2026年9月30日
日本建築-飛鳥・奈良(寺院)
時代背景 仏教の伝来 六世紀半ば頃、仏教が百済から日本に伝来*しました。その教えが持ち込まれると同時に、それを体現する場として寺院建築が必要になり、それに由来して仏教建築の新技術が持ち込まれます。 聖明(百済の王子)は、日本の皇室との外交関係を深めるために、日本に渡来し仏教を伝えたとされています。 仏教を受け入れるか、拒否するか ただ、仏教は満場一致で受け入れられた訳ではありませんでした。いわゆる、「排仏派」と「崇仏派」に分かれます。 国際情勢に明るい蘇我氏は賛成 主に「崇仏」を主張したのは、渡来人勢力と ...
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2026年9月30日
西洋建築-古代ギリシャ
時代背景 ドリス人の侵略 紀元前1100年頃、北方から南下してきたドリス人によって、先住のイオニア人やアルカディア人などが駆逐されました。 ポリスの形成 その後、紀元前800年頃には、村落を中心とした小さな都市国家ポリス*が形成され始めます。 ポリス:一定の地域に住む人々が、政治的・社会的な共同体を形成し、共同で自らの生活を統制する政治組織のことです。 しかし、あくまでもこの都市国家は、単に人々が集まり住んだものに過ぎず、都市として整備されたものではありませんでした。 古代民主政の誕生 ポリスは当初、農業 ...
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2026年9月30日
西洋建築-ドイツ表現主義
背景 第一次世界大戦 1914年6月28日、オーストリア皇太子夫妻がセルビアの首都ベオグラードで暗殺されるという事件が起こります。これをきっかけに、オーストリア=ハンガリー帝国はセルビアに宣戦布告しました。そしてオーストリア=ハンガリー帝国の後ろ盾となっていたドイツも、この戦争へ参加することになります。 当初のドイツは、急速に発展し、経済的・軍事的な力を蓄えていたため、早期に勝利すると楽観的に考えられていました。しかし戦争の泥沼化によって戦況は逆転し、最終的には敗戦という結果を迎えます。 敗戦後のドイツ ...
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2026年9月30日
西洋建築-フランス・ルネサンス
背景 フランスの近代化 ルネサンス期のフランスは、政治的・経済的・文化的に大きな発展を遂げました。先頭を切ったのはシャルル8世です。彼はフランス軍を再編成し、新しい兵器を導入して戦力を強化し、財政改革を実施して経済を活性化させました。そしてブルターニュを併合することによって、フランスの領土を拡大しました。また、イタリア遠征*も行いましたが、こちらは失敗に終わります。そして、彼は28歳にして、この世を去ってしまうのでした。 シャルル8世のイタリア遠征:シャルル8世は、ナポリ王国の領土をめぐってイタリアの諸都 ...
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2026年9月30日
日本建築-浄土教
時代背景 末法思想の流行 平安時代には密教が広まり、仏教の信仰はますます篤くなっていった一方で、「末法思想」というものが流行していきます。 末法思想:釈尊の教えが失われていき、正法の世界から像法の世界を経て末法になっていくという考え方で、それは釈尊入滅後1500年から始まるとされていました。 浄土への憧れ 当時の人々にとって、末法時代の到来は、ある意味「世界崩壊」を意識させるものでした。そして、現世にもう望みがないのなら、あの世での幸せを願おう、と人々は強く願うようになります。その拠り所となったのが「極楽 ...
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前の様式
時代背景
仏教と政治
この時代、仏教は政治と深い関係にありました*。また、寺院は政治的・官僚的な組織を形成していました*。そのため、寺院が勢力を強めて行くに従い、政治を左右する存在になって行きます。時には天皇位の簒奪さえも企てられました。かくして、政治に対する仏教の影響は看破できないものとなっていくのです。
仏教と政治:仏教伝来の当初、僧侶は天皇家に仕え、国家を守護する役割を担っていました。そのため、天皇家や貴族から保護を受けるようになります。彼ら政治権力者たちの思惑は、仏教を利用して自らの権威や権力を確立することでした。かくして僧侶自身も、政治的な力を持って行くのです。
寺院の官僚化:仏教は、釈迦が説いた教えを広めるために、弟子たちによって伝承され、各地に広がっていきました。しかし、それぞれの地域で伝承された仏教の教えや儀式が異なることが問題となり、その統一が求められるようになります。そして権威や地位を持つ者たちを中心に、仏教の組織化が進められることにより、官僚的な組織が形成されるのでした。
仏教の排除
こうした背景のもとで即位した桓武天皇は、社会の安定のためにも、仏教勢力を政治から排除する使命を自らに課しました。しかし、すでに京内に根付いている寺院を一新することは不可能であり、その打開策として、彼は遷都*を決断します。そして、新しい都の中には寺院を持ち込まないという方法をとるのでした。
遷都:首都を現在の位置から別の場所に移すこと
山岳での密教が始まる
かくして、平安京では寺院の建立が禁じられましたが、仏教そのものが禁止された訳ではありませんでした。平安時代初期には、朝廷は唐に遣唐使や学僧を送り込み、最澄・空海がそれぞれ密教を持ち帰ります。彼らによって、天台宗・真言宗が開かれ、また霊山信仰や修験道とも結び付き、日本独自の密教が発展しました。
特徴
現世利益
奈良時代の仏教の役割は「鎮護国家」、すなわち国を守ることでした。しかしそこから変質して、自己の現世のご利益に対する要望が強まっていきます。それらの願望と密接に関係する密教*がパトロンを集めるようになりました。
密教は、世俗的な欲望や感情を否定するのではなく、それらを肯定し、むしろそれらを利用して修行することを提唱しました。
恒久的な繁栄や長寿を求めるのは、世の権力者の常です。それ故、貴族層が密教に傾倒するのも自然の流れでした。彼らはパトロンとして、自分自身への見返りを期待して、真言や天台の寺院をつくっていきます。
山岳寺院
しかし桓武天皇の意向により、平安京内には基本的に寺院を建立することができなかったため、密教寺院は山岳地に寺地を求めました。そして奈良時代以前からあった山岳信仰と密接に絡んで、山中に寺院をつくっていきます。
これは実際、修行を重んじる密教にとっても都合の良いことでした。最澄は京の東にある比叡山に延暦寺を開き、空海は京から遠く離れた高野山に金剛峯寺を開きます。また新しい仏教であることを強調するために、奈良時代の主要な寺院建築とは違う文化を築いていきました。
造形
密教では主に「修法」といわれる宗教儀式を執り行い、貴族・皇族などは、このご利益を一番にあやかろうと考えます。彼らは寺院の重要なパトロンであったために、修法の場に隣接して礼堂と呼ばれる参列の空間が設けられることとなりました。
修法:自己の内面を深く探求することで、悟りを開き、人生の目的や意味を理解する。密教では主に、呪文・マントラ・ヨーガ・瞑想・儀式などの要素を組み合わせて行われます。
参列の空間が設けられる
宝生寺金堂
俗人が仏堂の近くに参列し、ご利益にあやかれるよう、梁間方向に建築が拡大していきます。
建物を目立たせる必要がなくなる
平安京では宗教的な要素は排除され、また密教は俗世から離れた所での修行を求めたため、山林寺院がつくられます。山中ではあまり高低は目立たず、そのため高い塔を建てる必要も薄まります。
宝生寺五重塔
出典元:るるぶ&more.
また、敷地の制約がある山岳寺院では、これまで重視された伽藍配置もそれほど意味を持たなくなりました。一応、比叡山全体の伽藍配置の計画もありますが、あくまでも建てられる場所に建てる、という構成になっています。
「修行の場」としての寺院
三仏寺投入堂
都市部では人々の目をひくことを意識して作られていたのに対し、僧の修行の場としての意味が強くなりました。その気持ちは、都において仏教が形骸化され、華麗な阿弥陀堂が建立される堕落ぶりに反発する形でますます強まり、まさに修行そのものを体現するような寺院も作られました。これは「懸造」と言われます。
多宝塔
石山寺多宝塔
都城に建てられた塔は、基本的に同じ平面を積み上げる構成ですが、多宝塔は上下で違う形を取ります。また、塔は通常「三重塔・五重塔・七重の塔」のように、奇数の屋根を重ねますが、多宝塔は二層からなります。
曼陀羅などを使用して、密教世界を表現
曼荼羅
仏舎利を収める建築から、密教世界の表現へと役割を変えました。建築の荘厳をするときに用いられます。
参考文献
日本建築史講義|著.海野聡|学芸出版社
建物が語る日本の歴史|著.海野聡|吉川弘文館
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
日本建築様式史|監修・太田博太郎|美術出版社
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西洋建築史年表
日本建築史年表
2026年9月30日
西洋絵画−立体派〈キュビズム〉
著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 フランス 産業革命以来、急速な進歩によりもたらされた「世界の拡大化」は、多種多様な芸術運動の下、「専門化」・「分化」を押し進めました。そんな中で、新しい視覚体験が模索されます。そして、「形態」と「構成」の面で大きな変革が起きたのはフランスでした。 背景 感覚派から知性派へ 野獣 ...
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2026年9月30日
西洋絵画−北方ルネサンス
舞台 アルプス以北 イタリアでルネサンスが盛り上がりを見せていたその頃、アルプス以北の国々でも独自の流れが形成されていました。イタリア・ルネサンスと区別して、北方ルネサンスと呼ばれます。 背景 市民階級の台頭 15世紀のフランドル地方では、「毛織物工業」と「国際貿易の振興」に伴って「市民階級」が台頭して来ました。 ありのままを描く それに呼応するように、「風景画」や「風俗画」なども受け入れられるようになります。 イタリア・ルネサンスでは「古典美」を理想の範としたのに対し、北方ルネサンスは自然や人間の姿を「 ...
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2026年9月30日
西洋絵画−ヴェネツィア派
舞台 ヴェネツィア ローマで盛期ルネサンスが盛り上がりを見せていたその頃、東方とヨーロッパを結ぶ貿易で富を蓄積したヴェネツィアでは、別のルネサンスが誕生していました。一般に、ヴェネツィア派と呼ばれるものです。 背景 裕福な市民が誕生 ヴェネツィアでは、教会や市当局だけでなく、富裕で教養ある個人からの注文も盛んになりました。 個人受けする作品が流行 彼らは、伝統的な物語の著述よりも「感覚的な魅力」を要求します。 そのため、主題の重要性以上に、「鑑賞者が満足する」ような作品が好まれました。 特徴と画家 鮮やか ...
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2026年9月30日
西洋絵画−ドイツ表現主義
著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 ドイツ これまでフランスに押され気味であまり活躍の場がなかったドイツでしたが、遂に自国を始点とする芸術運動の波風が立ち始めます。というのも、「近代化」を急激に進めて行ったドイツでは、それだけ社会に対する不満も生まれやすく、「苦しみを表現する画家」たちを産むには最適な土壌だったか ...
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2026年9月30日
西洋絵画−印象派
舞台 フランス フランス美術は西洋絵画史の主要舞台の座を確立しました。イギリス風景画の伝統もスペイン画家ゴヤの系譜もフランスに吸収され、オランダ画家ゴッホもこの地での修行を得て覚醒しました。 背景 印象派展の開催 1874年、モネ・ルノワール・セザンヌ・ドガ・ピサロらによって、展覧会が開かれました。 彼らの作品に共通して見られる「スケッチ的な作風」から、この展覧会に集まった彼らは総称して、「印象派」と命名されることになります。 多様性に満ちた印象派グループ しかし実際のところ、彼らには明確な意味での共有さ ...
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