2026年9月30日
西洋建築史年表
古代ギリシャ|西洋建築の精神は、古代ギリシャを範とするところから始まります。その意味で、西洋建築史の出発点に相応しいと言えるでしょう パルテノン神殿 古代ローマ|「栄光の都」ローマ帝国という舞台は、古代ギリシャ建築とキリスト教建築の架け橋となりました コロッセウム闘技場 初期キリスト|西洋建築の代名詞、「教会建築」はここから始まります バシリカ式 集中堂式 ビザンティン|政治的な東西分裂は、建築様式にも影響を及ぼしました ハギア・ソフィア ロマネスク|別名「地方様式」とも言われるロマネスクは、各地の風土に ...
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2026年9月30日
日本建築-天守閣
時代背景 大名と張り合う寺院勢力 この時代の有力寺社(東大寺・興福寺・延暦寺など)は、荘園による寺社領の保持・僧兵による武装化によって、絶大な影響力・軍事力を誇っていました。寺社は戦国大名に比肩する一大勢力だったのです。 外来文化による破壊 そんな中、キリスト教の布教や交易のため、ヨーロッパ諸国から日本への来訪が増加します。これによって、多くの文化が持ち込まれました。フランシスコ・ザビエルなどがその例で、新文化の影響を受けた日本人にとっては、既存の世界観や価値観が打ち壊されることになりました。 芽生える火 ...
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2026年9月30日
日本建築-大衆寺院
時代背景 寺院にも自営が求められる 18世紀に入る頃には、幕府や諸藩の財政は悪化し、寺社の造営を行う力を失っていました。そのため、各寺社は自らでの資金調達を迫られます。その方法として、「開帳」「勧化」など、民衆から銭を集めるための行事に力を注ぎます。 行事の集金化 「開帳」は本来、寺社の秘仏などを開扉して、人々と神仏を結縁する宗教行為でした。しかし、財政に困っていた寺院は、「開帳」を堂舎の建立や修理費用のための集金事業として活用するようになったのです。 経済力を身につけた民衆 寺院が疲弊していた一方で、民 ...
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2026年9月30日
西洋建築-マニエリスム
時代背景 ローマの没落 1527年、ローマ劫掠が勃発。教皇クレメンス7世と対立していたスペイン皇帝カール5世は、ランツクネヒト*を雇って、ローマを占領・略奪させました。そして激しい略奪・虐殺にあったローマでは、多くの市民が命を失い、教皇クレメンス7世も逃亡を余儀なくされました。かくしてローマは政治的・経済的に弱体化し、周辺の大国から支配されるようになって行くのです。 ランツクネヒト:15世紀から16世紀にかけて、主にドイツ圏で編成された傭兵部隊の一種。戦術に長けており、近代戦術の先駆けとも称されました。 ...
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2026年9月30日
日本建築-浄土教
時代背景 末法思想の流行 平安時代には密教が広まり、仏教の信仰はますます篤くなっていった一方で、「末法思想」というものが流行していきます。 末法思想:釈尊の教えが失われていき、正法の世界から像法の世界を経て末法になっていくという考え方で、それは釈尊入滅後1500年から始まるとされていました。 浄土への憧れ 当時の人々にとって、末法時代の到来は、ある意味「世界崩壊」を意識させるものでした。そして、現世にもう望みがないのなら、あの世での幸せを願おう、と人々は強く願うようになります。その拠り所となったのが「極楽 ...
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時代背景
天皇中心の国作り
645年に始まる「大化の改新」の流れを汲み、天武天皇は強力な軍事政権の樹立を図りました。律令制度の整備や中央集権化を進め、地方豪族の独立性を抑えます。
大化の改新:天皇中心の国作りを目指した一連の改革
その際に彼が利用したのは、「神道」でした。「神道」を国教として定め、神社を統一的に管理することで、天皇の威光と神格化を図ったのです。
この時代、すでに仏教も伝来していましたが、古代日本の政治権力は、神々との関係性を重んじることで正統性を獲得することができたという背景もあり、仏教ではなく神道が選ばれました。
律令的神祇体制
そもそも古代日本においては、神々が宿るとされる自然現象や物事に対して信仰や崇拝が行われていました。しかしこれらの信仰や崇拝は、その地域や家族ごとに異なっていました。そのため国家の形成にあたっては、異なる信仰を統合し、神社を一元的に管理する必要性が生じます。そこで神社の管理や神職の任免、祭祀の規定などを定める「神祇制度*」によって、神道の組織化を進めたのです。
神祇制度:古代日本において、神道を組織化し、神社を管理するために設けられた制度。全国の祭祀施設にそれぞれ等級を設け、諸国の神々を天皇の支配下に位置付ける。
「神祇制度」において頂点に据えられたのは、最高神・天照大御神*を祀る「伊勢神宮」でした。伊勢神宮を頂点として、官社の体制が成立したのです。
天照大御神:天地創造の神であり、他の神々を生み出す存在。また、神々と人々の仲介者としての役割も担っています。そのため、日本の神道において最高神とされています。
政治に利用される宗教
このような一連の流れは、在来の神祇信仰を継承したというよりは、天武朝の皇祖神話の確立を機に、在来信仰の一部を天皇中心に再構築しようする政治的なプログラムでした。
様式の特徴
仏教の対抗馬としての神道
仏教が隆盛を極めるなか、日本の既存宗教であった神道においても、有力な神社が出現していました。仏教に対抗するかのように、神社では在来的な技法が用いられ、意識的に仏教的な要素が排除されます。
農耕生活で生まれた自然崇拝
そんな彼らの信仰は、いわば自然崇拝のようなものでした。それというのも、農耕中心の社会では、日照や雨など、自然の影響を大きく受けるからです。それは次第に、自然への畏怖や感謝へと変わり、やがて信仰の対象となっていくのでした。
神への感謝
自然を畏怖したり、感謝したり、そのような気持ちから、神に祈願あるいは感謝の意を捧げる祭りなどが行われるようになります。このような慣行が、神社建築を生むきっかけとなりました。
特徴
神社といえば、本殿があり、その中に神を祀るというのが一般的です。しかし、神道では元々、大きな山・泉が湧く場所・大木・大岩など、自然物を崇拝の対象としていたため、神を祀るための建築(神殿)は必ずしも必要とはされませんでした。実際に、神を祀る神殿がない神社もあります。
三輪山
奈良の大神神社は、三輪山を御神体とし、その拝所として神社が建てられました。
これとは別の系統で、屋代というものがあります。
登呂遺跡・高床倉庫
これは家屋に似た工作物を置き、ここに神が宿るとするのです。
ただし、現存の神社の体制はこの2つの系統とは別で、律令制による管理の下で発展してきました。
仏教伝来以前の技法を使う
日本の在来宗教にとって、大陸から持ち込まれた仏教建築の華やかさ・きらびやかさは脅威でした。その対抗手段として、復古的な意匠を用い、古い伝統を意図的に示すことで、差別化を図ります。視覚的に仏教建築と差別化することで、神社建築の独自性を確立しようとしたのでした。
宇治上神社本殿
その特徴としては、「切妻造の屋根」「非瓦葺」「堀立柱」「組物の不使用」などが挙げられます。また、材料もほぼ自然そのままの状態で使用することで、素朴かつ崇高な雰囲気を目指しました。
「柱」への信仰
特に日本では、柱への強い信仰があります。太い木が立っていることへの信仰が強く、諏訪大社の御柱や伊勢神宮の心御柱などがその例です。
諏訪大社・御柱
「心御柱」は構造的には不要ですが、宗教的な象徴として用いられました。「神秘性」や「禁忌性」を放ちます。
式年造替
神社建築は、一度建てたものを壊れるまで維持していくのではなく、定期的なサイクルで建て替えていきます。これによって、神の場所を定期的に綺麗にすることを大事にしていたのです。ただし、建て替えとはいっても、それは必ず同じ形で継承されていきます。すなわち、古式が遵守されるのです。古式は主に三つに分類されます。唯一神明造・大社造・住吉造です。それぞれ解説していきます。
唯一神明造
伊勢神宮内宮正殿・復元
反りのない切妻造の茅葺の平入屋根で、太い柱は地中に埋められ、高い床を張っています。直線的に構成されており、簡素でありながらも力強さを兼ね備えているのが魅力の一つです。
大社造
出雲大社・復元模型
通常、柱間は奇数になるよう意識され、建物の中軸に柱が置かれないようにしますが、出雲大社は二間(偶数)で構成されているため、正面中央に柱が置かれました。それに伴い、正面の大きな階段は、建物の中央ではなく、右に寄った位置に取り付けられました。
住吉造
住吉大社
住吉造は、心御柱を持ちません。四つの本宮からなり、第一本宮から第三本宮を直線的に並べ、第四本宮は第三本宮と並列に配置されました。比較的細長い平面で、内部は手前の背後の二室に分かれています。
廂が付くか、否か
上に挙げた三つの造りは、いずれも「廂の付かない形式」です。対して、「身体舎に廂が付くもの」として、「流造」と「春日造」の二つが挙げられます。また、柱の建て方にも違いがあり、先に挙げた三者は「地面の上に直接」柱が建てられているのに対し、後の二者は「土台の上に」柱を建てられました。
流造
賀茂御祖神社・西本殿
「流造」の場合、「廂は平側」に付けられました。
春日造
松尾神社本殿
「春日造」の場合、「廂は妻側」に付けられました。また、この建物では「疎垂木」という方法が使われていて、垂木は疎らに置かれています。対して、垂木が密に置かれたものを「密垂木」といいます。
疎垂木
円成寺春日堂・白山堂
「疎垂木」の例としては、上の写真、円成寺春日堂・白山堂が典型です。組物が使用されており、仏教建築からの影響も伺えます。いずれにしても、すのこ縁が正面側にだけ付けられているというのは共通です。正面に廂と階段が付き、これによって正面性が強調されました。
八幡造
また、もう一つの別例として、八幡造も有名です。
石清水八幡宮
「八幡造」では、2棟の切妻造の建物がくっ付く形で並べられました。そして、楼門と回廊で本殿を囲む社頭の構成は、後の神社に大きな影響を及ぼすことになります。
参考文献
日本建築史講義|著.海野聡|学芸出版社
建物が語る日本の歴史|著.海野聡|吉川弘文館
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
日本建築様式史|監修・太田博太郎|美術出版社
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日本建築史年表
2026年9月30日
西洋絵画−フランス・新古典主義絵画
舞台 フランス 革命期からナポレオン時代にかけてのフランス。ナポレオンは絵画を、自らの理念の「プロパガンダ」として活用しました。そのため、絵画は記録的な意味合いを強めます。 背景 軽快なロココに対する反動 18世紀後半、「快楽主義的」で「感覚的」なロココ様式に対する反動として、美は表面的なものでなく「崇高」なものであると考える傾向が強まります。 崇高さを追求 そして、「装飾趣味」や「官能的な裸婦像」に代わって、「形而上的な内容」や「簡素で壮大な形態感覚」を備える古典美術が範とされました。 特徴と画家 相次 ...
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2026年9月30日
西洋絵画−ロマン主義
舞台 フランス 革命期から王政復古期にかけてのフランス。新古典主義が絵画の主導権を握っていた一方で、その「静的で厳粛な様式」は、人の心を真に動かす力に欠けていました。そんな中、絵画に再び「動き」を取り戻そうという流れが形成されます。 背景 ヨーロッパ各国の独立意識 「フランス革命」・「ナポレオンの侵略」という二つの事件をきっかけに、各国は「自我」に目覚めます。 古代ローマという西欧各国における「共通の祖先」から、「自国の歴史」・「風土」へと関心が移ったのです。 プロパガンダとしての絵画 ナポレオンの第一帝 ...
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2026年9月30日
西洋絵画−フランス・バロック
舞台 フランス 太陽王ルイ14世が主権権を握る「絶対王政期」のフランスもまた、芸術の舞台となりました。自国の土壌で独自の様式を形成して行きます。 背景 フランスへ輸入 イタリア起源のバロックは、国境を超えてフランスにも広がりました。 伝統を守るフランス しかしフランスでのバロックは、主に前時代様式の否定として展開されて来た各地のバロックと異なり、「古典主義」的な傾向を保ちます。 それというのも、古典尊重のルイ王朝は「古代ローマを美術の範」としたからです。 王立アカデミーの設立 また、王立アカデミーの存在に ...
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2026年9月30日
西洋絵画−フランス象徴主義
印象派に並行して、象徴主義が発展 舞台 フランス 象徴主義は各国において多様な発展を遂げました。中でも大きな影響を与えたのは、フランスにおいて展開された象徴主義です。 背景 もう一つの芸術運動 19世紀後半、印象派が盛り上がりを見せていたその頃、並行して別の流れが形成されていました。 商業化する芸術 先導したのは、「科学」と「機械万能」という時代における「実利的なブルジョア精神」や、「芸術の卑俗化」に嫌気がさした画家たちです。 人間の内面を描く 彼らは、人間存在とその運命に関する「深い苦悩」・「精神性への ...
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2026年9月30日
西洋絵画−後期印象派
一般に、スーラ・セザンヌ・ゴーギャン・ゴッホの四天王を総称して後期印象派と呼ぶことが多いです。しかし、当ブログでは個人的な趣きもあって、新印象主義(スーラ)・セザンヌ・後期印象派(その他の画家)という風に細分化しています。 舞台 フランス 印象派に続き、フランスが芸術の中心地として君臨しています。 背景 時代背景は主に新印象主義と同じです。 印象派の乗り越え 時代の寵児であった印象派も、1886年には最後の展覧会を迎え、いよいよ批判と反省の対象として乗り越えられる存在になります。 物の形を犠牲にした印象派 ...
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