西洋建築-イタリア・バロック

2026年10月2日

西洋建築-ビザンティン

背景 首都『コンスタンティノポリス』の誕生 330年、コンスタンティヌス大帝は、ローマ帝国の首都をギリシャの都市ビザンティウムに遷都します。その後、この都市はコンスタンティノポリスと名を改めました。 ビザンティウムに遷都したのは、ローマ帝国が内部の政治的・経済的・軍事的な問題や外敵の侵攻に直面していたためです。東方からの侵攻に備えるために、軍事上の要地でもあったこの地が選ばれました。 西洋社会の東西分裂 395年には、帝国は東西に分裂。ローマを首都とする西ローマ帝国、コンスタンティノポリスを首都とする東ロ ...

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2026年10月2日

西洋建築-ゴシック

背景 中央集権の基盤が整い始める 当時のヨーロッパは、多くの小国家や地方政府が存在し、権力の分散化が進んでいました。そんな中、国王たちは中央集権化政策を進め、自らの権力を強化し、統治の効率化を図ります。王権の強化、法律の統一、行政機構の整備、課税制度の整備などが行われました。かくして、地方領主の手中にあった統治が国王の下に回収されます。 中央集権化政策:政治的な権限や権力が中央政府に集中すること。 特に勢いがあったのは、ルイ7世です。各地の貴族や教会が持っていた法的な特権を制限することで、自身の王権強化に ...

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2026年10月2日

日本建築-近世寺院

時代背景 破壊の時代 戦国期は読んで字の如く「波乱の時代」でした。戦国大名たちによって繰り広げられる戦火の中で、多くの建物は失われて行きます。そのためこの時代は、新たな建築の生産というよりも、建築の破壊の時代でした。 渦中の寺院 幸か不幸か、当時の寺院も僧兵を構えるなど大名に比肩する勢力を誇っていたため、この争いの渦中に巻き込まれます。たとえば、延暦寺は信長の焼き討ちによって多くの建物が失われ、壊滅状態となりました。また東大寺は、松永久秀や三好三人衆らによる戦闘で戦火を被りました。 復興の時代 しかし16 ...

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2026年10月2日

日本建築-大仏様

時代背景 力をつける寺社 この時代の寺社は、各地に荘園*を持つようになり、財政的にも潤っていました。それに伴い、政治的な力も強めていきます。 荘園:領主が自らの所有する土地を農民や奴隷などに貸し出して、彼らからの税を収める経営形態。土地を借りる農民や奴隷は、作物や畜産物などの収穫物や一定の労役を支払うことによって生計を立てていました。 僧兵による武装化 寺社が権力を握る中、自分たちの力で社会を切り開き、大和国の実権を握ったのは平清盛でした。もちろん、もともと大和国での特権を保持していた南都寺院からすれば、 ...

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2026年10月2日

西洋建築-アール・ヌーヴォー

背景 新様式の準備 19世紀末、産業革命によって工業製品の生産が増え、大量生産や機械化が進む中で、人々の間に単調で機械的なデザインに対する反発が生まれていました。その代表格がアーツ・アンド・クラフツ運動です。彼らは手作りを重視することによって、自然の美しさや個性の再評価を図りました。 アーツ・アンド・クラフツはこの記事で解説 》建築-アーツ・アンド・クラフツ アーツ・アンド・クラフツ運動は、その理念こそ前進的であったものの、しかし中世主義という性格から、近代化と言える段階にまでは至れませんでした。その代わ ...

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前の様式

背景

行き過ぎた人間中心主義

ルネサンス文化を特色付けたものは人間性の再発見でした。そして、この人間性の範は古代に求められます。それゆえ人間の有限性を前提する筈でした。しかし、ルネサンス人は人間の有限性を忘れたかのように振る舞います。それはキリスト教においてさえ例外ではありませんでした。そしてこのような情勢に対する不満こそ、やがて来る宗教改革へと繋がって行くのです。

宗教改革の勃発

宗教改革の先駆けとなったのは、マルティン・ルターです。彼は「95ヶ条の論題」を掲げ、贖罪状の販売などの不正や教皇の権威主義を批判しました。

95ヶ条の論題:マルティン・ルターが1517年10月31日に公表した論文。教会が贖罪状の販売を行っていることについて批判し、キリスト教の教理に基づいた信仰に重点を置くことを主張しました。また、聖書中心主義を唱え、教皇の権威主義も批判します。この論文は当時のドイツ社会において大きな反響を呼び、ルターは教皇庁から異端者と宣言されるなどの迫害を受けましたが、一方で支持者も獲得し、プロテスタント宗教の成立につながっていきました。

ルターに続く宗教改革者は、ジャン・カルヴァンです。彼はルターと同様に、教会の腐敗や教皇の権威主義に反対し、聖書中心主義や信仰義認論を重視しました。また、神の絶対的な主権や予定説を唱えたことで有名です。

①神の絶対的な主権:人間の罪は神に対する背信であり、罪を赦す権限は神のみにあるという考え方②神があらかじめ人々の救済を決めているという考え方

その他の宗教改革者としては、ヘンリー8世も有名です。

ヘンリー8世が登場する記事》建築-イギリス・ルネサンス

宗教改革に対抗

幸いにも、教皇庁はこれらの宗教改革のおかげで自己反省の機会を得ました。教会の改革やカトリック教徒の信仰深化を目指して、内部改革が進められます。1545年から1563年にかけて、教皇パウルス3世の主導で開催されたトリエント公会議では、教義の確立や聖務の改革、司祭養成の充実、カトリック教会の教会法の体系化などが行われ、また教義上の論争や聖務の問題、教会内部の腐敗など、多岐にわたる改革課題に取り組みました。

特徴

相反するキリスト教とルネサンスの精神

キリスト教建築とルネサンス建築には、最初から相容れないものがありました。キリスト教建築は宗教的精神を必要としていたにも関わらず、ルネサンスの精神はそれと対照に理性的な性格を有していたからです。

キリスト教の再発見

そのため、バロックはルネサンス的古典を否定し、キリスト教的古典を目指すことを自らの使命としました。かくして、芸術表現は静けさから激しさへと移るのです。

造形・表現

反宗教改革の中心となった教皇は、自らの強大な権威や力を芸術表現によって示すことを求めました。そのためこの時代の様式は、分かりやすい・伝わりやすいという性格を有することになります。

感覚的な効果に訴えかける

曲線・装飾・透視図法的錯覚などを駆使して、見る人を惹きつけます。色・形・大きさなど、どれを取っても派手好みです。

豪華な装飾

イタリアバロック建築のファサードは、しばしば豪華な装飾が施されています。その多くは、宗教的なシンボルや聖書の物語などの象徴的な意味合いを持っています。

壁面に豊富な彫刻や装飾を施すことも特徴の一つです。

楕円形の平面を採用

出典元:武庫川女子大学 建築学科より引用

バロックにおいては、ルネサンス時代の端正な形よりも、楕円の平面・捻じれ柱のような曲線・歪んだ形・動きのある形が好まれました。しかし、それは古典の権威に対する反抗ではなく、決まり切った単純な形を避けようという試みでした。整合性よりも逸脱に美を見出したのです。その結果、バロックは合理的な古典主義とは対極にあるものとして位置付けられることになりました。

楕円形には、儀式性の高い集中堂式と集会に強いバシリカ式との両取りという側面もありました。儀式的な空間と収容的役割を同時に併せ持つ効果が期待されたのです。

参考文献

西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会

建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会

西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社

美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社

次の様式

西洋建築史年表

日本建築史年表

2026年10月2日

西洋絵画−北方ルネサンス

舞台 アルプス以北 イタリアでルネサンスが盛り上がりを見せていたその頃、アルプス以北の国々でも独自の流れが形成されていました。イタリア・ルネサンスと区別して、北方ルネサンスと呼ばれます。 背景 市民階級の台頭 15世紀のフランドル地方では、「毛織物工業」と「国際貿易の振興」に伴って「市民階級」が台頭して来ました。 ありのままを描く それに呼応するように、「風景画」や「風俗画」なども受け入れられるようになります。 イタリア・ルネサンスでは「古典美」を理想の範としたのに対し、北方ルネサンスは自然や人間の姿を「 ...

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2026年10月2日

西洋絵画−フランス象徴主義

印象派に並行して、象徴主義が発展 舞台 フランス 象徴主義は各国において多様な発展を遂げました。中でも大きな影響を与えたのは、フランスにおいて展開された象徴主義です。 背景 もう一つの芸術運動 19世紀後半、印象派が盛り上がりを見せていたその頃、並行して別の流れが形成されていました。 商業化する芸術 先導したのは、「科学」と「機械万能」という時代における「実利的なブルジョア精神」や、「芸術の卑俗化」に嫌気がさした画家たちです。 人間の内面を描く 彼らは、人間存在とその運命に関する「深い苦悩」・「精神性への ...

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2026年10月2日

絵画−野獣派〈フォーヴィスム〉

著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」・「非営利目的」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 フランス 産業革命以来、急速な進歩によりもたらされた「世界の拡大化」は、多種多様な芸術運動の下、「専門化」・「分化」を押し進めました。そんな中で、新しい視覚体験が模索されます。そして、色彩の面で大きな変革が起きたのはフランスでした。 背景 野獣派結成のきっかけ ...

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2026年10月2日

西洋絵画−盛期ルネサンス

舞台 ローマ 1492年、芸術文化を支えたロレンツォ・デ・メディチの没後、「フィレンツェ」は、ドメニコ会修道僧サヴォナローラの支配下に置かれ、やや停滞期を迎えます。その一方で、ユリウス二世に代表される辣腕の教皇の下で、「ローマ」は活気を取り戻しました。かくして、ルネサンスの舞台は「フィレンツェからローマへ」移ります。 背景 巨匠の時代 15世紀末から16世紀初頭にかけてのおよそ30年間、一般には盛期ルネサンスと呼ばれます。この時代は、「巨匠の時代」でした。 古代や自然の超克 彼らは自らの才能を自覚し、「古 ...

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2026年10月2日

西洋絵画−ドイツ表現主義

著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 ドイツ これまでフランスに押され気味であまり活躍の場がなかったドイツでしたが、遂に自国を始点とする芸術運動の波風が立ち始めます。というのも、「近代化」を急激に進めて行ったドイツでは、それだけ社会に対する不満も生まれやすく、「苦しみを表現する画家」たちを産むには最適な土壌だったか ...

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-西洋建築史