日本建築-飛鳥・奈良(寺院)

2026年7月2日

西洋建築-イギリス・新古典主義

フランスに並んで、イギリスではその頃 背景 古典主義の逸脱 バロックからロココの時期にかけて、「正統的な古典主義」の逸脱という傾向が著しく目立つようになりました。 それに対する批判が、来る新古典主義を用意したのです。 新古典主義の台頭 そして、新古典主義は18世紀の半ば頃から「バロック」・「ロココ」を駆逐し始め、18世紀後半には、時代を支配して行きます。 啓蒙思想による裏付け この背景には、「啓蒙思想」の興隆がありました。 人々の間で、物事を「分析的」・「経験的」・「実証的」に、いわば「合理的」に捉えよう ...

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2026年7月2日

日本建築-外国人居留地

時代背景 日米和親条約 1853年、日本とアメリカとの間で「日米和親条約」が結ばれると、日本近海への西洋船の来訪が増加しました。しかしこの条約にはアメリカ有利の条項*が盛り込まれていたため、日本側の不満は高まって行きます。 アメリカの船が日本の港に寄港する際、日本の法律や手続きを拒否することができました。また、アメリカ船の乗組員が日本人に対して犯罪行為を行った場合でも、アメリカの法律が適用されるという条項が盛り込まれていました。 これに対して、幕府は自国の主権を守るために「異国船打払令」を出しました。この ...

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2026年7月2日

西洋建築-アーツ・アンド・クラフツ

背景 分業体制の始まり 19世紀後半のイギリスでは、産業革命によって工業化が進み、工業製品の需要も高まっていました。それに伴い、機械による大量生産や標準化が進む一方で、工芸品や手仕事の価値は低下していきます。 モリスが立ち上がる 機械的かつ分業的な生産方式を強いられる現状に、一人の男が声を挙げました。我らがW・モリスです。彼は機械による大量生産や標準化に反対し、手仕事や伝統工芸品の価値の再評価を図ったのです。 彼は芸術を労働における人間の悦びの表現であると主張しました。そして物作りの労働が悦びと感じられる ...

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2026年7月2日

西洋建築-デ・ステイル

背景 第一次世界大戦後 第一次世界大戦後、各国の経済は混乱し、人々の価値観や生活様式も変化しました。ストライキやデモなども行われるようになり、社会変革が急務となります。これは戦争に参加しなかったオランダにおいても例外ではありませんでした。 オランダは、中立を守ることによって国内の平和を維持しようとしました。しかし周辺諸国の経済的混乱や政治的変化の影響を受けないわけには行かず、大量の難民や貧困層、失業者などを抱え、経済的・社会的な不安定さが続きます。そんな中、社会主義的な政策や労働者の権利擁護が唱えられるの ...

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2026年7月2日

西洋建築-ロマネスク

背景 カロリング帝国の建国 768年には国王として、800年には皇帝として君臨したカール大帝は、カロリング帝国*の永華を築きました。その支配域は、現在でいうフランス・ドイツ・イタリアに及びます。そしてカール大帝の下で、文化・経済・宗教が発展し、また教育・行政などの制度も整備されました。 カロリング帝国:8世紀から9世紀にかけて、フランク王国を統一し、大きな領土を支配したフランク王朝の王族であるカロリング家によって建国された帝国。 カロリング帝国の分裂と西洋社会の混乱 しかしカール大帝の死後、カロリング帝国 ...

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前の様式

時代背景

仏教の伝来

六世紀半ば頃、仏教が百済から日本に伝来*しました。その教えが持ち込まれると同時に、それを体現する場として寺院建築が必要になり、それに由来して仏教建築の新技術が持ち込まれます。

聖明(百済の王子)は、日本の皇室との外交関係を深めるために、日本に渡来し仏教を伝えたとされています。

仏教を受け入れるか、拒否するか

ただ、仏教は満場一致で受け入れられた訳ではありませんでした。いわゆる、「排仏派」と「崇仏派」に分かれます。

国際情勢に明るい蘇我氏は賛成

主に「崇仏」を主張したのは、渡来人勢力との関係が強く、国際情勢に明るかった蘇我氏です。東アジアの諸国が崇仏している事実から、日本も仏教を受容するべきであると考えました。

伝統に保守的な物部氏は反対

一方で排仏を主張したのは、原始信仰との繋がりが深かった物部氏です。物部氏は原始信仰を大切にし、守り続けた氏族のひとつでした。そのため、仏教の受容は国神の怒りを買うのではないかと恐れ、これに反対したのです。

ただし、物部氏の内部でも、「原始信仰を重んじる派」と「儒教や仏教に傾倒する派」という風に、意見が割れていました。そのため、排仏の動きは物部氏の内輪もめから生じたという見方も出来ます。

決着は蘇我氏に軍配

仏教の導入によって、中国や朝鮮半島から新しい知識や技術を獲得し、政治・文化の発展に成功した蘇我氏は、仏教を排斥して保守的な姿勢をとっていた物部氏に対して優位にありました。蘇我氏は国家行事に仏教的な要素を取り入れ、権力の一元化にも成功します。一方物部氏の方は内輪もめが絶えず、仏教を信仰する者や、蘇我氏に味方する者も現れるなど、一枚岩にはなれませんでした。結局この差が勝敗を分けることになり、587年、蘇我氏側の勝利で幕を閉じます。これによって、仏教受容の素地が整ったのです。

様式の特徴

寺院建築の始まり

仏教の伝来・受容は、東アジア各国との交流の始まりを意味していました。そしてその東アジアにおいて自国の力を示すために、寺院建築が建設されるようになります。最新の仏教文化を取り入れた壮麗な寺院を備えることは、国力を内外に示すことになるからです。

技術者の渡来

これまで自国になかった寺院を造営するには、まずその技術者を必要としました。そのため、百済から技術者が渡来してきます。彼らとの交流によって、飛鳥寺や四天王寺が建てられるのでした。

造形・特徴

仏教では、「仏」・「法」・「僧」を三宝として重視します。「仏」は悟りを体現した者、「法」は仏の教えを説いた経典経巻、「僧」は法を学ぶ仏弟子です。これをそれぞれ建築に換言してみましょう。

仏=「金堂」「塔」

唐招提寺金堂

仏像を納める「金堂」は、もちろん仏を象徴する建物です。

薬師寺東塔

「塔」は仏舎利(釈迦の遺骨)を納めるための建物なので、これも仏を象徴しています。

法=「講堂」「経蔵」「鐘楼」

唐招提寺講堂

仏教の教えを学ぶための建物である「講堂」は、法に分類できます。

唐招提寺経蔵

教えを記した経典を納めておく「経蔵」も、法に分類できるでしょう。

唐招提寺鐘楼

時を告げる「鐘楼」も、私たちに教えてくれる存在なので、法を象徴します。

僧=「食堂」「僧房」

薬師寺食堂

僧が食事を取るための「食堂」は、僧に分類されます。

薬師寺僧房

僧侶が居住するための「僧房」も、僧に分類されます。

伽藍配置

以上に挙げた七つを総称して、「七堂伽藍」といい、伽藍における位置関係を「伽藍配置」といいます。「伽藍配置」は、施主の要望はもちろん、時代性なども反映します。

飛鳥時代の伽藍配置

飛鳥時代の伽藍配置では、「物舎利を納めた塔」・「仏教儀礼に重要な金堂」が伽藍の中心に置かれます。

飛鳥寺

出典元:県民だより

釈迦の骨が祀ってある「塔」を取り囲むような形で、「三つの金堂」が建っています。これは高句麗などに類例のある形で、朝鮮半島の伽藍形式がそのまま持ち込まれたといわれています。

四天王寺

伽藍の中軸に「金堂」・その前に「塔」が置かれています。これは百済の王興寺や軍守里廃寺と共通する形式で、このことから百済との交流が密接であった様子が伺えます。

法隆寺

出典元:法隆寺

回廊で囲まれた一画に、「金堂」・「塔」が並立しています。

本薬師寺

これまでは、一つの伽藍に一基の「塔」でしたが、薬師寺では「塔」が二基並べられました。

奈良時代の伽藍配置

奈良時代になると、法会*が重視されるようになり、その際に必要とされる「金堂」と、「金堂の前の空間」が大事になりました。

法会:僧侶や信徒が集まって、仏法を説いたり供養を行う

興福寺

「中金堂の前庭」を回廊が囲み、「五重塔」は回廊の外側に置かれました。

参考文献

日本建築史講義|著.海野聡|学芸出版社

建物が語る日本の歴史|著.海野聡|吉川弘文館

建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会

日本建築様式史|監修・太田博太郎|美術出版社

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西洋建築史年表

日本建築史年表

2026年7月2日

西洋絵画−初期ルネサンス

西洋絵画史の始まり 西洋絵画史の精神は「人間性の自覚」にある、というのが私の基本的な考えの立場です。そのため、当ブログでは、初期ルネサンスを西洋絵画史の始まりとします。 舞台 フィレンツェ 初期ルネサンスの舞台は、市民階級がいち早く台頭したイタリアの商業都市「フィレンツェ」です。 時代背景 キリスト教世界のほころび 中世ヨーロッパ社会は、これまで精神的にはキリスト教に支えられてきました。しかし、このキリスト教観というのは、人間を神の摂理にのみ従う下僕として、その限りにおいて人生の意義を認めるものでした。そ ...

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2026年7月2日

西洋絵画−盛期ルネサンス

舞台 ローマ 1492年、芸術文化を支えたロレンツォ・デ・メディチの没後、「フィレンツェ」は、ドメニコ会修道僧サヴォナローラの支配下に置かれ、やや停滞期を迎えます。その一方で、ユリウス二世に代表される辣腕の教皇の下で、「ローマ」は活気を取り戻しました。かくして、ルネサンスの舞台は「フィレンツェからローマへ」移ります。 背景 巨匠の時代 15世紀末から16世紀初頭にかけてのおよそ30年間、一般には盛期ルネサンスと呼ばれます。この時代は、「巨匠の時代」でした。 古代や自然の超克 彼らは自らの才能を自覚し、「古 ...

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2026年7月2日

西洋絵画−新印象主義

舞台 フランス 印象派に続き、フランスが芸術の中心地として君臨しています。 背景 印象派の乗り越え 時代の寵児であった印象派も、1886年には最後の展覧会を迎え、いよいよ批判と反省の対象として乗り越えられる存在になります。 物の形を犠牲にした印象派 「分析的な手法」を得意とした印象派は、物の「形態感」や「存在感」を失ってしまうという欠点を抱えていました。 新たな活路 印象派の色彩理論に共感しつつもこの弊害を重く見た後代の画家たちは、ここに新たな活路を見出します。 特徴と画家 求めすぎた理想 印象派は「光の ...

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2026年7月2日

西洋絵画−マニエリスム

舞台 国際的な展開 イタリアに端を発したマニエリスムは、16世紀後半には国際的な広がりを見せます。 背景 反宗教改革に乗り出す カトリック教会が「反宗教改革」に乗り出す時代、「神秘的な表現」が求められるようになります。 絵画による奇跡体験 論理を持って「奇跡」を説明することは出来なくても、絵画の世界の中でならそれは可能になるからです。 劇的な表現の追求 それはやがて古典主義の特徴である、「穏やかさ」や「荘厳さ」、「静けさ」や「バランスの重視」に対して、より「魂の根源」に迫る表現に至りました。 ミケランジェ ...

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2026年7月2日

西洋絵画−北方ルネサンス

舞台 アルプス以北 イタリアでルネサンスが盛り上がりを見せていたその頃、アルプス以北の国々でも独自の流れが形成されていました。イタリア・ルネサンスと区別して、北方ルネサンスと呼ばれます。 背景 市民階級の台頭 15世紀のフランドル地方では、「毛織物工業」と「国際貿易の振興」に伴って「市民階級」が台頭して来ました。 ありのままを描く それに呼応するように、「風景画」や「風俗画」なども受け入れられるようになります。 イタリア・ルネサンスでは「古典美」を理想の範としたのに対し、北方ルネサンスは自然や人間の姿を「 ...

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-日本建築史