西洋建築-イタリア・バロック

2025年8月19日

西洋建築-マニエリスム

時代背景 ローマの没落 1527年、ローマ劫掠が勃発。教皇クレメンス7世と対立していたスペイン皇帝カール5世は、ランツクネヒト*を雇って、ローマを占領・略奪させました。そして激しい略奪・虐殺にあったローマでは、多くの市民が命を失い、教皇クレメンス7世も逃亡を余儀なくされました。かくしてローマは政治的・経済的に弱体化し、周辺の大国から支配されるようになって行くのです。 ランツクネヒト:15世紀から16世紀にかけて、主にドイツ圏で編成された傭兵部隊の一種。戦術に長けており、近代戦術の先駆けとも称されました。 ...

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2025年8月19日

日本建築-浄土教

時代背景 末法思想の流行 平安時代には密教が広まり、仏教の信仰はますます篤くなっていった一方で、「末法思想」というものが流行していきます。 末法思想:釈尊の教えが失われていき、正法の世界から像法の世界を経て末法になっていくという考え方で、それは釈尊入滅後1500年から始まるとされていました。 浄土への憧れ 当時の人々にとって、末法時代の到来は、ある意味「世界崩壊」を意識させるものでした。そして、現世にもう望みがないのなら、あの世での幸せを願おう、と人々は強く願うようになります。その拠り所となったのが「極楽 ...

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2025年8月19日

西洋建築-ロマネスク

背景 カロリング帝国の建国 768年には国王として、800年には皇帝として君臨したカール大帝は、カロリング帝国*の永華を築きました。その支配域は、現在でいうフランス・ドイツ・イタリアに及びます。そしてカール大帝の下で、文化・経済・宗教が発展し、また教育・行政などの制度も整備されました。 カロリング帝国:8世紀から9世紀にかけて、フランク王国を統一し、大きな領土を支配したフランク王朝の王族であるカロリング家によって建国された帝国。 カロリング帝国の分裂と西洋社会の混乱 しかしカール大帝の死後、カロリング帝国 ...

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2025年8月19日

日本建築-天守閣

時代背景 大名と張り合う寺院勢力 この時代の有力寺社(東大寺・興福寺・延暦寺など)は、荘園による寺社領の保持・僧兵による武装化によって、絶大な影響力・軍事力を誇っていました。寺社は戦国大名に比肩する一大勢力だったのです。 外来文化による破壊 そんな中、キリスト教の布教や交易のため、ヨーロッパ諸国から日本への来訪が増加します。これによって、多くの文化が持ち込まれました。フランシスコ・ザビエルなどがその例で、新文化の影響を受けた日本人にとっては、既存の世界観や価値観が打ち壊されることになりました。 芽生える火 ...

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2025年8月19日

日本建築-霊廟

時代背景 真の武家政治 室町幕府は、足利氏による武士の政権であるとはいいつつも、京に拠点を置き、貴族趣味的な文化の中で生きながらえ*てきました。貴族や寺院を保護し、彼らからの支援を受けることによって政権の基盤を固めていたのです。 ただ、戦国時代においては、戦国大名や戦国武将たちの興隆を支援することにも取り組んでいました。このことから、戦国大名たちとの関係性を軽視していたわけではないということが伺えます。 その一方で、江戸幕府は京から遠く離れた地に拠点を築き、武士階級が中心となる社会制度*を整備しました。武 ...

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前の様式

背景

行き過ぎた人間中心主義

ルネサンス文化を特色付けたものは人間性の再発見でした。そして、この人間性の範は古代に求められます。それゆえ人間の有限性を前提する筈でした。しかし、ルネサンス人は人間の有限性を忘れたかのように振る舞います。それはキリスト教においてさえ例外ではありませんでした。そしてこのような情勢に対する不満こそ、やがて来る宗教改革へと繋がって行くのです。

宗教改革の勃発

宗教改革の先駆けとなったのは、マルティン・ルターです。彼は「95ヶ条の論題」を掲げ、贖罪状の販売などの不正や教皇の権威主義を批判しました。

95ヶ条の論題:マルティン・ルターが1517年10月31日に公表した論文。教会が贖罪状の販売を行っていることについて批判し、キリスト教の教理に基づいた信仰に重点を置くことを主張しました。また、聖書中心主義を唱え、教皇の権威主義も批判します。この論文は当時のドイツ社会において大きな反響を呼び、ルターは教皇庁から異端者と宣言されるなどの迫害を受けましたが、一方で支持者も獲得し、プロテスタント宗教の成立につながっていきました。

ルターに続く宗教改革者は、ジャン・カルヴァンです。彼はルターと同様に、教会の腐敗や教皇の権威主義に反対し、聖書中心主義や信仰義認論を重視しました。また、神の絶対的な主権や予定説を唱えたことで有名です。

①神の絶対的な主権:人間の罪は神に対する背信であり、罪を赦す権限は神のみにあるという考え方②神があらかじめ人々の救済を決めているという考え方

その他の宗教改革者としては、ヘンリー8世も有名です。

ヘンリー8世が登場する記事》建築-イギリス・ルネサンス

宗教改革に対抗

幸いにも、教皇庁はこれらの宗教改革のおかげで自己反省の機会を得ました。教会の改革やカトリック教徒の信仰深化を目指して、内部改革が進められます。1545年から1563年にかけて、教皇パウルス3世の主導で開催されたトリエント公会議では、教義の確立や聖務の改革、司祭養成の充実、カトリック教会の教会法の体系化などが行われ、また教義上の論争や聖務の問題、教会内部の腐敗など、多岐にわたる改革課題に取り組みました。

特徴

相反するキリスト教とルネサンスの精神

キリスト教建築とルネサンス建築には、最初から相容れないものがありました。キリスト教建築は宗教的精神を必要としていたにも関わらず、ルネサンスの精神はそれと対照に理性的な性格を有していたからです。

キリスト教の再発見

そのため、バロックはルネサンス的古典を否定し、キリスト教的古典を目指すことを自らの使命としました。かくして、芸術表現は静けさから激しさへと移るのです。

造形・表現

反宗教改革の中心となった教皇は、自らの強大な権威や力を芸術表現によって示すことを求めました。そのためこの時代の様式は、分かりやすい・伝わりやすいという性格を有することになります。

感覚的な効果に訴えかける

曲線・装飾・透視図法的錯覚などを駆使して、見る人を惹きつけます。色・形・大きさなど、どれを取っても派手好みです。

豪華な装飾

イタリアバロック建築のファサードは、しばしば豪華な装飾が施されています。その多くは、宗教的なシンボルや聖書の物語などの象徴的な意味合いを持っています。

壁面に豊富な彫刻や装飾を施すことも特徴の一つです。

楕円形の平面を採用

出典元:武庫川女子大学 建築学科より引用

バロックにおいては、ルネサンス時代の端正な形よりも、楕円の平面・捻じれ柱のような曲線・歪んだ形・動きのある形が好まれました。しかし、それは古典の権威に対する反抗ではなく、決まり切った単純な形を避けようという試みでした。整合性よりも逸脱に美を見出したのです。その結果、バロックは合理的な古典主義とは対極にあるものとして位置付けられることになりました。

楕円形には、儀式性の高い集中堂式と集会に強いバシリカ式との両取りという側面もありました。儀式的な空間と収容的役割を同時に併せ持つ効果が期待されたのです。

参考文献

西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会

建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会

西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社

美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社

次の様式

西洋建築史年表

日本建築史年表

2025年8月19日

西洋絵画−初期ルネサンス

西洋絵画史の始まり 西洋絵画史の精神は「人間性の自覚」にある、というのが私の基本的な考えの立場です。そのため、当ブログでは、初期ルネサンスを西洋絵画史の始まりとします。 舞台 フィレンツェ 初期ルネサンスの舞台は、市民階級がいち早く台頭したイタリアの商業都市「フィレンツェ」です。 時代背景 キリスト教世界のほころび 中世ヨーロッパ社会は、これまで精神的にはキリスト教に支えられてきました。しかし、このキリスト教観というのは、人間を神の摂理にのみ従う下僕として、その限りにおいて人生の意義を認めるものでした。そ ...

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2025年8月19日

絵画−野獣派〈フォーヴィスム〉

著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」・「非営利目的」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 フランス 産業革命以来、急速な進歩によりもたらされた「世界の拡大化」は、多種多様な芸術運動の下、「専門化」・「分化」を押し進めました。そんな中で、新しい視覚体験が模索されます。そして、色彩の面で大きな変革が起きたのはフランスでした。 背景 野獣派結成のきっかけ ...

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2025年8月19日

西洋絵画−新印象主義

舞台 フランス 印象派に続き、フランスが芸術の中心地として君臨しています。 背景 印象派の乗り越え 時代の寵児であった印象派も、1886年には最後の展覧会を迎え、いよいよ批判と反省の対象として乗り越えられる存在になります。 物の形を犠牲にした印象派 「分析的な手法」を得意とした印象派は、物の「形態感」や「存在感」を失ってしまうという欠点を抱えていました。 新たな活路 印象派の色彩理論に共感しつつもこの弊害を重く見た後代の画家たちは、ここに新たな活路を見出します。 特徴と画家 求めすぎた理想 印象派は「光の ...

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2025年8月19日

西洋絵画−盛期ルネサンス

舞台 ローマ 1492年、芸術文化を支えたロレンツォ・デ・メディチの没後、「フィレンツェ」は、ドメニコ会修道僧サヴォナローラの支配下に置かれ、やや停滞期を迎えます。その一方で、ユリウス二世に代表される辣腕の教皇の下で、「ローマ」は活気を取り戻しました。かくして、ルネサンスの舞台は「フィレンツェからローマへ」移ります。 背景 巨匠の時代 15世紀末から16世紀初頭にかけてのおよそ30年間、一般には盛期ルネサンスと呼ばれます。この時代は、「巨匠の時代」でした。 古代や自然の超克 彼らは自らの才能を自覚し、「古 ...

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2025年8月19日

西洋絵画−フランス・ロココ

舞台 フランス 絵画史の中でも、特にロココは時代区分の難しい様式です。そもそもロココとバロックの区分を認めない説もあります。そのため当ブログでは、ロココの特徴が最も顕著に現れている、フランスで展開されたロココのみを取り扱います。 背景 絶対王政に陰りが見え始める 「太陽王ルイ14世」は、神から与えられた王権の行使者としての役割を演じることの出来た「最後の王」でした。 それというのも、1715年に彼が他界すると、その絶対王政にも陰りが見え始め、「貴族等の側近勢力が台頭」して来たからです。 太陽王からの開放 ...

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-西洋建築史