時代背景 小さな村落から始まったローマ市 紀元前753年に誕生したローマ市は、最初こそ小さな村落に過ぎませんでした。 ヨーロッパ全域へ領土を拡大 しかし、紀元前5世紀末までにはエトルリア*などの周辺都市国家を、紀元前3世紀中頃までには南イタリアのギリシャ植民都市を支配下に置き、紀元前1世紀末には地中海沿岸全域をほぼを手中に治めます。 エトルリア:古代イタリア半島に存在した文明です。紀元前8世紀から紀元前3世紀にかけて栄えました。 異国文化を吸収 領土の拡大は、エトルリア文化や植民都市経由での古代ギリシャ文 ...
背景 キリスト教の公認 キリスト教徒は当初、ローマ帝国によって迫害を受けていました。しかし313年に発布されたミラノ勅令*によって、これまでローマ帝国から弾圧を受けていたキリスト教が公認されます。 ミラノ勅令:4世紀初頭のローマ皇帝コンスタンティヌス帝によって発布された勅令で、キリスト教を公認するものでした。この勅令によって、キリスト教徒は迫害から解放され、徐々にローマ帝国内での信仰の自由が広がっていくのでした。 これによって、それまで地下に潜っていたキリスト教は、ローマ帝国の国教として華々しい役割を担う ...
時代背景
破壊の時代

戦国期は読んで字の如く「波乱の時代」でした。戦国大名たちによって繰り広げられる戦火の中で、多くの建物は失われて行きます。そのためこの時代は、新たな建築の生産というよりも、建築の破壊の時代でした。
渦中の寺院

幸か不幸か、当時の寺院も僧兵を構えるなど大名に比肩する勢力を誇っていたため、この争いの渦中に巻き込まれます。たとえば、延暦寺は信長の焼き討ちによって多くの建物が失われ、壊滅状態となりました。また東大寺は、松永久秀や三好三人衆らによる戦闘で戦火を被りました。
復興の時代

しかし16世紀後半に入り、社会の安定期を迎えると、戦国の乱世に破壊された大寺院の再建事業が活発化し始めます。この再建には、古代・中世の様式を踏襲した復古的な様式が用いられました。
造形
戦国大名による寺社に対する弾圧や破壊の一方で、自身の体制に従ったものに対しては復興を図っています。
厳島神社

毛利氏によって復興されました。
土佐神社

長宗我部氏によって復興されました。
甲府善光寺

武田氏によって創建されました。
復古的な建築
大名たちによる寺社建築の特徴としては、復古性が挙げられます。
東寺金堂

「裳階の形態」・「土間の床」は古式を引き継いでいるが、構造部では大仏様禅宗様など、中世式の技法が用いられています。
清水寺本堂

「内陣は石敷」「外陣は板敷」というように、構成は密教本堂が引用しつつ、和様の技術も踏襲されています。
東大寺大仏殿

柱に肘木を挿して軒を支えるなど、大仏様の手法が取り入れられています。
参考文献
日本建築史講義|著.海野聡|学芸出版社
建物が語る日本の歴史|著.海野聡|吉川弘文館
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
日本建築様式史|監修・太田博太郎|美術出版社
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