツ運動です。彼らは手作りを重視することによって、自然の美しさや個性の再評価を図りました。 アーツ・アンド・クラフツはこの記事で解説 》建築-アーツ・アンド・クラフツ アーツ・アンド・クラフツ運動は、その理念こそ前進的であったものの、しかし中世主義という性格から、近代化と言える段階にまでは至れませんでした。その代わ ...

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前の様式

時代背景

日米和親条約

1853年、日本とアメリカとの間で「日米和親条約」が結ばれると、日本近海への西洋船の来訪が増加しました。しかしこの条約にはアメリカ有利の条項*が盛り込まれていたため、日本側の不満は高まって行きます。

アメリカの船が日本の港に寄港する際、日本の法律や手続きを拒否することができました。また、アメリカ船の乗組員が日本人に対して犯罪行為を行った場合でも、アメリカの法律が適用されるという条項が盛り込まれていました。

これに対して、幕府は自国の主権を守るために「異国船打払令」を出しました。この法令は、外国船が日本の領海に侵入した場合には、その船を攻撃して撃沈することを許可するものでした。

幕府はこの法令を厳格に執行し、アメリカの船も含め、多数の外国船を打ち払います。かくして鎖国を貫く一方、アメリカをはじめとする欧米諸国による日本への圧力は強まって行きました。そんな中、国内でも「開国派」と「攘夷派」に分かれてしまいます。

開国派は、主に貿易や技術の導入などを通じて、日本の国力を高めることを目指していました。彼らは、幕府がこれまで取ってきた鎖国政策によって、日本が世界の中で取り残されてしまっていることに危機感を持ち、西洋諸国との接触を進めることで、日本の国際的な地位を向上させることができると考えたのです。また、西洋の文化や制度を学ぶことで、日本の文化や制度の改良や近代化を進めることも狙っていました。

一方の攘夷派は、幕府が外国との接触を深めることで、日本が自国の主権を失うことを危惧していました。彼らは外国との交流を拒絶し、外国人の排斥を主張することで、日本の独立性を守ることができると考えます。また攘夷派の中には、西洋文明やキリスト教が日本の伝統文化や価値観を脅かすものであるという考え方を持っている者もいました。

しかし、1842年の「アヘン戦争」によって清がイギリスに負けると、幕府も西洋諸国の脅威を認めざるを得なくなります。その後、欧米列強との間で次々と不平等条約が結ばれていくと、開国派が優勢になって行くのでした。

1868年の明治維新によって幕府が倒れ、新政府が発足すると、開国政策は本格化します。明治政府は、欧米列強との条約改正や新たな不平等条約の締結を進める一方で、技術や文化の導入、新たな法律制定などを行い、日本の近代化を進めることに成功しました。

特徴

1858年、日米修好通商条約が締結されると、幕府は長崎・神戸・横浜・函館・新潟の開港を許可しました。それに伴い、欧米の貿易商が大挙して日本に押し寄せます。彼らは、自らの優位な立場を活かし、眺めのよい場所に住居を構えたり、高いインフラ整備を要求しました。かくして、異人街が誕生したのです。

長崎

すでに江戸時代の頃から外国との窓口だった長崎が、開港地としての先陣を切ります。

旧香港上海銀行長崎支店

旧英国領事館

グラバー邸

横浜

幕府としては、日本人と外国人の接触によるトラブルを避けたいという思いがあったため、居留地を僻地に築こうと考えました。その舞台として、横浜が選ばれました。

横浜税関

兵庫

日本の重要な都市(大阪・京都)と近接していたため、外国の影響をいかに抑えるかという問題が生じました。さらに、大政奉還や鳥羽伏見の戦いなどもあって、開港・インフラ整備は大幅に遅れます。そして開港しても居留地が完成していないという状態でした。そのため、居留地外での雑居が認められ、特殊な町が形成されます。

北野異人館街

神戸居留地15番館

参考文献

日本建築史講義|著.海野聡|学芸出版社

建物が語る日本の歴史|著.海野聡|吉川弘文館

建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会

日本建築様式史|監修・太田博太郎|美術出版社

西洋建築史年表

日本建築史年表

2025年10月3日

西洋絵画−フランス・新古典主義絵画

舞台 フランス 革命期からナポレオン時代にかけてのフランス。ナポレオンは絵画を、自らの理念の「プロパガンダ」として活用しました。そのため、絵画は記録的な意味合いを強めます。 背景 軽快なロココに対する反動 18世紀後半、「快楽主義的」で「感覚的」なロココ様式に対する反動として、美は表面的なものでなく「崇高」なものであると考える傾向が強まります。 崇高さを追求 そして、「装飾趣味」や「官能的な裸婦像」に代わって、「形而上的な内容」や「簡素で壮大な形態感覚」を備える古典美術が範とされました。 特徴と画家 相次 ...

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2025年10月3日

西洋絵画−イタリア・バロック

舞台 イタリア 16世紀後半のイタリア、おおよそ芸術活動の低迷期に入っていました。しかし、カラヴァッジョの活躍によって、ローマで新たな盛り上がりを見せます。その後、カラヴァッジョ様式は国際的な広がりを見せました。(本記事では、イタリアに比較的近しい展開を見せたフランドル・スペインも一緒に取り上げます) 背景 宗教改革に対抗するカトリック教会 カトリック協会の免罪符を直接のきっかけに、「宗教改革」が勃発。離れていった信者の心を取り戻すため、カトリック教会は「反宗教改革」に乗り出しました。 分かり易さを武器に ...

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2025年10月3日

西洋絵画−北方ルネサンス

舞台 アルプス以北 イタリアでルネサンスが盛り上がりを見せていたその頃、アルプス以北の国々でも独自の流れが形成されていました。イタリア・ルネサンスと区別して、北方ルネサンスと呼ばれます。 背景 市民階級の台頭 15世紀のフランドル地方では、「毛織物工業」と「国際貿易の振興」に伴って「市民階級」が台頭して来ました。 ありのままを描く それに呼応するように、「風景画」や「風俗画」なども受け入れられるようになります。 イタリア・ルネサンスでは「古典美」を理想の範としたのに対し、北方ルネサンスは自然や人間の姿を「 ...

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2025年10月3日

絵画−野獣派〈フォーヴィスム〉

著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」・「非営利目的」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 フランス 産業革命以来、急速な進歩によりもたらされた「世界の拡大化」は、多種多様な芸術運動の下、「専門化」・「分化」を押し進めました。そんな中で、新しい視覚体験が模索されます。そして、色彩の面で大きな変革が起きたのはフランスでした。 背景 野獣派結成のきっかけ ...

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2025年10月3日

西洋絵画−ドイツ表現主義

著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 ドイツ これまでフランスに押され気味であまり活躍の場がなかったドイツでしたが、遂に自国を始点とする芸術運動の波風が立ち始めます。というのも、「近代化」を急激に進めて行ったドイツでは、それだけ社会に対する不満も生まれやすく、「苦しみを表現する画家」たちを産むには最適な土壌だったか ...

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-日本建築史