日本建築-縄文・弥生

2026年9月30日

日本建築-黄檗宗

時代背景 黄檗宗を輸入 徳川幕府による鎖国の時代、外国との接触は制限されていました。しかし、大陸からの新しい影響がまったくなくなったわけではありません。1654年、明から渡来した隠元によって、禅宗の一派「黄檗宗」が持ち込まれます。そして四代目将軍・徳川家綱の加護を受け、1661年に宇治の万福寺を開きました。 黄檗宗は、禅宗の中でも実践的な哲学を重視しました。宗教的な理論や論理的思考よりも、自己の実践によって真理を理解することを目指します。 黄檗宗は、中国の禅宗である黄檗派と日本の臨済宗や曹洞宗が合流して誕 ...

ReadMore

2026年9月30日

西洋建築-イギリス・新古典主義

フランスに並んで、イギリスではその頃 背景 古典主義の逸脱 バロックからロココの時期にかけて、「正統的な古典主義」の逸脱という傾向が著しく目立つようになりました。 それに対する批判が、来る新古典主義を用意したのです。 新古典主義の台頭 そして、新古典主義は18世紀の半ば頃から「バロック」・「ロココ」を駆逐し始め、18世紀後半には、時代を支配して行きます。 啓蒙思想による裏付け この背景には、「啓蒙思想」の興隆がありました。 人々の間で、物事を「分析的」・「経験的」・「実証的」に、いわば「合理的」に捉えよう ...

ReadMore

2026年9月30日

西洋建築-デ・ステイル

背景 第一次世界大戦後 第一次世界大戦後、各国の経済は混乱し、人々の価値観や生活様式も変化しました。ストライキやデモなども行われるようになり、社会変革が急務となります。これは戦争に参加しなかったオランダにおいても例外ではありませんでした。 オランダは、中立を守ることによって国内の平和を維持しようとしました。しかし周辺諸国の経済的混乱や政治的変化の影響を受けないわけには行かず、大量の難民や貧困層、失業者などを抱え、経済的・社会的な不安定さが続きます。そんな中、社会主義的な政策や労働者の権利擁護が唱えられるの ...

ReadMore

2026年9月30日

西洋建築-フランス・新古典主義

背景 ヨーロッパ随一の絶対主義国家 フランスは17世紀後半、ルイ14世の時代を持って王権が頂点に達し、ヨーロッパ随一の絶対主義国家に成長しました。ルイ14世は絶対王政下で全権を握り、貴族や教会、一般市民にも厳しい統制を加えます。そして中央集権的な行政組織を整備し、強大な軍事力を築きました。 しかしその一方で、ルイ14世の統治による莫大な財政負担や、貴族・教会の排除などに対する不満は蓄積していきます。 ルイ14世亡き後は、ルイ15世が即位し、専制政治を引き継ぎましたが、この時にはすでに王権の権威は低下してお ...

ReadMore

2026年9月30日

西洋建築-ロココ

背景 ルイ14世と貴族 ルイ14世は、フランスの絶対王政期において、貴族たちを自身の権力の下に統制しようと努めました。彼は貴族たちに対して、彼らが持つ領地や特権を管理する役割を与え、その責任を負わせます。また、貴族たちに対して軍隊への奉仕も求めました。しかし、貴族たちが軍隊に奉仕することを嫌がったため、ルイ14世は貴族たちを厳しく取り締まることを余儀なくされました。 宮廷文化 宮廷文化を重んじていたルイ14世は、貴族たちを宮廷に招待して自分の側に置くことで、自身の権力強化を図ります。宮廷に招待された貴族た ...

ReadMore

時代背景

移動生活

縄文時代は、狩猟・採集の社会です。季節ごとに、動物の移動や植生の変化を追いかけながら、河川の周辺や台地の縁辺部で食べ物を獲得し生活していました。

農耕によって定住が可能に

弥生時代に入り、水稲農耕が広まっていくと、移動生活(狩猟・採集)から定住生活(農耕)へと変化しました。この変化による建築的な変化は、たとえば、場所選びに現れます。これまでは水被害を避けて、台地や丘陵が選ばれていたのに対し、水田に水を引くために水の便が良い場所が好まれるようになったのです。

貧富の差が生まれる

農耕文化が成熟すると、やがて生産力も発展し、人口も増加していきました。これによって労働力が増すと同時に、農耕以外の支配者層も出てきます。それに伴い、食物の備蓄による富の偏在・権力の集中が生じ、貧富の差が顕在化していくことになりました。

政治・軍事の要請

貧富の差が浮き彫りになるにつれ、頻発するようになったのは収奪です。政治的・軍事的な対策が必要になったのは、まさにこの時でした。

国の誕生

人口増加につれ、集落が形成されたり、また集落同士が集まって地域社会を築いたり、最終的には地域同士で連合を組み、倭国が誕生しました。これが三世紀頃の出来事で、その中心となったのは、卑弥呼が治める邪馬台国です。

天皇集権

五世紀になると、連合的な政治形態から、大王を中心とする体制へ移行し、天皇への集権が確立されます。

造形・特徴

建物の長寿化

移動式の生活から定住式の生活へと変化したことにより、仮の住まいとしてではなく、長期的な目線で建築されるようになりました。これによって建物は長寿化します。そして誕生したのが竪穴住居です。

竪穴住居

地面を掘って、そこに柱を立て、屋根をかけます。この構法は堀立柱といわれ、柱の根本を直接土中に埋めて柱を自立させました。

竪穴「住居」といいつつも、実は集会所や祭祀施設であった可能性もあります。

堀立柱

この堀立柱には、建物内部にも柱を用いる場合(側柱)と、建物内部には柱を立てず、外周のみとする場合(総柱)がありました。内部に用いる柱(側柱)には、主に構造的な要因よりも、意匠的な要因が強かったといわれています。

炉で暖をとる

調理をしたり、暖を取る目的で、炉が設けられました。その際の煙は、煙道を作って排煙することもあれば、屋内に煙出し、燻しをしたとも考えられています。

富の蓄積

定住生活に伴い、富の蓄積が始まりました。それに由来して、収穫物を保管するための建物が必要になります。

高床倉庫

湿気・害虫・略奪に備えるために発明された高床倉庫ですが、この倉庫は機能の面とは別に、富の象徴としての意味を持ち、格式や権威を放っていました。

また、農耕には高い土木技術が求められました。そのため、労働力の編成とそれを統制する者が必須となります。かくして、「体を使った労働」と「頭脳を使った労働」という役割分担が生じるようになったのです。このことによって、農耕に従事しなくてもよい身分が生まれ、階層的な社会が形成されました。

巨大・モニュメント性

この階層社会は、富の集中と労働力の掌握によって、建築の形に巨大化や荘厳化という影響を与えました。富や権力の集中は、権力の象徴としての建築を要請したのです。

主祭殿

集落

一般的には、集落は十棟程度の竪穴住居・倉庫・少し離れた墓地で構成されています。また、集落の中には複数の村同士が集まって大規模化するものもあり、集落の周りに濠を廻らせていたことから、環濠集落と呼ばれます。

吉野ヶ里歴史公園

周濠

周囲に大きな溝を掘ることで、物理的には外的・害獣から集落を防御し、精神的には祭祀施設や住宅地域などの区画として、汚れた場所と聖なる場所の境としていました。その他、集落の湿気除去やごみ捨て場であったなどともいわれています。

参考文献

日本建築史講義|著.海野聡|学芸出版社

建物が語る日本の歴史|著.海野聡|吉川弘文館

建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会

日本建築様式史|監修・太田博太郎|美術出版社

次の様式

西洋建築史年表

日本建築史年表

2026年9月30日

西洋絵画−初期ルネサンス

西洋絵画史の始まり 西洋絵画史の精神は「人間性の自覚」にある、というのが私の基本的な考えの立場です。そのため、当ブログでは、初期ルネサンスを西洋絵画史の始まりとします。 舞台 フィレンツェ 初期ルネサンスの舞台は、市民階級がいち早く台頭したイタリアの商業都市「フィレンツェ」です。 時代背景 キリスト教世界のほころび 中世ヨーロッパ社会は、これまで精神的にはキリスト教に支えられてきました。しかし、このキリスト教観というのは、人間を神の摂理にのみ従う下僕として、その限りにおいて人生の意義を認めるものでした。そ ...

ReadMore

2026年9月30日

西洋絵画−ドイツ表現主義

著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 ドイツ これまでフランスに押され気味であまり活躍の場がなかったドイツでしたが、遂に自国を始点とする芸術運動の波風が立ち始めます。というのも、「近代化」を急激に進めて行ったドイツでは、それだけ社会に対する不満も生まれやすく、「苦しみを表現する画家」たちを産むには最適な土壌だったか ...

ReadMore

2026年9月30日

西洋絵画−立体派〈キュビズム〉

著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 フランス 産業革命以来、急速な進歩によりもたらされた「世界の拡大化」は、多種多様な芸術運動の下、「専門化」・「分化」を押し進めました。そんな中で、新しい視覚体験が模索されます。そして、「形態」と「構成」の面で大きな変革が起きたのはフランスでした。 背景 感覚派から知性派へ 野獣 ...

ReadMore

2026年9月30日

西洋絵画−ヴェネツィア派

舞台 ヴェネツィア ローマで盛期ルネサンスが盛り上がりを見せていたその頃、東方とヨーロッパを結ぶ貿易で富を蓄積したヴェネツィアでは、別のルネサンスが誕生していました。一般に、ヴェネツィア派と呼ばれるものです。 背景 裕福な市民が誕生 ヴェネツィアでは、教会や市当局だけでなく、富裕で教養ある個人からの注文も盛んになりました。 個人受けする作品が流行 彼らは、伝統的な物語の著述よりも「感覚的な魅力」を要求します。 そのため、主題の重要性以上に、「鑑賞者が満足する」ような作品が好まれました。 特徴と画家 鮮やか ...

ReadMore

2026年9月30日

西洋絵画−盛期ルネサンス

舞台 ローマ 1492年、芸術文化を支えたロレンツォ・デ・メディチの没後、「フィレンツェ」は、ドメニコ会修道僧サヴォナローラの支配下に置かれ、やや停滞期を迎えます。その一方で、ユリウス二世に代表される辣腕の教皇の下で、「ローマ」は活気を取り戻しました。かくして、ルネサンスの舞台は「フィレンツェからローマへ」移ります。 背景 巨匠の時代 15世紀末から16世紀初頭にかけてのおよそ30年間、一般には盛期ルネサンスと呼ばれます。この時代は、「巨匠の時代」でした。 古代や自然の超克 彼らは自らの才能を自覚し、「古 ...

ReadMore

-日本建築史