2026年9月30日
西洋建築-アール・ヌーヴォー
背景 新様式の準備 19世紀末、産業革命によって工業製品の生産が増え、大量生産や機械化が進む中で、人々の間に単調で機械的なデザインに対する反発が生まれていました。その代表格がアーツ・アンド・クラフツ運動です。彼らは手作りを重視することによって、自然の美しさや個性の再評価を図りました。 アーツ・アンド・クラフツはこの記事で解説 》建築-アーツ・アンド・クラフツ アーツ・アンド・クラフツ運動は、その理念こそ前進的であったものの、しかし中世主義という性格から、近代化と言える段階にまでは至れませんでした。その代わ ...
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2026年9月30日
日本建築-禅宗様
時代背景 禅宗の伝来 12世紀末、栄西によって日本に禅宗がにもたらされました。禅宗では、これまでの仏教とは教義や儀式も異なるため、僧の生活や建築も変化していきます。 禅宗:仏教の教えを直接実践することで、真実を見出すことを目指します。基本的な修行としては、座禅が挙げられます。 14世紀頃までには、確固たる地位を築き上げることに成功しました。その背景には、得宗政権*や室町幕府が、既存の権門体制に代わる宗教勢力として、禅宗寺院に焦点が当てられたということがあります。得宗政権や室町幕府の支援を得て、禅宗は広く普 ...
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2026年9月30日
日本建築-天守閣
時代背景 大名と張り合う寺院勢力 この時代の有力寺社(東大寺・興福寺・延暦寺など)は、荘園による寺社領の保持・僧兵による武装化によって、絶大な影響力・軍事力を誇っていました。寺社は戦国大名に比肩する一大勢力だったのです。 外来文化による破壊 そんな中、キリスト教の布教や交易のため、ヨーロッパ諸国から日本への来訪が増加します。これによって、多くの文化が持ち込まれました。フランシスコ・ザビエルなどがその例で、新文化の影響を受けた日本人にとっては、既存の世界観や価値観が打ち壊されることになりました。 芽生える火 ...
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2026年9月30日
日本建築-室町
時代背景 南北朝時代 鎌倉幕府による長期政権は、200年以上に渡りました。しかし14世紀に入ると、幕府内部に対立が生じるようになります。そして1333年、後醍醐天皇が幕府に反旗を翻して、建武政権を開きました。 建武政権:後醍醐天皇の直轄支配下にある新たな政治体制。天皇としての権威を回復し、幕府を打倒することを目的としました。 建武政権の初代天皇となったのは、後醍醐天皇の皇子である光明天皇です。しかし鎌倉幕府の滅亡を実現できぬまま、建武政権は1348年に崩壊します。そして、建武政権崩壊後に成立した北朝には、 ...
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2026年9月30日
西洋建築-ドイツ工作連盟
背景 アーツ・アンド・クラフツの影響 1907年、イギリスで始まった「アーツ・アンド・クラフツ運動*」の影響が、ドイツでは、「ドイツ工作連盟」の結成として表れます。彼らは、産業生産において芸術的な要素を取り入れることが重要であると信じ、芸術と工業の融合を目指しました。 アーツ・アンド・クラフツ運動:工芸品の制作において、芸術と工業を融合させることを目指した運動 アーツ・アンド・クラフツ運動では、手工業や小規模な工場に焦点を当てていた*ため、大量生産には対応できないという欠点を抱えていました。これに対し、ド ...
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前の様式
時代背景
仏教と政治
この時代、仏教は政治と深い関係にありました*。また、寺院は政治的・官僚的な組織を形成していました*。そのため、寺院が勢力を強めて行くに従い、政治を左右する存在になって行きます。時には天皇位の簒奪さえも企てられました。かくして、政治に対する仏教の影響は看破できないものとなっていくのです。
仏教と政治:仏教伝来の当初、僧侶は天皇家に仕え、国家を守護する役割を担っていました。そのため、天皇家や貴族から保護を受けるようになります。彼ら政治権力者たちの思惑は、仏教を利用して自らの権威や権力を確立することでした。かくして僧侶自身も、政治的な力を持って行くのです。
寺院の官僚化:仏教は、釈迦が説いた教えを広めるために、弟子たちによって伝承され、各地に広がっていきました。しかし、それぞれの地域で伝承された仏教の教えや儀式が異なることが問題となり、その統一が求められるようになります。そして権威や地位を持つ者たちを中心に、仏教の組織化が進められることにより、官僚的な組織が形成されるのでした。
仏教の排除
こうした背景のもとで即位した桓武天皇は、社会の安定のためにも、仏教勢力を政治から排除する使命を自らに課しました。しかし、すでに京内に根付いている寺院を一新することは不可能であり、その打開策として、彼は遷都*を決断します。そして、新しい都の中には寺院を持ち込まないという方法をとるのでした。
遷都:首都を現在の位置から別の場所に移すこと
山岳での密教が始まる
かくして、平安京では寺院の建立が禁じられましたが、仏教そのものが禁止された訳ではありませんでした。平安時代初期には、朝廷は唐に遣唐使や学僧を送り込み、最澄・空海がそれぞれ密教を持ち帰ります。彼らによって、天台宗・真言宗が開かれ、また霊山信仰や修験道とも結び付き、日本独自の密教が発展しました。
特徴
現世利益
奈良時代の仏教の役割は「鎮護国家」、すなわち国を守ることでした。しかしそこから変質して、自己の現世のご利益に対する要望が強まっていきます。それらの願望と密接に関係する密教*がパトロンを集めるようになりました。
密教は、世俗的な欲望や感情を否定するのではなく、それらを肯定し、むしろそれらを利用して修行することを提唱しました。
恒久的な繁栄や長寿を求めるのは、世の権力者の常です。それ故、貴族層が密教に傾倒するのも自然の流れでした。彼らはパトロンとして、自分自身への見返りを期待して、真言や天台の寺院をつくっていきます。
山岳寺院
しかし桓武天皇の意向により、平安京内には基本的に寺院を建立することができなかったため、密教寺院は山岳地に寺地を求めました。そして奈良時代以前からあった山岳信仰と密接に絡んで、山中に寺院をつくっていきます。
これは実際、修行を重んじる密教にとっても都合の良いことでした。最澄は京の東にある比叡山に延暦寺を開き、空海は京から遠く離れた高野山に金剛峯寺を開きます。また新しい仏教であることを強調するために、奈良時代の主要な寺院建築とは違う文化を築いていきました。
造形
密教では主に「修法」といわれる宗教儀式を執り行い、貴族・皇族などは、このご利益を一番にあやかろうと考えます。彼らは寺院の重要なパトロンであったために、修法の場に隣接して礼堂と呼ばれる参列の空間が設けられることとなりました。
修法:自己の内面を深く探求することで、悟りを開き、人生の目的や意味を理解する。密教では主に、呪文・マントラ・ヨーガ・瞑想・儀式などの要素を組み合わせて行われます。
参列の空間が設けられる
宝生寺金堂
俗人が仏堂の近くに参列し、ご利益にあやかれるよう、梁間方向に建築が拡大していきます。
建物を目立たせる必要がなくなる
平安京では宗教的な要素は排除され、また密教は俗世から離れた所での修行を求めたため、山林寺院がつくられます。山中ではあまり高低は目立たず、そのため高い塔を建てる必要も薄まります。
宝生寺五重塔
出典元:るるぶ&more.
また、敷地の制約がある山岳寺院では、これまで重視された伽藍配置もそれほど意味を持たなくなりました。一応、比叡山全体の伽藍配置の計画もありますが、あくまでも建てられる場所に建てる、という構成になっています。
「修行の場」としての寺院
三仏寺投入堂
都市部では人々の目をひくことを意識して作られていたのに対し、僧の修行の場としての意味が強くなりました。その気持ちは、都において仏教が形骸化され、華麗な阿弥陀堂が建立される堕落ぶりに反発する形でますます強まり、まさに修行そのものを体現するような寺院も作られました。これは「懸造」と言われます。
多宝塔
石山寺多宝塔
都城に建てられた塔は、基本的に同じ平面を積み上げる構成ですが、多宝塔は上下で違う形を取ります。また、塔は通常「三重塔・五重塔・七重の塔」のように、奇数の屋根を重ねますが、多宝塔は二層からなります。
曼陀羅などを使用して、密教世界を表現
曼荼羅
仏舎利を収める建築から、密教世界の表現へと役割を変えました。建築の荘厳をするときに用いられます。
参考文献
日本建築史講義|著.海野聡|学芸出版社
建物が語る日本の歴史|著.海野聡|吉川弘文館
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
日本建築様式史|監修・太田博太郎|美術出版社
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西洋建築史年表
日本建築史年表
2026年9月30日
西洋絵画−印象派
舞台 フランス フランス美術は西洋絵画史の主要舞台の座を確立しました。イギリス風景画の伝統もスペイン画家ゴヤの系譜もフランスに吸収され、オランダ画家ゴッホもこの地での修行を得て覚醒しました。 背景 印象派展の開催 1874年、モネ・ルノワール・セザンヌ・ドガ・ピサロらによって、展覧会が開かれました。 彼らの作品に共通して見られる「スケッチ的な作風」から、この展覧会に集まった彼らは総称して、「印象派」と命名されることになります。 多様性に満ちた印象派グループ しかし実際のところ、彼らには明確な意味での共有さ ...
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2026年9月30日
西洋絵画−イタリア・バロック
舞台 イタリア 16世紀後半のイタリア、おおよそ芸術活動の低迷期に入っていました。しかし、カラヴァッジョの活躍によって、ローマで新たな盛り上がりを見せます。その後、カラヴァッジョ様式は国際的な広がりを見せました。(本記事では、イタリアに比較的近しい展開を見せたフランドル・スペインも一緒に取り上げます) 背景 宗教改革に対抗するカトリック教会 カトリック協会の免罪符を直接のきっかけに、「宗教改革」が勃発。離れていった信者の心を取り戻すため、カトリック教会は「反宗教改革」に乗り出しました。 分かり易さを武器に ...
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2026年9月30日
西洋絵画−後期印象派
一般に、スーラ・セザンヌ・ゴーギャン・ゴッホの四天王を総称して後期印象派と呼ぶことが多いです。しかし、当ブログでは個人的な趣きもあって、新印象主義(スーラ)・セザンヌ・後期印象派(その他の画家)という風に細分化しています。 舞台 フランス 印象派に続き、フランスが芸術の中心地として君臨しています。 背景 時代背景は主に新印象主義と同じです。 印象派の乗り越え 時代の寵児であった印象派も、1886年には最後の展覧会を迎え、いよいよ批判と反省の対象として乗り越えられる存在になります。 物の形を犠牲にした印象派 ...
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2026年9月30日
西洋絵画−クールベ=マネ
舞台 フランス 第二帝政期、パリの都市改革を始め、社会構造の大きな転換があったフランス。都会人の新しい生活様式などが誕生しました。 背景 産業革命・資本主義の時代 19世紀後半、いよいよ「産業革命」の成果が浸透し始め、かつ「資本主義」の波風が立ち始めました。 近代への突入 「科学技術の飛躍的な進歩」・「都市部への人口集中」・「階級対立の激化」・「西欧の世界進出に伴う異文化交流」などが、人々の日常生活に大きな影響を与えます。 近代絵画の始まり 絵画においては、クールベやマネといった近代絵画の創始者によって、 ...
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2026年9月30日
西洋絵画−フランス象徴主義
印象派に並行して、象徴主義が発展 舞台 フランス 象徴主義は各国において多様な発展を遂げました。中でも大きな影響を与えたのは、フランスにおいて展開された象徴主義です。 背景 もう一つの芸術運動 19世紀後半、印象派が盛り上がりを見せていたその頃、並行して別の流れが形成されていました。 商業化する芸術 先導したのは、「科学」と「機械万能」という時代における「実利的なブルジョア精神」や、「芸術の卑俗化」に嫌気がさした画家たちです。 人間の内面を描く 彼らは、人間存在とその運命に関する「深い苦悩」・「精神性への ...
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