西洋建築-フランス・新古典主義

2026年5月18日

西洋建築-初期キリスト

背景 キリスト教の公認 キリスト教徒は当初、ローマ帝国によって迫害を受けていました。しかし313年に発布されたミラノ勅令*によって、これまでローマ帝国から弾圧を受けていたキリスト教が公認されます。 ミラノ勅令:4世紀初頭のローマ皇帝コンスタンティヌス帝によって発布された勅令で、キリスト教を公認するものでした。この勅令によって、キリスト教徒は迫害から解放され、徐々にローマ帝国内での信仰の自由が広がっていくのでした。 これによって、それまで地下に潜っていたキリスト教は、ローマ帝国の国教として華々しい役割を担う ...

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2026年5月18日

日本建築-大衆寺院

時代背景 寺院にも自営が求められる 18世紀に入る頃には、幕府や諸藩の財政は悪化し、寺社の造営を行う力を失っていました。そのため、各寺社は自らでの資金調達を迫られます。その方法として、「開帳」「勧化」など、民衆から銭を集めるための行事に力を注ぎます。 行事の集金化 「開帳」は本来、寺社の秘仏などを開扉して、人々と神仏を結縁する宗教行為でした。しかし、財政に困っていた寺院は、「開帳」を堂舎の建立や修理費用のための集金事業として活用するようになったのです。 経済力を身につけた民衆 寺院が疲弊していた一方で、民 ...

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2026年5月18日

西洋建築-ゴシック・リヴァイバル

背景 啓蒙主義の台頭 17世紀から18世紀にかけてのヨーロッパでは、啓蒙主義が席感していました。啓蒙主義は、合理性や科学性を重視し、人間は理性的に考えるべきだと主張します。そのため、古典主義的な芸術や文化と相性が良く、古代ギリシャ・ローマの美学が模範となります。 しかし啓蒙主義が進展するにつれて、過度に理性を重視する考えに疑問を持つ人々が現れました。たとえば芸術においては、人間の感情や内面世界を無視して外面的な表現に囚われている節があり、また決まりきった規則や格式に基づくものが多く、個性や独創性が抑制する ...

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2026年5月18日

西洋建築-ドイツ表現主義

背景 第一次世界大戦 1914年6月28日、オーストリア皇太子夫妻がセルビアの首都ベオグラードで暗殺されるという事件が起こります。これをきっかけに、オーストリア=ハンガリー帝国はセルビアに宣戦布告しました。そしてオーストリア=ハンガリー帝国の後ろ盾となっていたドイツも、この戦争へ参加することになります。 当初のドイツは、急速に発展し、経済的・軍事的な力を蓄えていたため、早期に勝利すると楽観的に考えられていました。しかし戦争の泥沼化によって戦況は逆転し、最終的には敗戦という結果を迎えます。 敗戦後のドイツ ...

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2026年5月18日

西洋建築史年表

古代ギリシャ|西洋建築の精神は、古代ギリシャを範とするところから始まります。その意味で、西洋建築史の出発点に相応しいと言えるでしょう パルテノン神殿 古代ローマ|「栄光の都」ローマ帝国という舞台は、古代ギリシャ建築とキリスト教建築の架け橋となりました コロッセウム闘技場 初期キリスト|西洋建築の代名詞、「教会建築」はここから始まります バシリカ式 集中堂式 ビザンティン|政治的な東西分裂は、建築様式にも影響を及ぼしました ハギア・ソフィア ロマネスク|別名「地方様式」とも言われるロマネスクは、各地の風土に ...

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前の様式

背景

ヨーロッパ随一の絶対主義国家

フランスは17世紀後半、ルイ14世の時代を持って王権が頂点に達し、ヨーロッパ随一の絶対主義国家に成長しました。ルイ14世は絶対王政下で全権を握り、貴族や教会、一般市民にも厳しい統制を加えます。そして中央集権的な行政組織を整備し、強大な軍事力を築きました。

しかしその一方で、ルイ14世の統治による莫大な財政負担や、貴族・教会の排除などに対する不満は蓄積していきます。

ルイ14世亡き後は、ルイ15世が即位し、専制政治を引き継ぎましたが、この時にはすでに王権の権威は低下しており、貴族や官僚などの富裕層との対立は深まっていく一方でした。そのためルイ15世は、貴族や教会などの既得権益層に手厚い保護を与え、関係が良好に行くように図りつつ、王権の強化に励みます。しかし、彼の贅沢三昧な生活や戦争に多大な費用をかけたことから国財が逼迫し、深刻な財政問題を起こしました。

ルイ15世の死後は、ルイ16世が後を継ぎましたが、財政状況は悪化の一途をたどり、国家予算の大半が軍事費や王室の贅沢な生活費に充てられるなど、無駄遣いが横行するのでした。この独裁的な政治体制は、貧しい生活を強いられていた市民階級の反感を買いました。そして1789年、市民階級による反乱「フランス革命」が起こるのです。これによって王政が崩壊し、新たな政治体制が確立されました。

新体制が理念に掲げたのは、啓蒙思想・民主主義・自由主義です。その根拠となったのは、古典主義でした。古代ギリシャ・ローマ文化の復興を通じて、民主主義の理念を表現したのです。

特徴

着色ありきの古典主義

古典主義はおおよそ爛熟状態にまで行き着いたものの、真に古代の意思を継いだといえるものは未だありませんでした。ルネサンスやバロックも、手法においては古典的であるものの、それぞれに何らかの着色がある点は否めなかったからです。

考古学に基づいた、古典の新解釈

そこで、かつての古典主義のように本質が見失われた形での古典ではなく、より正確・忠実・厳密な古典を復興させるという需要が生まれました。この背景には、古典考古学の急速な進歩が挙げられます。

見落とされた古代ギリシャ

また、この時点での古典はあくまでも古代ローマに準拠しており、古代ギリシャにまでその知見は及んでいませんでした。ここに、古代ギリシャの再生という動機と、古典考古学の急速な進歩という情勢が相まって、古典主義は新たな活路を見出したのです。

政治的な要因も加味すると、新古典主義建築は、古代ギリシャ・ローマの共和制や民主主義の建築様式を再解釈することで、民主主義の理念を表現するのに適していました。新古典主義建築は。フランス王政崩壊後の共和制にとって、自らの権威や威厳を象徴するものでもあったのです。

造形・表現

バロックからロココへと順調に時間を進めていたフランスでは、ルネサンス的な古典理論に対する批判の声が挙がり始めます。また、建築構造の合理性への関心が高まり始めたこともあり、新しい古典主義が誕生するのでした。

より厳密な古典主義

サン・シュルピス聖堂|セルヴァンドーニ

左右の厳格な構成を持つ塔などから、新古典主義的な性格が伺えます。

ギリシャ建築が脚光を浴びる

1753年、マルク=アントワーヌ・ロージエは、著書『建築試論』において、ギリシャ建築こそ建築の典型であると説きました。「柱は屋根を支える構造材であり、無駄な装飾のために用いられるべきではない」というように、合理的な面からギリシャ建築を評価するという彼の姿勢は、当時大きな反響を呼びます。また同年、J・J・ヴィンケルマンの『高貴なる単純さ』においても、ギリシャ建築がローマ建築を上回ると主張され、当時の価値観は大きく揺らぎました。

古代ギリシャ建築に代表される、オーダーの再現

ブランデンブルク門|ラングハンス

古代ギリシャ建築のオーダーが再現されるようになり、それに加えて、穏やかで抑制の効いた造形が主流になりました。

古典的な形態を、単純な幾何学態に置き換える

ショーの王立製塩所監督官館|ルドゥー

単純な幾何学的形態による壮大な空間の構想も、新古典主義の特色の一つです。単純な形態を多様に組み合わせながら、広大かつ簡潔な空間を表現しました。この背景には、新古典主義者たちが古典を突き詰めた結果、形態よりもその本質・法則に答えを見出したという面もあります。

自然への回帰

アモー|リシャール・ミーク

新古典主義には、自然への回帰の動きなども見られます。ここでは、ひなびた建物が周囲の自然に調和するように建てられています。

参考文献

西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会

建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会

西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社

美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社

次の様式

西洋建築史年表

日本建築史年表

2026年5月18日

西洋絵画−フランス・新古典主義絵画

舞台 フランス 革命期からナポレオン時代にかけてのフランス。ナポレオンは絵画を、自らの理念の「プロパガンダ」として活用しました。そのため、絵画は記録的な意味合いを強めます。 背景 軽快なロココに対する反動 18世紀後半、「快楽主義的」で「感覚的」なロココ様式に対する反動として、美は表面的なものでなく「崇高」なものであると考える傾向が強まります。 崇高さを追求 そして、「装飾趣味」や「官能的な裸婦像」に代わって、「形而上的な内容」や「簡素で壮大な形態感覚」を備える古典美術が範とされました。 特徴と画家 相次 ...

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2026年5月18日

西洋絵画−フランス・バロック

舞台 フランス 太陽王ルイ14世が主権権を握る「絶対王政期」のフランスもまた、芸術の舞台となりました。自国の土壌で独自の様式を形成して行きます。 背景 フランスへ輸入 イタリア起源のバロックは、国境を超えてフランスにも広がりました。 伝統を守るフランス しかしフランスでのバロックは、主に前時代様式の否定として展開されて来た各地のバロックと異なり、「古典主義」的な傾向を保ちます。 それというのも、古典尊重のルイ王朝は「古代ローマを美術の範」としたからです。 王立アカデミーの設立 また、王立アカデミーの存在に ...

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2026年5月18日

西洋絵画−ドイツ表現主義

著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 ドイツ これまでフランスに押され気味であまり活躍の場がなかったドイツでしたが、遂に自国を始点とする芸術運動の波風が立ち始めます。というのも、「近代化」を急激に進めて行ったドイツでは、それだけ社会に対する不満も生まれやすく、「苦しみを表現する画家」たちを産むには最適な土壌だったか ...

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2026年5月18日

西洋絵画−立体派〈キュビズム〉

著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 フランス 産業革命以来、急速な進歩によりもたらされた「世界の拡大化」は、多種多様な芸術運動の下、「専門化」・「分化」を押し進めました。そんな中で、新しい視覚体験が模索されます。そして、「形態」と「構成」の面で大きな変革が起きたのはフランスでした。 背景 感覚派から知性派へ 野獣 ...

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2026年5月18日

西洋絵画−盛期ルネサンス

舞台 ローマ 1492年、芸術文化を支えたロレンツォ・デ・メディチの没後、「フィレンツェ」は、ドメニコ会修道僧サヴォナローラの支配下に置かれ、やや停滞期を迎えます。その一方で、ユリウス二世に代表される辣腕の教皇の下で、「ローマ」は活気を取り戻しました。かくして、ルネサンスの舞台は「フィレンツェからローマへ」移ります。 背景 巨匠の時代 15世紀末から16世紀初頭にかけてのおよそ30年間、一般には盛期ルネサンスと呼ばれます。この時代は、「巨匠の時代」でした。 古代や自然の超克 彼らは自らの才能を自覚し、「古 ...

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-西洋建築史