2026年8月16日
西洋建築-イギリス・新古典主義
フランスに並んで、イギリスではその頃 背景 古典主義の逸脱 バロックからロココの時期にかけて、「正統的な古典主義」の逸脱という傾向が著しく目立つようになりました。 それに対する批判が、来る新古典主義を用意したのです。 新古典主義の台頭 そして、新古典主義は18世紀の半ば頃から「バロック」・「ロココ」を駆逐し始め、18世紀後半には、時代を支配して行きます。 啓蒙思想による裏付け この背景には、「啓蒙思想」の興隆がありました。 人々の間で、物事を「分析的」・「経験的」・「実証的」に、いわば「合理的」に捉えよう ...
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2026年8月16日
日本建築-天守閣
時代背景 大名と張り合う寺院勢力 この時代の有力寺社(東大寺・興福寺・延暦寺など)は、荘園による寺社領の保持・僧兵による武装化によって、絶大な影響力・軍事力を誇っていました。寺社は戦国大名に比肩する一大勢力だったのです。 外来文化による破壊 そんな中、キリスト教の布教や交易のため、ヨーロッパ諸国から日本への来訪が増加します。これによって、多くの文化が持ち込まれました。フランシスコ・ザビエルなどがその例で、新文化の影響を受けた日本人にとっては、既存の世界観や価値観が打ち壊されることになりました。 芽生える火 ...
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2026年8月16日
西洋建築-イタリア・ルネサンス
前の様式 舞台 イタリア・ルネサンスの舞台は、市民階級がいち早く台頭したイタリアの商業都市「フィレンツェ」です。 時代背景 イタリアは、中世において商業や金融の中心地として栄え、豊かな都市国家へと発展しました。このような繁栄の中で、芸術家や学者が集まり、文化的な交流が盛んに行われるようになります。また、イタリアでは古代ローマや古代ギリシャの文化が受け継がれていましたが、ルネサンス期において、これはキリスト教中心の中世思想に対する反発という形をとって現れました。 キリスト教世界のほころび 中世ヨーロッパ社会 ...
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2026年8月16日
西洋建築-フランス・バロック
時代背景 ブルジョワ階級の台頭 フランスはアンリ4世の治世の下、ようやく政治的にも経済的にも安定した時代を迎えました。そしてこの安定期の中で、新興ブルジョワ階級が台頭してきます。彼らは商業・手工業・金融などで成功を収めた人々であり、血統による身分制度ではなく、自らの実績や成功によって社会的地位を確立しようとしました。 また、アンリ4世は彼らの支持を受けて王位に就いたこともあって、ブルジョワ階級の代表者を重用したり、商工業者や金融業者の権利を保障する政策を進めました。彼らに対して特権や称号を与え、社会的地位 ...
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2026年8月16日
西洋建築史年表
古代ギリシャ|西洋建築の精神は、古代ギリシャを範とするところから始まります。その意味で、西洋建築史の出発点に相応しいと言えるでしょう パルテノン神殿 古代ローマ|「栄光の都」ローマ帝国という舞台は、古代ギリシャ建築とキリスト教建築の架け橋となりました コロッセウム闘技場 初期キリスト|西洋建築の代名詞、「教会建築」はここから始まります バシリカ式 集中堂式 ビザンティン|政治的な東西分裂は、建築様式にも影響を及ぼしました ハギア・ソフィア ロマネスク|別名「地方様式」とも言われるロマネスクは、各地の風土に ...
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前の様式
時代背景
南北朝時代
鎌倉幕府による長期政権は、200年以上に渡りました。しかし14世紀に入ると、幕府内部に対立が生じるようになります。そして1333年、後醍醐天皇が幕府に反旗を翻して、建武政権を開きました。
建武政権:後醍醐天皇の直轄支配下にある新たな政治体制。天皇としての権威を回復し、幕府を打倒することを目的としました。
建武政権の初代天皇となったのは、後醍醐天皇の皇子である光明天皇です。しかし鎌倉幕府の滅亡を実現できぬまま、建武政権は1348年に崩壊します。そして、建武政権崩壊後に成立した北朝には、後醍醐天皇の孫である光厳天皇が最初の天皇として任命されました。
事が複雑になったのは、主に各地の武士団は光明天皇の系統を支持し、朝廷や官僚は光厳天皇の系統を支持したことによると考えられます。さらに鎌倉幕府の解体*により、武士団同士の対立も激化。かくして日本は南朝と北朝に分断されるのです。
財政難や内部での対立、「元寇の戦い」による軍事力の低下などが重なり、鎌倉幕府は解体してしまいました。
北山文化
この南北朝の動乱を経た後、二つの朝廷を統一したのは足利義満でした。義満は、各地の守護や国人領主を味方につけて勢力を拡大すると、将軍としての権威を背景に、南北間の和平を成立させます。これによって公武が融合し、新たな文化が生まれました。義満の造営した北山殿の名を冠して、「北山文化」といわれるものです。その中で、唐物趣味も高じていきました。
特徴
寝殿造を受け継ぐ
鎌倉幕府は京都から情報を接取するのに苦労していましたが、室町幕府は京都に拠点を置いたこともあって、公家との関係も強く、また将軍自体が公家化することもありました。これ故に、将軍邸は寝殿造*の影響を受けます。
寝殿造の基本構成①:寝殿を中心に、その南庭を対・渡殿・中門廊がコの字型に囲みます。またほとんどの場合、左右対称の空間構成ではなく、左右どちらを縮小・省略した非対称の構成となっています。それというのも、東西いずれかの門を正門としたため、左右に重要度の偏りが生じたからです。
寝殿造の基本構成②:また、貴族によって形成された寝殿造の空間では、多くの儀式やその場面に応じて機能を変える必要がありました。その際に活用されたのが、壁代・すだれ・屏風・ついたて・几帳などの屏障具による、間仕切りです。また、これらの屏障具に台・棚・箱などを加えて調度といいます。この調度品によって部屋を仕切る室礼という方法が寝殿造ではとられました。これによって、儀式や客人に応じてレイアウトを替えることが可能となり、室内の様相を変えることが出来たのです。
時代背景:8世紀後半、天皇中心社会の再構築を図った天武天皇でしたが、その後、天皇と婚姻関係を結んだ藤原氏が摂政関白の立場で力を付けていき、摂関政治が始まります。摂関政治が始まると、天皇の存在は有名無実化していきました。それに伴い、威光を示すための宮殿建築なども必要とされなくなります。そんな藤原氏を頂点とする摂関政治は、まさに貴族社会の時代でした。そして平安京に住む貴族たちによって文化は成熟します。建物と庭園の一体化など、寝殿造のスタイルはこのような時代背景のもとで作られました。
特徴:寝殿造は、身分の差を感じさせる装置でもありました。たとえば、寝殿造の邸宅周囲を囲む塀や桧皮葺は上位の官人にしか許されず、また建物の内側が儀式の場、外側が待ち人の場という風に強く内外が区別され、床に上がれるものと床に上がれないものという風に、身分階層を視覚によって表したのです。
東山文化
八代将軍・義政の時代に至ると、能楽・水墨画・茶の湯などの発展とともに、座敷構えや座敷飾りの文化が醸成され、庭園の発達とともに両者が融合しました。この時代の文化を、義政が造営した東山殿にちなんで、東山文化と呼びます。これは、やがて座敷構えを備えた書院造の礎となるものでした。
造形
1192年、鎌倉幕府の開幕により、武家社会が到来しました。当初の武家住宅は、寝殿造を基本としたものでしたが、封建制度に由来して、次第に主君御成のための接客施設という役割を担うようになります。かくして、接客空間と生活空間の分離が進行するのでした。
築地塀
門
この時代、門は身分社会を表すものでもありました。たとえば、正門を通って良い人、脇門から入らなければならない人という風にです。他にも、勅使門といい、勅使が来たときにしか開かない門、天皇の行幸や将軍の御成の際にだけ開かれる門などもあります。
画一的な様式でまとめるのでなく、各層ごとに様々な要素を持ち込む
舎利殿(金閣)
一層目は、蔀なども用いた寝殿造の要素のある住宅風です。これは人の世界が一番下、ということを暗示しています。二層目は、和様の仏殿風です。和様の形式ということは、密教を表していると考えられます。三層目は、禅宗様の要素を用いた仏堂です。当時将軍が庇護していたのが禅宗なので、各層の順番は社会階層を表している、という説が有力となっています。
観音殿(銀閣)
二層からなる観音殿も、並び順は金閣と同様の意味で考えられます。一層目は住宅風、二層目は禅宗様仏殿風です。
書院造
東求堂同仁斎
この時代頃から、座敷構えの床・棚・書院・帳台構えが社会的なステータスとなります。また建物の形式だけでなく、そこに何を置くかも大事になっていきます。花瓶・唐物・絵画・掛け軸など、飾り付けの要素が加わったのです。
参考文献
日本建築史講義|著.海野聡|学芸出版社
建物が語る日本の歴史|著.海野聡|吉川弘文館
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
日本建築様式史|監修・太田博太郎|美術出版社
次の様式
西洋建築史年表
日本建築史年表
2026年8月16日
西洋絵画−クールベ=マネ
舞台 フランス 第二帝政期、パリの都市改革を始め、社会構造の大きな転換があったフランス。都会人の新しい生活様式などが誕生しました。 背景 産業革命・資本主義の時代 19世紀後半、いよいよ「産業革命」の成果が浸透し始め、かつ「資本主義」の波風が立ち始めました。 近代への突入 「科学技術の飛躍的な進歩」・「都市部への人口集中」・「階級対立の激化」・「西欧の世界進出に伴う異文化交流」などが、人々の日常生活に大きな影響を与えます。 近代絵画の始まり 絵画においては、クールベやマネといった近代絵画の創始者によって、 ...
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2026年8月16日
西洋絵画−盛期ルネサンス
舞台 ローマ 1492年、芸術文化を支えたロレンツォ・デ・メディチの没後、「フィレンツェ」は、ドメニコ会修道僧サヴォナローラの支配下に置かれ、やや停滞期を迎えます。その一方で、ユリウス二世に代表される辣腕の教皇の下で、「ローマ」は活気を取り戻しました。かくして、ルネサンスの舞台は「フィレンツェからローマへ」移ります。 背景 巨匠の時代 15世紀末から16世紀初頭にかけてのおよそ30年間、一般には盛期ルネサンスと呼ばれます。この時代は、「巨匠の時代」でした。 古代や自然の超克 彼らは自らの才能を自覚し、「古 ...
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2026年8月16日
西洋絵画−フランス象徴主義
印象派に並行して、象徴主義が発展 舞台 フランス 象徴主義は各国において多様な発展を遂げました。中でも大きな影響を与えたのは、フランスにおいて展開された象徴主義です。 背景 もう一つの芸術運動 19世紀後半、印象派が盛り上がりを見せていたその頃、並行して別の流れが形成されていました。 商業化する芸術 先導したのは、「科学」と「機械万能」という時代における「実利的なブルジョア精神」や、「芸術の卑俗化」に嫌気がさした画家たちです。 人間の内面を描く 彼らは、人間存在とその運命に関する「深い苦悩」・「精神性への ...
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2026年8月16日
西洋絵画−ロマン主義
舞台 フランス 革命期から王政復古期にかけてのフランス。新古典主義が絵画の主導権を握っていた一方で、その「静的で厳粛な様式」は、人の心を真に動かす力に欠けていました。そんな中、絵画に再び「動き」を取り戻そうという流れが形成されます。 背景 ヨーロッパ各国の独立意識 「フランス革命」・「ナポレオンの侵略」という二つの事件をきっかけに、各国は「自我」に目覚めます。 古代ローマという西欧各国における「共通の祖先」から、「自国の歴史」・「風土」へと関心が移ったのです。 プロパガンダとしての絵画 ナポレオンの第一帝 ...
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2026年8月16日
西洋絵画−フランス・バロック
舞台 フランス 太陽王ルイ14世が主権権を握る「絶対王政期」のフランスもまた、芸術の舞台となりました。自国の土壌で独自の様式を形成して行きます。 背景 フランスへ輸入 イタリア起源のバロックは、国境を超えてフランスにも広がりました。 伝統を守るフランス しかしフランスでのバロックは、主に前時代様式の否定として展開されて来た各地のバロックと異なり、「古典主義」的な傾向を保ちます。 それというのも、古典尊重のルイ王朝は「古代ローマを美術の範」としたからです。 王立アカデミーの設立 また、王立アカデミーの存在に ...
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