2026年5月18日
西洋建築-ウィーン・ゼツェッション
背景 ハンガリー帝国の情勢 ウィーン・ゼツェッションは、1903年にオーストリア=ハンガリー帝国*の首都ウィーンで結成されたグループです。オーストリア=ハンガリー帝国は複数の民族や国家が集合した多民族国家であったため、深刻な民族問題を抱えていました。 ハンガリー帝国:中央ヨーロッパにかつて存在した帝国。現在のハンガリー、スロバキア、クロアチア、セルビア、ルーマニア、ウクライナ、オーストリアなどの地域を含んでいました。ハプスブルク家の君主がハンガリー王位を兼ねていたことから、オーストリア=ハンガリー帝国とし ...
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2026年5月18日
日本建築-室町
時代背景 南北朝時代 鎌倉幕府による長期政権は、200年以上に渡りました。しかし14世紀に入ると、幕府内部に対立が生じるようになります。そして1333年、後醍醐天皇が幕府に反旗を翻して、建武政権を開きました。 建武政権:後醍醐天皇の直轄支配下にある新たな政治体制。天皇としての権威を回復し、幕府を打倒することを目的としました。 建武政権の初代天皇となったのは、後醍醐天皇の皇子である光明天皇です。しかし鎌倉幕府の滅亡を実現できぬまま、建武政権は1348年に崩壊します。そして、建武政権崩壊後に成立した北朝には、 ...
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2026年5月18日
西洋建築-古代ローマ
時代背景 小さな村落から始まったローマ市 紀元前753年に誕生したローマ市は、最初こそ小さな村落に過ぎませんでした。 ヨーロッパ全域へ領土を拡大 しかし、紀元前5世紀末までにはエトルリア*などの周辺都市国家を、紀元前3世紀中頃までには南イタリアのギリシャ植民都市を支配下に置き、紀元前1世紀末には地中海沿岸全域をほぼを手中に治めます。 エトルリア:古代イタリア半島に存在した文明です。紀元前8世紀から紀元前3世紀にかけて栄えました。 異国文化を吸収 領土の拡大は、エトルリア文化や植民都市経由での古代ギリシャ文 ...
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2026年5月18日
西洋建築-ビザンティン
背景 首都『コンスタンティノポリス』の誕生 330年、コンスタンティヌス大帝は、ローマ帝国の首都をギリシャの都市ビザンティウムに遷都します。その後、この都市はコンスタンティノポリスと名を改めました。 ビザンティウムに遷都したのは、ローマ帝国が内部の政治的・経済的・軍事的な問題や外敵の侵攻に直面していたためです。東方からの侵攻に備えるために、軍事上の要地でもあったこの地が選ばれました。 西洋社会の東西分裂 395年には、帝国は東西に分裂。ローマを首都とする西ローマ帝国、コンスタンティノポリスを首都とする東ロ ...
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2026年5月18日
西洋建築-アーツ・アンド・クラフツ
背景 分業体制の始まり 19世紀後半のイギリスでは、産業革命によって工業化が進み、工業製品の需要も高まっていました。それに伴い、機械による大量生産や標準化が進む一方で、工芸品や手仕事の価値は低下していきます。 モリスが立ち上がる 機械的かつ分業的な生産方式を強いられる現状に、一人の男が声を挙げました。我らがW・モリスです。彼は機械による大量生産や標準化に反対し、手仕事や伝統工芸品の価値の再評価を図ったのです。 彼は芸術を労働における人間の悦びの表現であると主張しました。そして物作りの労働が悦びと感じられる ...
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フランスに並んで、イギリスではその頃
前の様式
背景
古典主義の逸脱
バロックからロココの時期にかけて、「正統的な古典主義」の逸脱という傾向が著しく目立つようになりました。
それに対する批判が、来る新古典主義を用意したのです。
新古典主義の台頭
そして、新古典主義は18世紀の半ば頃から「バロック」・「ロココ」を駆逐し始め、18世紀後半には、時代を支配して行きます。
啓蒙思想による裏付け
この背景には、「啓蒙思想」の興隆がありました。
人々の間で、物事を「分析的」・「経験的」・「実証的」に、いわば「合理的」に捉えようとする志向が強まって行ったのです。
考古学の進展
また、ヘラクレネウムやポンペイの古代ローマ遺跡の発掘、古代ギリシャ建築の遺構の実測を通じて、古代建築の研究が進んだことも、新古典主義の後押しとなりました。
特徴
啓蒙思想(理性)と考古学の2本柱
新古典主義は、「理性」と「考古学」を根底に持つ建築様式でした。
理性
「理性」とは、建築を「客観的」・「科学的」に捉えようという態度です。
その追求から、古代建築の持つ「簡素な美」を、「単純な幾何学的形態」の構成により創造することが試みられました。
考古学
一方で、「考古学」というのは、単に遺構を研究し参照の対象とするだけではなく、建築の起源やその「本質を探求」しようとする態度のことを言います。
これらを通して、ルネサンスの古典主義を捉え直そうとしたのです。
造形・表現
バロックを否定的に捉えるジョージ朝
1714年、ステュアート朝からジョージ朝に変わると、ステュアート朝において中心的であったバロックを否定的に見る動きが表れ始めます。
パラディオの信奉
これに並行して、イギリスでは「自国の伝統的な様式」が求められたこともあり、「平明」で「厳格」なパラディオの建築を理想とする、「パラディアニズム」が誕生しました。
パラディアニズムを推進した中心人物は、リチャード・ボイルです。彼は建築家たちの後援に加え、自らも設計を行いました。
パラディアニズムへの批判
18世紀も半ばを過ぎると、今度は新古典主義の勢力によって、パラディアニズムも批判にさらされるようになりました。
そして18世紀後半には、新古典主義が本格的に主流となって行くのです。
新古典主義を代表する建築家は、ロバート・アダムです。
軽快・優美な意匠
ケンウッド・ハウス|ロバート・アダム|1767−71
パラディアニズムに比べて、「装飾」や「色彩」など、意匠的な構成が「軽快」・「優美」に表現されています。そして、古典的な「比例」が必ずしも尊守されている訳ではなく、要所要所に変更が加えられ、細部からは「ギリシャ建築の影響」などが伺えます。
ピクチュアレスク
造園の分野では、大陸でルネサンス以降の主流となっていた整形庭園に対し、自然を取り込んだ非整形庭園が考案されました。意識的に軸組的な構成が避けられ、あたかも自然が再現されたかのように土地が造成されています。
イギリス・新古典主義からゴシック・リバイバルへ
次の様式
参考文献
西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社
美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社
西洋建築史年表
日本建築史年表
2026年5月18日
西洋絵画−印象派
舞台 フランス フランス美術は西洋絵画史の主要舞台の座を確立しました。イギリス風景画の伝統もスペイン画家ゴヤの系譜もフランスに吸収され、オランダ画家ゴッホもこの地での修行を得て覚醒しました。 背景 印象派展の開催 1874年、モネ・ルノワール・セザンヌ・ドガ・ピサロらによって、展覧会が開かれました。 彼らの作品に共通して見られる「スケッチ的な作風」から、この展覧会に集まった彼らは総称して、「印象派」と命名されることになります。 多様性に満ちた印象派グループ しかし実際のところ、彼らには明確な意味での共有さ ...
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2026年5月18日
西洋絵画−盛期ルネサンス
舞台 ローマ 1492年、芸術文化を支えたロレンツォ・デ・メディチの没後、「フィレンツェ」は、ドメニコ会修道僧サヴォナローラの支配下に置かれ、やや停滞期を迎えます。その一方で、ユリウス二世に代表される辣腕の教皇の下で、「ローマ」は活気を取り戻しました。かくして、ルネサンスの舞台は「フィレンツェからローマへ」移ります。 背景 巨匠の時代 15世紀末から16世紀初頭にかけてのおよそ30年間、一般には盛期ルネサンスと呼ばれます。この時代は、「巨匠の時代」でした。 古代や自然の超克 彼らは自らの才能を自覚し、「古 ...
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2026年5月18日
西洋絵画−マニエリスム
舞台 国際的な展開 イタリアに端を発したマニエリスムは、16世紀後半には国際的な広がりを見せます。 背景 反宗教改革に乗り出す カトリック教会が「反宗教改革」に乗り出す時代、「神秘的な表現」が求められるようになります。 絵画による奇跡体験 論理を持って「奇跡」を説明することは出来なくても、絵画の世界の中でならそれは可能になるからです。 劇的な表現の追求 それはやがて古典主義の特徴である、「穏やかさ」や「荘厳さ」、「静けさ」や「バランスの重視」に対して、より「魂の根源」に迫る表現に至りました。 ミケランジェ ...
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2026年5月18日
西洋絵画−後期印象派
一般に、スーラ・セザンヌ・ゴーギャン・ゴッホの四天王を総称して後期印象派と呼ぶことが多いです。しかし、当ブログでは個人的な趣きもあって、新印象主義(スーラ)・セザンヌ・後期印象派(その他の画家)という風に細分化しています。 舞台 フランス 印象派に続き、フランスが芸術の中心地として君臨しています。 背景 時代背景は主に新印象主義と同じです。 印象派の乗り越え 時代の寵児であった印象派も、1886年には最後の展覧会を迎え、いよいよ批判と反省の対象として乗り越えられる存在になります。 物の形を犠牲にした印象派 ...
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2026年5月18日
西洋絵画−クールベ=マネ
舞台 フランス 第二帝政期、パリの都市改革を始め、社会構造の大きな転換があったフランス。都会人の新しい生活様式などが誕生しました。 背景 産業革命・資本主義の時代 19世紀後半、いよいよ「産業革命」の成果が浸透し始め、かつ「資本主義」の波風が立ち始めました。 近代への突入 「科学技術の飛躍的な進歩」・「都市部への人口集中」・「階級対立の激化」・「西欧の世界進出に伴う異文化交流」などが、人々の日常生活に大きな影響を与えます。 近代絵画の始まり 絵画においては、クールベやマネといった近代絵画の創始者によって、 ...
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