2026年7月2日
西洋建築-イギリス・新古典主義
フランスに並んで、イギリスではその頃 背景 古典主義の逸脱 バロックからロココの時期にかけて、「正統的な古典主義」の逸脱という傾向が著しく目立つようになりました。 それに対する批判が、来る新古典主義を用意したのです。 新古典主義の台頭 そして、新古典主義は18世紀の半ば頃から「バロック」・「ロココ」を駆逐し始め、18世紀後半には、時代を支配して行きます。 啓蒙思想による裏付け この背景には、「啓蒙思想」の興隆がありました。 人々の間で、物事を「分析的」・「経験的」・「実証的」に、いわば「合理的」に捉えよう ...
ReadMore
2026年7月2日
西洋建築-マニエリスム
時代背景 ローマの没落 1527年、ローマ劫掠が勃発。教皇クレメンス7世と対立していたスペイン皇帝カール5世は、ランツクネヒト*を雇って、ローマを占領・略奪させました。そして激しい略奪・虐殺にあったローマでは、多くの市民が命を失い、教皇クレメンス7世も逃亡を余儀なくされました。かくしてローマは政治的・経済的に弱体化し、周辺の大国から支配されるようになって行くのです。 ランツクネヒト:15世紀から16世紀にかけて、主にドイツ圏で編成された傭兵部隊の一種。戦術に長けており、近代戦術の先駆けとも称されました。 ...
ReadMore
2026年7月2日
西洋建築-ウィーン・ゼツェッション
背景 ハンガリー帝国の情勢 ウィーン・ゼツェッションは、1903年にオーストリア=ハンガリー帝国*の首都ウィーンで結成されたグループです。オーストリア=ハンガリー帝国は複数の民族や国家が集合した多民族国家であったため、深刻な民族問題を抱えていました。 ハンガリー帝国:中央ヨーロッパにかつて存在した帝国。現在のハンガリー、スロバキア、クロアチア、セルビア、ルーマニア、ウクライナ、オーストリアなどの地域を含んでいました。ハプスブルク家の君主がハンガリー王位を兼ねていたことから、オーストリア=ハンガリー帝国とし ...
ReadMore
2026年7月2日
西洋建築-ゴシック・リヴァイバル
背景 啓蒙主義の台頭 17世紀から18世紀にかけてのヨーロッパでは、啓蒙主義が席感していました。啓蒙主義は、合理性や科学性を重視し、人間は理性的に考えるべきだと主張します。そのため、古典主義的な芸術や文化と相性が良く、古代ギリシャ・ローマの美学が模範となります。 しかし啓蒙主義が進展するにつれて、過度に理性を重視する考えに疑問を持つ人々が現れました。たとえば芸術においては、人間の感情や内面世界を無視して外面的な表現に囚われている節があり、また決まりきった規則や格式に基づくものが多く、個性や独創性が抑制する ...
ReadMore
2026年7月2日
日本建築-密教
時代背景 仏教と政治 この時代、仏教は政治と深い関係にありました*。また、寺院は政治的・官僚的な組織を形成していました*。そのため、寺院が勢力を強めて行くに従い、政治を左右する存在になって行きます。時には天皇位の簒奪さえも企てられました。かくして、政治に対する仏教の影響は看破できないものとなっていくのです。 仏教と政治:仏教伝来の当初、僧侶は天皇家に仕え、国家を守護する役割を担っていました。そのため、天皇家や貴族から保護を受けるようになります。彼ら政治権力者たちの思惑は、仏教を利用して自らの権威や権力を確 ...
ReadMore
時代背景
天皇中心の国作り
645年に始まる「大化の改新」の流れを汲み、天武天皇は強力な軍事政権の樹立を図りました。律令制度の整備や中央集権化を進め、地方豪族の独立性を抑えます。
大化の改新:天皇中心の国作りを目指した一連の改革
その際に彼が利用したのは、「神道」でした。「神道」を国教として定め、神社を統一的に管理することで、天皇の威光と神格化を図ったのです。
この時代、すでに仏教も伝来していましたが、古代日本の政治権力は、神々との関係性を重んじることで正統性を獲得することができたという背景もあり、仏教ではなく神道が選ばれました。
律令的神祇体制
そもそも古代日本においては、神々が宿るとされる自然現象や物事に対して信仰や崇拝が行われていました。しかしこれらの信仰や崇拝は、その地域や家族ごとに異なっていました。そのため国家の形成にあたっては、異なる信仰を統合し、神社を一元的に管理する必要性が生じます。そこで神社の管理や神職の任免、祭祀の規定などを定める「神祇制度*」によって、神道の組織化を進めたのです。
神祇制度:古代日本において、神道を組織化し、神社を管理するために設けられた制度。全国の祭祀施設にそれぞれ等級を設け、諸国の神々を天皇の支配下に位置付ける。
「神祇制度」において頂点に据えられたのは、最高神・天照大御神*を祀る「伊勢神宮」でした。伊勢神宮を頂点として、官社の体制が成立したのです。
天照大御神:天地創造の神であり、他の神々を生み出す存在。また、神々と人々の仲介者としての役割も担っています。そのため、日本の神道において最高神とされています。
政治に利用される宗教
このような一連の流れは、在来の神祇信仰を継承したというよりは、天武朝の皇祖神話の確立を機に、在来信仰の一部を天皇中心に再構築しようする政治的なプログラムでした。
様式の特徴
仏教の対抗馬としての神道
仏教が隆盛を極めるなか、日本の既存宗教であった神道においても、有力な神社が出現していました。仏教に対抗するかのように、神社では在来的な技法が用いられ、意識的に仏教的な要素が排除されます。
農耕生活で生まれた自然崇拝
そんな彼らの信仰は、いわば自然崇拝のようなものでした。それというのも、農耕中心の社会では、日照や雨など、自然の影響を大きく受けるからです。それは次第に、自然への畏怖や感謝へと変わり、やがて信仰の対象となっていくのでした。
神への感謝
自然を畏怖したり、感謝したり、そのような気持ちから、神に祈願あるいは感謝の意を捧げる祭りなどが行われるようになります。このような慣行が、神社建築を生むきっかけとなりました。
特徴
神社といえば、本殿があり、その中に神を祀るというのが一般的です。しかし、神道では元々、大きな山・泉が湧く場所・大木・大岩など、自然物を崇拝の対象としていたため、神を祀るための建築(神殿)は必ずしも必要とはされませんでした。実際に、神を祀る神殿がない神社もあります。
三輪山
奈良の大神神社は、三輪山を御神体とし、その拝所として神社が建てられました。
これとは別の系統で、屋代というものがあります。
登呂遺跡・高床倉庫
これは家屋に似た工作物を置き、ここに神が宿るとするのです。
ただし、現存の神社の体制はこの2つの系統とは別で、律令制による管理の下で発展してきました。
仏教伝来以前の技法を使う
日本の在来宗教にとって、大陸から持ち込まれた仏教建築の華やかさ・きらびやかさは脅威でした。その対抗手段として、復古的な意匠を用い、古い伝統を意図的に示すことで、差別化を図ります。視覚的に仏教建築と差別化することで、神社建築の独自性を確立しようとしたのでした。
宇治上神社本殿
その特徴としては、「切妻造の屋根」「非瓦葺」「堀立柱」「組物の不使用」などが挙げられます。また、材料もほぼ自然そのままの状態で使用することで、素朴かつ崇高な雰囲気を目指しました。
「柱」への信仰
特に日本では、柱への強い信仰があります。太い木が立っていることへの信仰が強く、諏訪大社の御柱や伊勢神宮の心御柱などがその例です。
諏訪大社・御柱
「心御柱」は構造的には不要ですが、宗教的な象徴として用いられました。「神秘性」や「禁忌性」を放ちます。
式年造替
神社建築は、一度建てたものを壊れるまで維持していくのではなく、定期的なサイクルで建て替えていきます。これによって、神の場所を定期的に綺麗にすることを大事にしていたのです。ただし、建て替えとはいっても、それは必ず同じ形で継承されていきます。すなわち、古式が遵守されるのです。古式は主に三つに分類されます。唯一神明造・大社造・住吉造です。それぞれ解説していきます。
唯一神明造
伊勢神宮内宮正殿・復元
反りのない切妻造の茅葺の平入屋根で、太い柱は地中に埋められ、高い床を張っています。直線的に構成されており、簡素でありながらも力強さを兼ね備えているのが魅力の一つです。
大社造
出雲大社・復元模型
通常、柱間は奇数になるよう意識され、建物の中軸に柱が置かれないようにしますが、出雲大社は二間(偶数)で構成されているため、正面中央に柱が置かれました。それに伴い、正面の大きな階段は、建物の中央ではなく、右に寄った位置に取り付けられました。
住吉造
住吉大社
住吉造は、心御柱を持ちません。四つの本宮からなり、第一本宮から第三本宮を直線的に並べ、第四本宮は第三本宮と並列に配置されました。比較的細長い平面で、内部は手前の背後の二室に分かれています。
廂が付くか、否か
上に挙げた三つの造りは、いずれも「廂の付かない形式」です。対して、「身体舎に廂が付くもの」として、「流造」と「春日造」の二つが挙げられます。また、柱の建て方にも違いがあり、先に挙げた三者は「地面の上に直接」柱が建てられているのに対し、後の二者は「土台の上に」柱を建てられました。
流造
賀茂御祖神社・西本殿
「流造」の場合、「廂は平側」に付けられました。
春日造
松尾神社本殿
「春日造」の場合、「廂は妻側」に付けられました。また、この建物では「疎垂木」という方法が使われていて、垂木は疎らに置かれています。対して、垂木が密に置かれたものを「密垂木」といいます。
疎垂木
円成寺春日堂・白山堂
「疎垂木」の例としては、上の写真、円成寺春日堂・白山堂が典型です。組物が使用されており、仏教建築からの影響も伺えます。いずれにしても、すのこ縁が正面側にだけ付けられているというのは共通です。正面に廂と階段が付き、これによって正面性が強調されました。
八幡造
また、もう一つの別例として、八幡造も有名です。
石清水八幡宮
「八幡造」では、2棟の切妻造の建物がくっ付く形で並べられました。そして、楼門と回廊で本殿を囲む社頭の構成は、後の神社に大きな影響を及ぼすことになります。
参考文献
日本建築史講義|著.海野聡|学芸出版社
建物が語る日本の歴史|著.海野聡|吉川弘文館
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
日本建築様式史|監修・太田博太郎|美術出版社
次の様式
西洋建築史年表
日本建築史年表
2026年7月2日
西洋絵画−フランス・ロココ
舞台 フランス 絵画史の中でも、特にロココは時代区分の難しい様式です。そもそもロココとバロックの区分を認めない説もあります。そのため当ブログでは、ロココの特徴が最も顕著に現れている、フランスで展開されたロココのみを取り扱います。 背景 絶対王政に陰りが見え始める 「太陽王ルイ14世」は、神から与えられた王権の行使者としての役割を演じることの出来た「最後の王」でした。 それというのも、1715年に彼が他界すると、その絶対王政にも陰りが見え始め、「貴族等の側近勢力が台頭」して来たからです。 太陽王からの開放 ...
ReadMore
2026年7月2日
西洋絵画−オランダ・バロック
舞台 オランダ 16世紀末、「プロテスタント」勢力の強かったフランドル地方の北部にて、「スペイン領からの独立」を果たした新教国、オランダが誕生しました。 背景 イタリアからオランダへ輸入 イタリア起源のバロックは、国境を超えてオランダにも広がりました。 プロテスタントの国 オランダ共和国として独立を果たし、「東インド会社等の国際貿易」により、目覚ましい「経済発展」を遂げたオランダは、その経済力を背景にオランダ独自の「市民文化」を繁栄させていました。 「プロテスタントの国」であったオランダでは、「教会よりも ...
ReadMore
2026年7月2日
西洋絵画−フランス象徴主義
印象派に並行して、象徴主義が発展 舞台 フランス 象徴主義は各国において多様な発展を遂げました。中でも大きな影響を与えたのは、フランスにおいて展開された象徴主義です。 背景 もう一つの芸術運動 19世紀後半、印象派が盛り上がりを見せていたその頃、並行して別の流れが形成されていました。 商業化する芸術 先導したのは、「科学」と「機械万能」という時代における「実利的なブルジョア精神」や、「芸術の卑俗化」に嫌気がさした画家たちです。 人間の内面を描く 彼らは、人間存在とその運命に関する「深い苦悩」・「精神性への ...
ReadMore
2026年7月2日
西洋絵画−ヴェネツィア派
舞台 ヴェネツィア ローマで盛期ルネサンスが盛り上がりを見せていたその頃、東方とヨーロッパを結ぶ貿易で富を蓄積したヴェネツィアでは、別のルネサンスが誕生していました。一般に、ヴェネツィア派と呼ばれるものです。 背景 裕福な市民が誕生 ヴェネツィアでは、教会や市当局だけでなく、富裕で教養ある個人からの注文も盛んになりました。 個人受けする作品が流行 彼らは、伝統的な物語の著述よりも「感覚的な魅力」を要求します。 そのため、主題の重要性以上に、「鑑賞者が満足する」ような作品が好まれました。 特徴と画家 鮮やか ...
ReadMore
2026年7月2日
西洋絵画−初期ルネサンス
西洋絵画史の始まり 西洋絵画史の精神は「人間性の自覚」にある、というのが私の基本的な考えの立場です。そのため、当ブログでは、初期ルネサンスを西洋絵画史の始まりとします。 舞台 フィレンツェ 初期ルネサンスの舞台は、市民階級がいち早く台頭したイタリアの商業都市「フィレンツェ」です。 時代背景 キリスト教世界のほころび 中世ヨーロッパ社会は、これまで精神的にはキリスト教に支えられてきました。しかし、このキリスト教観というのは、人間を神の摂理にのみ従う下僕として、その限りにおいて人生の意義を認めるものでした。そ ...
ReadMore