西洋建築-ドイツ工作連盟

2025年11月18日

日本建築-神仏習合

時代背景 6世紀前半、朝鮮半島を通じて中国からの文化が日本に伝来し、やがて日本独自の文化が形成される中で、神道と呼ばれる民間信仰が発展しました。そして神祇体制が敷かれることによって、神道は国家宗教となります。 一方で、7世紀には中国から仏教が伝来します。異なる教義や儀式を持つ仏教は、当初は神道との対立を避けられないと思われました。しかし8世紀後半頃になると、神道と仏教の間には相互の影響が生じ、信仰の融合が進んでいきました。神社においても仏教的な儀式や仏像が導入され、仏教寺院においても、神道的な信仰や神社に ...

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2025年11月18日

西洋建築-アーツ・アンド・クラフツ

背景 分業体制の始まり 19世紀後半のイギリスでは、産業革命によって工業化が進み、工業製品の需要も高まっていました。それに伴い、機械による大量生産や標準化が進む一方で、工芸品や手仕事の価値は低下していきます。 モリスが立ち上がる 機械的かつ分業的な生産方式を強いられる現状に、一人の男が声を挙げました。我らがW・モリスです。彼は機械による大量生産や標準化に反対し、手仕事や伝統工芸品の価値の再評価を図ったのです。 彼は芸術を労働における人間の悦びの表現であると主張しました。そして物作りの労働が悦びと感じられる ...

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2025年11月18日

西洋建築-ロマネスク

背景 カロリング帝国の建国 768年には国王として、800年には皇帝として君臨したカール大帝は、カロリング帝国*の永華を築きました。その支配域は、現在でいうフランス・ドイツ・イタリアに及びます。そしてカール大帝の下で、文化・経済・宗教が発展し、また教育・行政などの制度も整備されました。 カロリング帝国:8世紀から9世紀にかけて、フランク王国を統一し、大きな領土を支配したフランク王朝の王族であるカロリング家によって建国された帝国。 カロリング帝国の分裂と西洋社会の混乱 しかしカール大帝の死後、カロリング帝国 ...

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2025年11月18日

日本建築史年表

縄文・弥生|日本の先史時代を通じて、人々は竪穴住居で生活し、何棟か集まって集落を形成していました 竪穴住居 高床式倉庫 飛鳥・奈良(寺院)|7世紀後半に入ると、遣唐使が頻繁に派遣され、唐の建築様式が導入されました 法隆寺 薬師寺 飛鳥・奈良(神社)|仏教建築の対抗馬として、神社建築も台頭して来ました 唯一神明造 大社造 住吉造 神仏習合|神社と寺院が結ばれることによって、新たな形式が生み出されました 日吉大社 密教|山岳信仰と結びつき、山林に寺院が建てられました 三仏寺投入堂 空海 最澄 浄土教|極楽浄土 ...

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2025年11月18日

日本建築-縄文・弥生

時代背景 移動生活 縄文時代は、狩猟・採集の社会です。季節ごとに、動物の移動や植生の変化を追いかけながら、河川の周辺や台地の縁辺部で食べ物を獲得し生活していました。 農耕によって定住が可能に 弥生時代に入り、水稲農耕が広まっていくと、移動生活(狩猟・採集)から定住生活(農耕)へと変化しました。この変化による建築的な変化は、たとえば、場所選びに現れます。これまでは水被害を避けて、台地や丘陵が選ばれていたのに対し、水田に水を引くために水の便が良い場所が好まれるようになったのです。 貧富の差が生まれる 農耕文化 ...

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前の様式

背景

アーツ・アンド・クラフツの影響

1907年、イギリスで始まった「アーツ・アンド・クラフツ運動*」の影響が、ドイツでは、「ドイツ工作連盟」の結成として表れます。彼らは、産業生産において芸術的な要素を取り入れることが重要であると信じ、芸術と工業の融合を目指しました。

アーツ・アンド・クラフツ運動:工芸品の制作において、芸術と工業を融合させることを目指した運動

アーツ・アンド・クラフツ運動では、手工業や小規模な工場に焦点を当てていた*ため、大量生産には対応できないという欠点を抱えていました。これに対し、ドイツ工作連盟は大量生産技術にも注目します。製品の機能性や実用性を考慮しながら、芸術的なデザインによって製品の価値を高めることを目指したのです。

アーツ・アンド・クラフツ運動の理想は、職人たちが手作りで製品を作り上げることで、製品に個性・一回性が反映されることでした。一方大量生産の場合では、デザインが統一されることになります。

この背景には「第二次産業革命」がありました。「量産の時代」とも呼ばれるこの時期に突入して以降、工業製品の生産が大量化され、生産性が飛躍的に向上したのです。その要因としては、蒸気機関や内燃機関、電力などの発明が進んだこと、鋼鉄・アルミニウム・プラスチックなどの新しい素材が発明されたこと、移民の増加や都市部からの人口流入により、工業労働者の確保が容易になったことなどが挙げられます。多くの人々にとって工業製品身近な存在となった今、大量生産は無視できない状況だったのです。

特徴

機械との共存

これまでの芸術運動においては、基本的に機械は敵対視されていました。たとえばアール・ヌーボーでは、手工芸にこだわるあまり、機械を全否定します、しかし、それはかえって時代から取り残されることになりました。

そこで機械との共存を図ろうという試みが現れ始めます。それが「ドイツ工作連盟」です。彼らは、何のためらいもなく機械を肯定し、むしろ「機械様式」を自らの様式とすることで、現代工業デザインの先駆けとなることに成功しました。「建築部材の規格化」や「大量生産」を、芸術面での強みに変えたのです。

造形・表現

彼らは工芸の革新から出発し、作品に「合理性」と「単純性」を求めました。「形のための形」に意義を認めず、「即物性」を造形の指導標としたのです。そしてその技術革新は、工場建築から始まりました。工場建築はその性格からして「経済性」と「生産性」を第一に考える建物であったため、「機能的なデザインの追求」・「合理的な材料の選択」・「文化的伝統の排除」が容易に行えたからです。

鉄・ガラスによる構成・装飾の排除

AEGタービン工場|P・ベーレンス

出典:berlinhbfより引用

P・ベーレンスは、鉄骨トラスの大架構を用いることで、巨大なガラス面の外壁を実現しました。また「付加的な装飾」は一切取り除かれました。

工業生産と造形の一体化を具現

ファグス靴工場|W・グロピウス、A・マイヤー

ベーレンスの下から独立したグロピウスは、主要な外壁を「カーテンウォール」にしました。当時の持てる技術が反映されているのが分かります。

カーテンウォール:建物の外壁にカーテンのように張られた外装材(主にガラスやアルミニウムなどの軽量材料を用いられる)によって、その建物を覆う外装構造のこと。

参考文献

西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会

建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会

西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社

美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社

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西洋建築史年表

日本建築史年表

2025年11月18日

西洋絵画−イタリア・バロック

舞台 イタリア 16世紀後半のイタリア、おおよそ芸術活動の低迷期に入っていました。しかし、カラヴァッジョの活躍によって、ローマで新たな盛り上がりを見せます。その後、カラヴァッジョ様式は国際的な広がりを見せました。(本記事では、イタリアに比較的近しい展開を見せたフランドル・スペインも一緒に取り上げます) 背景 宗教改革に対抗するカトリック教会 カトリック協会の免罪符を直接のきっかけに、「宗教改革」が勃発。離れていった信者の心を取り戻すため、カトリック教会は「反宗教改革」に乗り出しました。 分かり易さを武器に ...

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2025年11月18日

西洋絵画−ドイツ表現主義

著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 ドイツ これまでフランスに押され気味であまり活躍の場がなかったドイツでしたが、遂に自国を始点とする芸術運動の波風が立ち始めます。というのも、「近代化」を急激に進めて行ったドイツでは、それだけ社会に対する不満も生まれやすく、「苦しみを表現する画家」たちを産むには最適な土壌だったか ...

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2025年11月18日

西洋絵画−立体派〈キュビズム〉

著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 フランス 産業革命以来、急速な進歩によりもたらされた「世界の拡大化」は、多種多様な芸術運動の下、「専門化」・「分化」を押し進めました。そんな中で、新しい視覚体験が模索されます。そして、「形態」と「構成」の面で大きな変革が起きたのはフランスでした。 背景 感覚派から知性派へ 野獣 ...

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2025年11月18日

西洋絵画史年表

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2025年11月18日

西洋絵画−新印象主義

舞台 フランス 印象派に続き、フランスが芸術の中心地として君臨しています。 背景 印象派の乗り越え 時代の寵児であった印象派も、1886年には最後の展覧会を迎え、いよいよ批判と反省の対象として乗り越えられる存在になります。 物の形を犠牲にした印象派 「分析的な手法」を得意とした印象派は、物の「形態感」や「存在感」を失ってしまうという欠点を抱えていました。 新たな活路 印象派の色彩理論に共感しつつもこの弊害を重く見た後代の画家たちは、ここに新たな活路を見出します。 特徴と画家 求めすぎた理想 印象派は「光の ...

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-西洋建築史