2025年6月24日
西洋建築-ドイツ表現主義
背景 第一次世界大戦 1914年6月28日、オーストリア皇太子夫妻がセルビアの首都ベオグラードで暗殺されるという事件が起こります。これをきっかけに、オーストリア=ハンガリー帝国はセルビアに宣戦布告しました。そしてオーストリア=ハンガリー帝国の後ろ盾となっていたドイツも、この戦争へ参加することになります。 当初のドイツは、急速に発展し、経済的・軍事的な力を蓄えていたため、早期に勝利すると楽観的に考えられていました。しかし戦争の泥沼化によって戦況は逆転し、最終的には敗戦という結果を迎えます。 敗戦後のドイツ ...
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2025年6月24日
西洋建築-ウィーン・ゼツェッション
背景 ハンガリー帝国の情勢 ウィーン・ゼツェッションは、1903年にオーストリア=ハンガリー帝国*の首都ウィーンで結成されたグループです。オーストリア=ハンガリー帝国は複数の民族や国家が集合した多民族国家であったため、深刻な民族問題を抱えていました。 ハンガリー帝国:中央ヨーロッパにかつて存在した帝国。現在のハンガリー、スロバキア、クロアチア、セルビア、ルーマニア、ウクライナ、オーストリアなどの地域を含んでいました。ハプスブルク家の君主がハンガリー王位を兼ねていたことから、オーストリア=ハンガリー帝国とし ...
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2025年6月24日
西洋建築-デ・ステイル
背景 第一次世界大戦後 第一次世界大戦後、各国の経済は混乱し、人々の価値観や生活様式も変化しました。ストライキやデモなども行われるようになり、社会変革が急務となります。これは戦争に参加しなかったオランダにおいても例外ではありませんでした。 オランダは、中立を守ることによって国内の平和を維持しようとしました。しかし周辺諸国の経済的混乱や政治的変化の影響を受けないわけには行かず、大量の難民や貧困層、失業者などを抱え、経済的・社会的な不安定さが続きます。そんな中、社会主義的な政策や労働者の権利擁護が唱えられるの ...
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2025年6月24日
日本建築-密教
時代背景 仏教と政治 この時代、仏教は政治と深い関係にありました*。また、寺院は政治的・官僚的な組織を形成していました*。そのため、寺院が勢力を強めて行くに従い、政治を左右する存在になって行きます。時には天皇位の簒奪さえも企てられました。かくして、政治に対する仏教の影響は看破できないものとなっていくのです。 仏教と政治:仏教伝来の当初、僧侶は天皇家に仕え、国家を守護する役割を担っていました。そのため、天皇家や貴族から保護を受けるようになります。彼ら政治権力者たちの思惑は、仏教を利用して自らの権威や権力を確 ...
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2025年6月24日
西洋建築-ドイツ工作連盟
背景 アーツ・アンド・クラフツの影響 1907年、イギリスで始まった「アーツ・アンド・クラフツ運動*」の影響が、ドイツでは、「ドイツ工作連盟」の結成として表れます。彼らは、産業生産において芸術的な要素を取り入れることが重要であると信じ、芸術と工業の融合を目指しました。 アーツ・アンド・クラフツ運動:工芸品の制作において、芸術と工業を融合させることを目指した運動 アーツ・アンド・クラフツ運動では、手工業や小規模な工場に焦点を当てていた*ため、大量生産には対応できないという欠点を抱えていました。これに対し、ド ...
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前の様式
時代背景
日米和親条約
1853年、日本とアメリカとの間で「日米和親条約」が結ばれると、日本近海への西洋船の来訪が増加しました。しかしこの条約にはアメリカ有利の条項*が盛り込まれていたため、日本側の不満は高まって行きます。
アメリカの船が日本の港に寄港する際、日本の法律や手続きを拒否することができました。また、アメリカ船の乗組員が日本人に対して犯罪行為を行った場合でも、アメリカの法律が適用されるという条項が盛り込まれていました。
これに対して、幕府は自国の主権を守るために「異国船打払令」を出しました。この法令は、外国船が日本の領海に侵入した場合には、その船を攻撃して撃沈することを許可するものでした。
幕府はこの法令を厳格に執行し、アメリカの船も含め、多数の外国船を打ち払います。かくして鎖国を貫く一方、アメリカをはじめとする欧米諸国による日本への圧力は強まって行きました。そんな中、国内でも「開国派」と「攘夷派」に分かれてしまいます。
開国派は、主に貿易や技術の導入などを通じて、日本の国力を高めることを目指していました。彼らは、幕府がこれまで取ってきた鎖国政策によって、日本が世界の中で取り残されてしまっていることに危機感を持ち、西洋諸国との接触を進めることで、日本の国際的な地位を向上させることができると考えたのです。また、西洋の文化や制度を学ぶことで、日本の文化や制度の改良や近代化を進めることも狙っていました。
一方の攘夷派は、幕府が外国との接触を深めることで、日本が自国の主権を失うことを危惧していました。彼らは外国との交流を拒絶し、外国人の排斥を主張することで、日本の独立性を守ることができると考えます。また攘夷派の中には、西洋文明やキリスト教が日本の伝統文化や価値観を脅かすものであるという考え方を持っている者もいました。
しかし、1842年の「アヘン戦争」によって清がイギリスに負けると、幕府も西洋諸国の脅威を認めざるを得なくなります。その後、欧米列強との間で次々と不平等条約が結ばれていくと、開国派が優勢になって行くのでした。
1868年の明治維新によって幕府が倒れ、新政府が発足すると、開国政策は本格化します。明治政府は、欧米列強との条約改正や新たな不平等条約の締結を進める一方で、技術や文化の導入、新たな法律制定などを行い、日本の近代化を進めることに成功しました。
特徴
1858年、日米修好通商条約が締結されると、幕府は長崎・神戸・横浜・函館・新潟の開港を許可しました。それに伴い、欧米の貿易商が大挙して日本に押し寄せます。彼らは、自らの優位な立場を活かし、眺めのよい場所に住居を構えたり、高いインフラ整備を要求しました。かくして、異人街が誕生したのです。
長崎
すでに江戸時代の頃から外国との窓口だった長崎が、開港地としての先陣を切ります。
旧香港上海銀行長崎支店
旧英国領事館
グラバー邸
横浜
幕府としては、日本人と外国人の接触によるトラブルを避けたいという思いがあったため、居留地を僻地に築こうと考えました。その舞台として、横浜が選ばれました。
横浜税関
兵庫
日本の重要な都市(大阪・京都)と近接していたため、外国の影響をいかに抑えるかという問題が生じました。さらに、大政奉還や鳥羽伏見の戦いなどもあって、開港・インフラ整備は大幅に遅れます。そして開港しても居留地が完成していないという状態でした。そのため、居留地外での雑居が認められ、特殊な町が形成されます。
北野異人館街
神戸居留地15番館
参考文献
日本建築史講義|著.海野聡|学芸出版社
建物が語る日本の歴史|著.海野聡|吉川弘文館
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
日本建築様式史|監修・太田博太郎|美術出版社
西洋建築史年表
日本建築史年表
2025年6月24日
西洋絵画−クールベ=マネ
舞台 フランス 第二帝政期、パリの都市改革を始め、社会構造の大きな転換があったフランス。都会人の新しい生活様式などが誕生しました。 背景 産業革命・資本主義の時代 19世紀後半、いよいよ「産業革命」の成果が浸透し始め、かつ「資本主義」の波風が立ち始めました。 近代への突入 「科学技術の飛躍的な進歩」・「都市部への人口集中」・「階級対立の激化」・「西欧の世界進出に伴う異文化交流」などが、人々の日常生活に大きな影響を与えます。 近代絵画の始まり 絵画においては、クールベやマネといった近代絵画の創始者によって、 ...
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2025年6月24日
西洋絵画−フランス・ロココ
舞台 フランス 絵画史の中でも、特にロココは時代区分の難しい様式です。そもそもロココとバロックの区分を認めない説もあります。そのため当ブログでは、ロココの特徴が最も顕著に現れている、フランスで展開されたロココのみを取り扱います。 背景 絶対王政に陰りが見え始める 「太陽王ルイ14世」は、神から与えられた王権の行使者としての役割を演じることの出来た「最後の王」でした。 それというのも、1715年に彼が他界すると、その絶対王政にも陰りが見え始め、「貴族等の側近勢力が台頭」して来たからです。 太陽王からの開放 ...
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2025年6月24日
西洋絵画−フランス・バロック
舞台 フランス 太陽王ルイ14世が主権権を握る「絶対王政期」のフランスもまた、芸術の舞台となりました。自国の土壌で独自の様式を形成して行きます。 背景 フランスへ輸入 イタリア起源のバロックは、国境を超えてフランスにも広がりました。 伝統を守るフランス しかしフランスでのバロックは、主に前時代様式の否定として展開されて来た各地のバロックと異なり、「古典主義」的な傾向を保ちます。 それというのも、古典尊重のルイ王朝は「古代ローマを美術の範」としたからです。 王立アカデミーの設立 また、王立アカデミーの存在に ...
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2025年6月24日
西洋絵画−オランダ・バロック
舞台 オランダ 16世紀末、「プロテスタント」勢力の強かったフランドル地方の北部にて、「スペイン領からの独立」を果たした新教国、オランダが誕生しました。 背景 イタリアからオランダへ輸入 イタリア起源のバロックは、国境を超えてオランダにも広がりました。 プロテスタントの国 オランダ共和国として独立を果たし、「東インド会社等の国際貿易」により、目覚ましい「経済発展」を遂げたオランダは、その経済力を背景にオランダ独自の「市民文化」を繁栄させていました。 「プロテスタントの国」であったオランダでは、「教会よりも ...
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2025年6月24日
西洋絵画−フランス・新古典主義絵画
舞台 フランス 革命期からナポレオン時代にかけてのフランス。ナポレオンは絵画を、自らの理念の「プロパガンダ」として活用しました。そのため、絵画は記録的な意味合いを強めます。 背景 軽快なロココに対する反動 18世紀後半、「快楽主義的」で「感覚的」なロココ様式に対する反動として、美は表面的なものでなく「崇高」なものであると考える傾向が強まります。 崇高さを追求 そして、「装飾趣味」や「官能的な裸婦像」に代わって、「形而上的な内容」や「簡素で壮大な形態感覚」を備える古典美術が範とされました。 特徴と画家 相次 ...
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