日本建築-飛鳥・奈良(寺院)

2025年10月3日

日本建築-縄文・弥生

時代背景 移動生活 縄文時代は、狩猟・採集の社会です。季節ごとに、動物の移動や植生の変化を追いかけながら、河川の周辺や台地の縁辺部で食べ物を獲得し生活していました。 農耕によって定住が可能に 弥生時代に入り、水稲農耕が広まっていくと、移動生活(狩猟・採集)から定住生活(農耕)へと変化しました。この変化による建築的な変化は、たとえば、場所選びに現れます。これまでは水被害を避けて、台地や丘陵が選ばれていたのに対し、水田に水を引くために水の便が良い場所が好まれるようになったのです。 貧富の差が生まれる 農耕文化 ...

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2025年10月3日

西洋建築-ドイツ工作連盟

背景 アーツ・アンド・クラフツの影響 1907年、イギリスで始まった「アーツ・アンド・クラフツ運動*」の影響が、ドイツでは、「ドイツ工作連盟」の結成として表れます。彼らは、産業生産において芸術的な要素を取り入れることが重要であると信じ、芸術と工業の融合を目指しました。 アーツ・アンド・クラフツ運動:工芸品の制作において、芸術と工業を融合させることを目指した運動 アーツ・アンド・クラフツ運動では、手工業や小規模な工場に焦点を当てていた*ため、大量生産には対応できないという欠点を抱えていました。これに対し、ド ...

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2025年10月3日

西洋建築-アール・ヌーヴォー

背景 新様式の準備 19世紀末、産業革命によって工業製品の生産が増え、大量生産や機械化が進む中で、人々の間に単調で機械的なデザインに対する反発が生まれていました。その代表格がアーツ・アンド・クラフツ運動です。彼らは手作りを重視することによって、自然の美しさや個性の再評価を図りました。 アーツ・アンド・クラフツはこの記事で解説 》建築-アーツ・アンド・クラフツ アーツ・アンド・クラフツ運動は、その理念こそ前進的であったものの、しかし中世主義という性格から、近代化と言える段階にまでは至れませんでした。その代わ ...

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2025年10月3日

西洋建築-ドイツ表現主義

背景 第一次世界大戦 1914年6月28日、オーストリア皇太子夫妻がセルビアの首都ベオグラードで暗殺されるという事件が起こります。これをきっかけに、オーストリア=ハンガリー帝国はセルビアに宣戦布告しました。そしてオーストリア=ハンガリー帝国の後ろ盾となっていたドイツも、この戦争へ参加することになります。 当初のドイツは、急速に発展し、経済的・軍事的な力を蓄えていたため、早期に勝利すると楽観的に考えられていました。しかし戦争の泥沼化によって戦況は逆転し、最終的には敗戦という結果を迎えます。 敗戦後のドイツ ...

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2025年10月3日

西洋建築-フランス・バロック

時代背景 ブルジョワ階級の台頭 フランスはアンリ4世の治世の下、ようやく政治的にも経済的にも安定した時代を迎えました。そしてこの安定期の中で、新興ブルジョワ階級が台頭してきます。彼らは商業・手工業・金融などで成功を収めた人々であり、血統による身分制度ではなく、自らの実績や成功によって社会的地位を確立しようとしました。 また、アンリ4世は彼らの支持を受けて王位に就いたこともあって、ブルジョワ階級の代表者を重用したり、商工業者や金融業者の権利を保障する政策を進めました。彼らに対して特権や称号を与え、社会的地位 ...

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前の様式

時代背景

仏教の伝来

六世紀半ば頃、仏教が百済から日本に伝来*しました。その教えが持ち込まれると同時に、それを体現する場として寺院建築が必要になり、それに由来して仏教建築の新技術が持ち込まれます。

聖明(百済の王子)は、日本の皇室との外交関係を深めるために、日本に渡来し仏教を伝えたとされています。

仏教を受け入れるか、拒否するか

ただ、仏教は満場一致で受け入れられた訳ではありませんでした。いわゆる、「排仏派」と「崇仏派」に分かれます。

国際情勢に明るい蘇我氏は賛成

主に「崇仏」を主張したのは、渡来人勢力との関係が強く、国際情勢に明るかった蘇我氏です。東アジアの諸国が崇仏している事実から、日本も仏教を受容するべきであると考えました。

伝統に保守的な物部氏は反対

一方で排仏を主張したのは、原始信仰との繋がりが深かった物部氏です。物部氏は原始信仰を大切にし、守り続けた氏族のひとつでした。そのため、仏教の受容は国神の怒りを買うのではないかと恐れ、これに反対したのです。

ただし、物部氏の内部でも、「原始信仰を重んじる派」と「儒教や仏教に傾倒する派」という風に、意見が割れていました。そのため、排仏の動きは物部氏の内輪もめから生じたという見方も出来ます。

決着は蘇我氏に軍配

仏教の導入によって、中国や朝鮮半島から新しい知識や技術を獲得し、政治・文化の発展に成功した蘇我氏は、仏教を排斥して保守的な姿勢をとっていた物部氏に対して優位にありました。蘇我氏は国家行事に仏教的な要素を取り入れ、権力の一元化にも成功します。一方物部氏の方は内輪もめが絶えず、仏教を信仰する者や、蘇我氏に味方する者も現れるなど、一枚岩にはなれませんでした。結局この差が勝敗を分けることになり、587年、蘇我氏側の勝利で幕を閉じます。これによって、仏教受容の素地が整ったのです。

様式の特徴

寺院建築の始まり

仏教の伝来・受容は、東アジア各国との交流の始まりを意味していました。そしてその東アジアにおいて自国の力を示すために、寺院建築が建設されるようになります。最新の仏教文化を取り入れた壮麗な寺院を備えることは、国力を内外に示すことになるからです。

技術者の渡来

これまで自国になかった寺院を造営するには、まずその技術者を必要としました。そのため、百済から技術者が渡来してきます。彼らとの交流によって、飛鳥寺や四天王寺が建てられるのでした。

造形・特徴

仏教では、「仏」・「法」・「僧」を三宝として重視します。「仏」は悟りを体現した者、「法」は仏の教えを説いた経典経巻、「僧」は法を学ぶ仏弟子です。これをそれぞれ建築に換言してみましょう。

仏=「金堂」「塔」

唐招提寺金堂

仏像を納める「金堂」は、もちろん仏を象徴する建物です。

薬師寺東塔

「塔」は仏舎利(釈迦の遺骨)を納めるための建物なので、これも仏を象徴しています。

法=「講堂」「経蔵」「鐘楼」

唐招提寺講堂

仏教の教えを学ぶための建物である「講堂」は、法に分類できます。

唐招提寺経蔵

教えを記した経典を納めておく「経蔵」も、法に分類できるでしょう。

唐招提寺鐘楼

時を告げる「鐘楼」も、私たちに教えてくれる存在なので、法を象徴します。

僧=「食堂」「僧房」

薬師寺食堂

僧が食事を取るための「食堂」は、僧に分類されます。

薬師寺僧房

僧侶が居住するための「僧房」も、僧に分類されます。

伽藍配置

以上に挙げた七つを総称して、「七堂伽藍」といい、伽藍における位置関係を「伽藍配置」といいます。「伽藍配置」は、施主の要望はもちろん、時代性なども反映します。

飛鳥時代の伽藍配置

飛鳥時代の伽藍配置では、「物舎利を納めた塔」・「仏教儀礼に重要な金堂」が伽藍の中心に置かれます。

飛鳥寺

出典元:県民だより

釈迦の骨が祀ってある「塔」を取り囲むような形で、「三つの金堂」が建っています。これは高句麗などに類例のある形で、朝鮮半島の伽藍形式がそのまま持ち込まれたといわれています。

四天王寺

伽藍の中軸に「金堂」・その前に「塔」が置かれています。これは百済の王興寺や軍守里廃寺と共通する形式で、このことから百済との交流が密接であった様子が伺えます。

法隆寺

出典元:法隆寺

回廊で囲まれた一画に、「金堂」・「塔」が並立しています。

本薬師寺

これまでは、一つの伽藍に一基の「塔」でしたが、薬師寺では「塔」が二基並べられました。

奈良時代の伽藍配置

奈良時代になると、法会*が重視されるようになり、その際に必要とされる「金堂」と、「金堂の前の空間」が大事になりました。

法会:僧侶や信徒が集まって、仏法を説いたり供養を行う

興福寺

「中金堂の前庭」を回廊が囲み、「五重塔」は回廊の外側に置かれました。

参考文献

日本建築史講義|著.海野聡|学芸出版社

建物が語る日本の歴史|著.海野聡|吉川弘文館

建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会

日本建築様式史|監修・太田博太郎|美術出版社

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西洋建築史年表

日本建築史年表

2025年10月3日

西洋絵画−ヴェネツィア派

舞台 ヴェネツィア ローマで盛期ルネサンスが盛り上がりを見せていたその頃、東方とヨーロッパを結ぶ貿易で富を蓄積したヴェネツィアでは、別のルネサンスが誕生していました。一般に、ヴェネツィア派と呼ばれるものです。 背景 裕福な市民が誕生 ヴェネツィアでは、教会や市当局だけでなく、富裕で教養ある個人からの注文も盛んになりました。 個人受けする作品が流行 彼らは、伝統的な物語の著述よりも「感覚的な魅力」を要求します。 そのため、主題の重要性以上に、「鑑賞者が満足する」ような作品が好まれました。 特徴と画家 鮮やか ...

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2025年10月3日

西洋絵画−イタリア・バロック

舞台 イタリア 16世紀後半のイタリア、おおよそ芸術活動の低迷期に入っていました。しかし、カラヴァッジョの活躍によって、ローマで新たな盛り上がりを見せます。その後、カラヴァッジョ様式は国際的な広がりを見せました。(本記事では、イタリアに比較的近しい展開を見せたフランドル・スペインも一緒に取り上げます) 背景 宗教改革に対抗するカトリック教会 カトリック協会の免罪符を直接のきっかけに、「宗教改革」が勃発。離れていった信者の心を取り戻すため、カトリック教会は「反宗教改革」に乗り出しました。 分かり易さを武器に ...

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2025年10月3日

西洋絵画−初期ルネサンス

西洋絵画史の始まり 西洋絵画史の精神は「人間性の自覚」にある、というのが私の基本的な考えの立場です。そのため、当ブログでは、初期ルネサンスを西洋絵画史の始まりとします。 舞台 フィレンツェ 初期ルネサンスの舞台は、市民階級がいち早く台頭したイタリアの商業都市「フィレンツェ」です。 時代背景 キリスト教世界のほころび 中世ヨーロッパ社会は、これまで精神的にはキリスト教に支えられてきました。しかし、このキリスト教観というのは、人間を神の摂理にのみ従う下僕として、その限りにおいて人生の意義を認めるものでした。そ ...

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2025年10月3日

西洋絵画−フランス・新古典主義絵画

舞台 フランス 革命期からナポレオン時代にかけてのフランス。ナポレオンは絵画を、自らの理念の「プロパガンダ」として活用しました。そのため、絵画は記録的な意味合いを強めます。 背景 軽快なロココに対する反動 18世紀後半、「快楽主義的」で「感覚的」なロココ様式に対する反動として、美は表面的なものでなく「崇高」なものであると考える傾向が強まります。 崇高さを追求 そして、「装飾趣味」や「官能的な裸婦像」に代わって、「形而上的な内容」や「簡素で壮大な形態感覚」を備える古典美術が範とされました。 特徴と画家 相次 ...

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2025年10月3日

西洋絵画−フランス・ロココ

舞台 フランス 絵画史の中でも、特にロココは時代区分の難しい様式です。そもそもロココとバロックの区分を認めない説もあります。そのため当ブログでは、ロココの特徴が最も顕著に現れている、フランスで展開されたロココのみを取り扱います。 背景 絶対王政に陰りが見え始める 「太陽王ルイ14世」は、神から与えられた王権の行使者としての役割を演じることの出来た「最後の王」でした。 それというのも、1715年に彼が他界すると、その絶対王政にも陰りが見え始め、「貴族等の側近勢力が台頭」して来たからです。 太陽王からの開放 ...

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-日本建築史