2026年10月2日
西洋建築-フランス・新古典主義
背景 ヨーロッパ随一の絶対主義国家 フランスは17世紀後半、ルイ14世の時代を持って王権が頂点に達し、ヨーロッパ随一の絶対主義国家に成長しました。ルイ14世は絶対王政下で全権を握り、貴族や教会、一般市民にも厳しい統制を加えます。そして中央集権的な行政組織を整備し、強大な軍事力を築きました。 しかしその一方で、ルイ14世の統治による莫大な財政負担や、貴族・教会の排除などに対する不満は蓄積していきます。 ルイ14世亡き後は、ルイ15世が即位し、専制政治を引き継ぎましたが、この時にはすでに王権の権威は低下してお ...
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2026年10月2日
西洋建築-アーツ・アンド・クラフツ
背景 分業体制の始まり 19世紀後半のイギリスでは、産業革命によって工業化が進み、工業製品の需要も高まっていました。それに伴い、機械による大量生産や標準化が進む一方で、工芸品や手仕事の価値は低下していきます。 モリスが立ち上がる 機械的かつ分業的な生産方式を強いられる現状に、一人の男が声を挙げました。我らがW・モリスです。彼は機械による大量生産や標準化に反対し、手仕事や伝統工芸品の価値の再評価を図ったのです。 彼は芸術を労働における人間の悦びの表現であると主張しました。そして物作りの労働が悦びと感じられる ...
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2026年10月2日
西洋建築-アール・ヌーヴォー
背景 新様式の準備 19世紀末、産業革命によって工業製品の生産が増え、大量生産や機械化が進む中で、人々の間に単調で機械的なデザインに対する反発が生まれていました。その代表格がアーツ・アンド・クラフツ運動です。彼らは手作りを重視することによって、自然の美しさや個性の再評価を図りました。 アーツ・アンド・クラフツはこの記事で解説 》建築-アーツ・アンド・クラフツ アーツ・アンド・クラフツ運動は、その理念こそ前進的であったものの、しかし中世主義という性格から、近代化と言える段階にまでは至れませんでした。その代わ ...
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2026年10月2日
日本建築-黄檗宗
時代背景 黄檗宗を輸入 徳川幕府による鎖国の時代、外国との接触は制限されていました。しかし、大陸からの新しい影響がまったくなくなったわけではありません。1654年、明から渡来した隠元によって、禅宗の一派「黄檗宗」が持ち込まれます。そして四代目将軍・徳川家綱の加護を受け、1661年に宇治の万福寺を開きました。 黄檗宗は、禅宗の中でも実践的な哲学を重視しました。宗教的な理論や論理的思考よりも、自己の実践によって真理を理解することを目指します。 黄檗宗は、中国の禅宗である黄檗派と日本の臨済宗や曹洞宗が合流して誕 ...
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2026年10月2日
西洋建築-ウィーン・ゼツェッション
背景 ハンガリー帝国の情勢 ウィーン・ゼツェッションは、1903年にオーストリア=ハンガリー帝国*の首都ウィーンで結成されたグループです。オーストリア=ハンガリー帝国は複数の民族や国家が集合した多民族国家であったため、深刻な民族問題を抱えていました。 ハンガリー帝国:中央ヨーロッパにかつて存在した帝国。現在のハンガリー、スロバキア、クロアチア、セルビア、ルーマニア、ウクライナ、オーストリアなどの地域を含んでいました。ハプスブルク家の君主がハンガリー王位を兼ねていたことから、オーストリア=ハンガリー帝国とし ...
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前の様式
前の様式
舞台
イタリア・ルネサンスの舞台は、市民階級がいち早く台頭したイタリアの商業都市「フィレンツェ」です。
時代背景
イタリアは、中世において商業や金融の中心地として栄え、豊かな都市国家へと発展しました。このような繁栄の中で、芸術家や学者が集まり、文化的な交流が盛んに行われるようになります。また、イタリアでは古代ローマや古代ギリシャの文化が受け継がれていましたが、ルネサンス期において、これはキリスト教中心の中世思想に対する反発という形をとって現れました。
キリスト教世界のほころび
中世ヨーロッパ社会は、これまで精神的にはキリスト教に支えられてきました。しかし、このキリスト教観というのは、人間を神の摂理にのみ従う下僕として、その限りにおいて人生の意義を認めるものでした。そのため、ここでは自由な人間性の働きが抑圧されることになります。
人文主義的傾向が高まる
やがてそれは、人間性を再び取り戻そうという潮流*へとつながり、その拠り所として、人間の理性に信頼を置いた古典の世界が再発見されるに至りました。いわゆる人文主義思想といわれるものです。彼らがあてにしたのは、古代ギリシャ・ローマの文化や哲学でした。古代ギリシャ・ローマの古典的な文献や思想を研究し、人間中心の視点から社会や文化を見直したのです。
人文主義者たちは、人間の自由や能力、自己啓発に対する信仰を持ち、自由な思考や個性の尊重、美への愛や知識の追求などを重視しました。
時代の特徴
個人主義の誕生
人間は有限的な存在ではあっても、その人間の能力自体は尊重され高く評価されるべきである、このような人文主義的な思想の下で、個人としての名声を得る人々が誕生します。このような流れは教会の力を持ってしても抑えることは出来ず、ついにはキリスト教さえも人文主義的傾向へと妥協*しなければならない状況でした。
典型例として、ルネサンス期の人文主義者エラスムスの聖書研究が挙げられます。彼は聖書の原典に基づく解釈を行い、いくつかの点で、教会が信仰において誤解を招いていると指摘しました。これは教会が聖書の再解釈を始めるきっかけとなりました。また、マルティン・ルターやジョン・カルヴィンなどのように、人間の自由意志・信仰の自由・個人的な信仰体験を重視するキリスト教徒も現れ、カトリック教会の教義に反発するのでした。かくして、キリスト教においても人間の尊厳を強調する考え方が浸透していったのです。
芸術志向の高まり
そのため、この時代の建築家たちは芸術志向が強く、それは宗教性や合理性にさえ先行します。たとえば、古代から借用したオーダーも、基本的には構造的な役割は与えられず、単なる装飾的な役割として用いられたのです。このことから、ルネサンス建築はしばしば形のための形と形容されます。
造形・表現
古典主義の興隆
15世紀、フィレンツェは商工業で豊かな富を蓄え*、共和制の都市国家を築き上げました*。この商人的な合理性という地盤で育まれた新様式は、やがて人々を深い教養へと向かわせます。そして古代ローマなどの古典文化が再発見されたのでした。
①フィレンツェは商業都市として栄え、織物産業が盛んでした。13世紀には市民たちが自治を求め、自治都市として発展を遂げます。そして市民政府の下で、商工業や金融業が発展し、フィレンツェは富裕な都市国家となったのです。②フィレンツェは政治的な中心でもありました。フィレンツェの市民たちは共和制を支持し、政治的な自由を求めました。
過去と現代という異なる両者の融合
キリスト教会・パラッツォ*・ヴィッラ*などの規模も形態も用途も異なる新時代の建築に、古典的な手法を取り入れるというのは困難なことでした。この難題に見事な解決を与え、歴史に名を残したのが、建築界の巨匠フィリッポ・ブルネレスキ*です。
①パラッツォ :貴族や商人の邸宅、公共建築物を指します。広い中庭を持つのが特徴です。②ヴィッラ :貴族や商人の邸宅、あるいは別荘を指します。バルコニーやテラスなどの屋外空間を持ちます。③フィリッポ・ブルネレスキ:15世紀初頭のイタリアの建築家、彫刻家、工学者。
オーダーと装飾
サント・スピリト教会堂|F・ブルネレスキ
古代のモチーフ(繊細な彫刻や控えめな装飾・アーチやドーム・円柱・天井装飾など)を用いて、統御された比例の美しさ(オーダー)を堪えながら、かつ時代に適応した新しい空間を作り上げました。
オーダーが登場する記事》建築-古代ギリシャ
アーチ構法が登場する記事》建築-古代ローマ
比例に基づいた配置構成
初期ルネサンス建築の指導者としては、L・B・アルベルティも挙げられます。彼は、古代ローマの建築スタイルを復興させ、それを現代の建築に応用することで、新しい建築様式を創造しました。
L・B・アルベルティ :15世紀イタリアの芸術家、建築家、学者、作家。
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会堂|L・B・アルベルティ
幾何学的・数学的形式の創造を目指し、円・方形・円錐などの規則的な形態を用いて、単純明快なプランの実現に当たりました。シンメトリーなデザインや比例の法則に基づいた設計から、古代建築のモチーフが伺えます。
人間理性の挑戦
当時、ヨーロッパでも随一の豊かな都市に成長したフィレンツェは、その繁栄を象徴するのに最も相応しい大聖堂の建築を試みました。そして巨大ドームのプランが構想されます。しかし、その空前の規模の故に、当時の建築技術では実現はほぼ不可能とされました。ここで奇跡を起こしたのがブルネレスキです。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ|F・ブルネレスキ
何の支えもなく人間の理性の力を示すような巨大ドームは、フィレンツェの象徴だけにはとどまらず、ルネサンスを代表する建物となりました。
参考文献
西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社
美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社
次の様式
次の様式
西洋建築史年表
日本建築史年表
2026年10月2日
西洋絵画−クールベ=マネ
舞台 フランス 第二帝政期、パリの都市改革を始め、社会構造の大きな転換があったフランス。都会人の新しい生活様式などが誕生しました。 背景 産業革命・資本主義の時代 19世紀後半、いよいよ「産業革命」の成果が浸透し始め、かつ「資本主義」の波風が立ち始めました。 近代への突入 「科学技術の飛躍的な進歩」・「都市部への人口集中」・「階級対立の激化」・「西欧の世界進出に伴う異文化交流」などが、人々の日常生活に大きな影響を与えます。 近代絵画の始まり 絵画においては、クールベやマネといった近代絵画の創始者によって、 ...
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2026年10月2日
西洋絵画−フランス・バロック
舞台 フランス 太陽王ルイ14世が主権権を握る「絶対王政期」のフランスもまた、芸術の舞台となりました。自国の土壌で独自の様式を形成して行きます。 背景 フランスへ輸入 イタリア起源のバロックは、国境を超えてフランスにも広がりました。 伝統を守るフランス しかしフランスでのバロックは、主に前時代様式の否定として展開されて来た各地のバロックと異なり、「古典主義」的な傾向を保ちます。 それというのも、古典尊重のルイ王朝は「古代ローマを美術の範」としたからです。 王立アカデミーの設立 また、王立アカデミーの存在に ...
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2026年10月2日
西洋絵画−フランス・ロココ
舞台 フランス 絵画史の中でも、特にロココは時代区分の難しい様式です。そもそもロココとバロックの区分を認めない説もあります。そのため当ブログでは、ロココの特徴が最も顕著に現れている、フランスで展開されたロココのみを取り扱います。 背景 絶対王政に陰りが見え始める 「太陽王ルイ14世」は、神から与えられた王権の行使者としての役割を演じることの出来た「最後の王」でした。 それというのも、1715年に彼が他界すると、その絶対王政にも陰りが見え始め、「貴族等の側近勢力が台頭」して来たからです。 太陽王からの開放 ...
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2026年10月2日
西洋絵画−ドイツ表現主義
著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 ドイツ これまでフランスに押され気味であまり活躍の場がなかったドイツでしたが、遂に自国を始点とする芸術運動の波風が立ち始めます。というのも、「近代化」を急激に進めて行ったドイツでは、それだけ社会に対する不満も生まれやすく、「苦しみを表現する画家」たちを産むには最適な土壌だったか ...
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2026年10月2日
西洋絵画−ロマン主義
舞台 フランス 革命期から王政復古期にかけてのフランス。新古典主義が絵画の主導権を握っていた一方で、その「静的で厳粛な様式」は、人の心を真に動かす力に欠けていました。そんな中、絵画に再び「動き」を取り戻そうという流れが形成されます。 背景 ヨーロッパ各国の独立意識 「フランス革命」・「ナポレオンの侵略」という二つの事件をきっかけに、各国は「自我」に目覚めます。 古代ローマという西欧各国における「共通の祖先」から、「自国の歴史」・「風土」へと関心が移ったのです。 プロパガンダとしての絵画 ナポレオンの第一帝 ...
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