日本建築-飛鳥・奈良(神社)

2026年7月2日

西洋建築-ビザンティン

背景 首都『コンスタンティノポリス』の誕生 330年、コンスタンティヌス大帝は、ローマ帝国の首都をギリシャの都市ビザンティウムに遷都します。その後、この都市はコンスタンティノポリスと名を改めました。 ビザンティウムに遷都したのは、ローマ帝国が内部の政治的・経済的・軍事的な問題や外敵の侵攻に直面していたためです。東方からの侵攻に備えるために、軍事上の要地でもあったこの地が選ばれました。 西洋社会の東西分裂 395年には、帝国は東西に分裂。ローマを首都とする西ローマ帝国、コンスタンティノポリスを首都とする東ロ ...

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2026年7月2日

西洋建築-インターナショナル・スタイル

背景 近代芸術の到達点 アーツ・アンド・クラフツ運動*から始まった近代芸術運動は、当初は手工業に重点を置きながらも、デ・ステイル*やドイツ工作連盟*などを経て、機能主義にたどりつきました。 アーツ・アンド・クラフツ運動:機械生産による大量生産と標準化が進む一方で、一つ一つの製品としての質は悪化してしまいます。これに対し、手仕事や伝統工芸品を再評価することによって、製品の質を向上させることを目的としました。 デ・ステイル:芸術によって人々の生活環境を改善しようとした点はアーツ・アンド・クラフツ運動と同様です ...

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2026年7月2日

日本建築-外国人居留地

時代背景 日米和親条約 1853年、日本とアメリカとの間で「日米和親条約」が結ばれると、日本近海への西洋船の来訪が増加しました。しかしこの条約にはアメリカ有利の条項*が盛り込まれていたため、日本側の不満は高まって行きます。 アメリカの船が日本の港に寄港する際、日本の法律や手続きを拒否することができました。また、アメリカ船の乗組員が日本人に対して犯罪行為を行った場合でも、アメリカの法律が適用されるという条項が盛り込まれていました。 これに対して、幕府は自国の主権を守るために「異国船打払令」を出しました。この ...

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2026年7月2日

日本建築-天守閣

時代背景 大名と張り合う寺院勢力 この時代の有力寺社(東大寺・興福寺・延暦寺など)は、荘園による寺社領の保持・僧兵による武装化によって、絶大な影響力・軍事力を誇っていました。寺社は戦国大名に比肩する一大勢力だったのです。 外来文化による破壊 そんな中、キリスト教の布教や交易のため、ヨーロッパ諸国から日本への来訪が増加します。これによって、多くの文化が持ち込まれました。フランシスコ・ザビエルなどがその例で、新文化の影響を受けた日本人にとっては、既存の世界観や価値観が打ち壊されることになりました。 芽生える火 ...

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2026年7月2日

西洋建築-デ・ステイル

背景 第一次世界大戦後 第一次世界大戦後、各国の経済は混乱し、人々の価値観や生活様式も変化しました。ストライキやデモなども行われるようになり、社会変革が急務となります。これは戦争に参加しなかったオランダにおいても例外ではありませんでした。 オランダは、中立を守ることによって国内の平和を維持しようとしました。しかし周辺諸国の経済的混乱や政治的変化の影響を受けないわけには行かず、大量の難民や貧困層、失業者などを抱え、経済的・社会的な不安定さが続きます。そんな中、社会主義的な政策や労働者の権利擁護が唱えられるの ...

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時代背景

天皇中心の国作り

645年に始まる「大化の改新」の流れを汲み、天武天皇は強力な軍事政権の樹立を図りました。律令制度の整備や中央集権化を進め、地方豪族の独立性を抑えます。

大化の改新:天皇中心の国作りを目指した一連の改革

その際に彼が利用したのは、「神道」でした。「神道」を国教として定め、神社を統一的に管理することで、天皇の威光と神格化を図ったのです。

この時代、すでに仏教も伝来していましたが、古代日本の政治権力は、神々との関係性を重んじることで正統性を獲得することができたという背景もあり、仏教ではなく神道が選ばれました。

律令的神祇体制

そもそも古代日本においては、神々が宿るとされる自然現象や物事に対して信仰や崇拝が行われていました。しかしこれらの信仰や崇拝は、その地域や家族ごとに異なっていました。そのため国家の形成にあたっては、異なる信仰を統合し、神社を一元的に管理する必要性が生じます。そこで神社の管理や神職の任免、祭祀の規定などを定める「神祇制度*」によって、神道の組織化を進めたのです。

神祇制度:古代日本において、神道を組織化し、神社を管理するために設けられた制度。全国の祭祀施設にそれぞれ等級を設け、諸国の神々を天皇の支配下に位置付ける。

「神祇制度」において頂点に据えられたのは、最高神・天照大御神*を祀る「伊勢神宮」でした。伊勢神宮を頂点として、官社の体制が成立したのです。

天照大御神:天地創造の神であり、他の神々を生み出す存在。また、神々と人々の仲介者としての役割も担っています。そのため、日本の神道において最高神とされています。

政治に利用される宗教

このような一連の流れは、在来の神祇信仰を継承したというよりは、天武朝の皇祖神話の確立を機に、在来信仰の一部を天皇中心に再構築しようする政治的なプログラムでした。

様式の特徴

仏教の対抗馬としての神道

仏教が隆盛を極めるなか、日本の既存宗教であった神道においても、有力な神社が出現していました。仏教に対抗するかのように、神社では在来的な技法が用いられ、意識的に仏教的な要素が排除されます。

農耕生活で生まれた自然崇拝

そんな彼らの信仰は、いわば自然崇拝のようなものでした。それというのも、農耕中心の社会では、日照や雨など、自然の影響を大きく受けるからです。それは次第に、自然への畏怖や感謝へと変わり、やがて信仰の対象となっていくのでした。

神への感謝

自然を畏怖したり、感謝したり、そのような気持ちから、神に祈願あるいは感謝の意を捧げる祭りなどが行われるようになります。このような慣行が、神社建築を生むきっかけとなりました。

特徴

神社といえば、本殿があり、その中に神を祀るというのが一般的です。しかし、神道では元々、大きな山・泉が湧く場所・大木・大岩など、自然物を崇拝の対象としていたため、神を祀るための建築(神殿)は必ずしも必要とはされませんでした。実際に、神を祀る神殿がない神社もあります。

三輪山

奈良の大神神社は、三輪山を御神体とし、その拝所として神社が建てられました。

これとは別の系統で、屋代というものがあります。

登呂遺跡・高床倉庫

これは家屋に似た工作物を置き、ここに神が宿るとするのです。

ただし、現存の神社の体制はこの2つの系統とは別で、律令制による管理の下で発展してきました。

仏教伝来以前の技法を使う

日本の在来宗教にとって、大陸から持ち込まれた仏教建築の華やかさ・きらびやかさは脅威でした。その対抗手段として、復古的な意匠を用い、古い伝統を意図的に示すことで、差別化を図ります。視覚的に仏教建築と差別化することで、神社建築の独自性を確立しようとしたのでした。

宇治上神社本殿

その特徴としては、「切妻造の屋根」「非瓦葺」「堀立柱」「組物の不使用」などが挙げられます。また、材料もほぼ自然そのままの状態で使用することで、素朴かつ崇高な雰囲気を目指しました。

「柱」への信仰

特に日本では、柱への強い信仰があります。太い木が立っていることへの信仰が強く、諏訪大社の御柱や伊勢神宮の心御柱などがその例です。

諏訪大社・御柱

「心御柱」は構造的には不要ですが、宗教的な象徴として用いられました。「神秘性」や「禁忌性」を放ちます。

式年造替

神社建築は、一度建てたものを壊れるまで維持していくのではなく、定期的なサイクルで建て替えていきます。これによって、神の場所を定期的に綺麗にすることを大事にしていたのです。ただし、建て替えとはいっても、それは必ず同じ形で継承されていきます。すなわち、古式が遵守されるのです。古式は主に三つに分類されます。唯一神明造・大社造・住吉造です。それぞれ解説していきます。

唯一神明造

伊勢神宮内宮正殿・復元

出典元:伊勢神宮

反りのない切妻造の茅葺の平入屋根で、太い柱は地中に埋められ、高い床を張っています。直線的に構成されており、簡素でありながらも力強さを兼ね備えているのが魅力の一つです。

大社造

出雲大社・復元模型

出典元:國學院大學

通常、柱間は奇数になるよう意識され、建物の中軸に柱が置かれないようにしますが、出雲大社は二間(偶数)で構成されているため、正面中央に柱が置かれました。それに伴い、正面の大きな階段は、建物の中央ではなく、右に寄った位置に取り付けられました。

住吉造

住吉大社

住吉造は、心御柱を持ちません。四つの本宮からなり、第一本宮から第三本宮を直線的に並べ、第四本宮は第三本宮と並列に配置されました。比較的細長い平面で、内部は手前の背後の二室に分かれています。

廂が付くか、否か

上に挙げた三つの造りは、いずれも「廂の付かない形式」です。対して、「身体舎に廂が付くもの」として、「流造」と「春日造」の二つが挙げられます。また、柱の建て方にも違いがあり、先に挙げた三者は「地面の上に直接」柱が建てられているのに対し、後の二者は「土台の上に」柱を建てられました。

流造

賀茂御祖神社・西本殿

「流造」の場合、「廂は平側」に付けられました。

春日造

松尾神社本殿

「春日造」の場合、「廂は妻側」に付けられました。また、この建物では「疎垂木」という方法が使われていて、垂木は疎らに置かれています。対して、垂木が密に置かれたものを「密垂木」といいます。

疎垂木

円成寺春日堂・白山堂

「疎垂木」の例としては、上の写真、円成寺春日堂・白山堂が典型です。組物が使用されており、仏教建築からの影響も伺えます。いずれにしても、すのこ縁が正面側にだけ付けられているというのは共通です。正面に廂と階段が付き、これによって正面性が強調されました。

八幡造

また、もう一つの別例として、八幡造も有名です。

石清水八幡宮

「八幡造」では、2棟の切妻造の建物がくっ付く形で並べられました。そして、楼門と回廊で本殿を囲む社頭の構成は、後の神社に大きな影響を及ぼすことになります。

参考文献

日本建築史講義|著.海野聡|学芸出版社

建物が語る日本の歴史|著.海野聡|吉川弘文館

建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会

日本建築様式史|監修・太田博太郎|美術出版社

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西洋建築史年表

日本建築史年表

2026年7月2日

西洋絵画−クールベ=マネ

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2026年7月2日

絵画−野獣派〈フォーヴィスム〉

著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」・「非営利目的」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 フランス 産業革命以来、急速な進歩によりもたらされた「世界の拡大化」は、多種多様な芸術運動の下、「専門化」・「分化」を押し進めました。そんな中で、新しい視覚体験が模索されます。そして、色彩の面で大きな変革が起きたのはフランスでした。 背景 野獣派結成のきっかけ ...

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2026年7月2日

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2026年7月2日

西洋絵画−フランス・新古典主義絵画

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-日本建築史