西洋建築-イタリア・バロック

2025年11月18日

日本建築-霊廟

時代背景 真の武家政治 室町幕府は、足利氏による武士の政権であるとはいいつつも、京に拠点を置き、貴族趣味的な文化の中で生きながらえ*てきました。貴族や寺院を保護し、彼らからの支援を受けることによって政権の基盤を固めていたのです。 ただ、戦国時代においては、戦国大名や戦国武将たちの興隆を支援することにも取り組んでいました。このことから、戦国大名たちとの関係性を軽視していたわけではないということが伺えます。 その一方で、江戸幕府は京から遠く離れた地に拠点を築き、武士階級が中心となる社会制度*を整備しました。武 ...

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2025年11月18日

西洋建築-ロマネスク

背景 カロリング帝国の建国 768年には国王として、800年には皇帝として君臨したカール大帝は、カロリング帝国*の永華を築きました。その支配域は、現在でいうフランス・ドイツ・イタリアに及びます。そしてカール大帝の下で、文化・経済・宗教が発展し、また教育・行政などの制度も整備されました。 カロリング帝国:8世紀から9世紀にかけて、フランク王国を統一し、大きな領土を支配したフランク王朝の王族であるカロリング家によって建国された帝国。 カロリング帝国の分裂と西洋社会の混乱 しかしカール大帝の死後、カロリング帝国 ...

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2025年11月18日

日本建築-密教

時代背景 仏教と政治 この時代、仏教は政治と深い関係にありました*。また、寺院は政治的・官僚的な組織を形成していました*。そのため、寺院が勢力を強めて行くに従い、政治を左右する存在になって行きます。時には天皇位の簒奪さえも企てられました。かくして、政治に対する仏教の影響は看破できないものとなっていくのです。 仏教と政治:仏教伝来の当初、僧侶は天皇家に仕え、国家を守護する役割を担っていました。そのため、天皇家や貴族から保護を受けるようになります。彼ら政治権力者たちの思惑は、仏教を利用して自らの権威や権力を確 ...

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2025年11月18日

西洋建築-ウィーン・ゼツェッション

背景 ハンガリー帝国の情勢 ウィーン・ゼツェッションは、1903年にオーストリア=ハンガリー帝国*の首都ウィーンで結成されたグループです。オーストリア=ハンガリー帝国は複数の民族や国家が集合した多民族国家であったため、深刻な民族問題を抱えていました。 ハンガリー帝国:中央ヨーロッパにかつて存在した帝国。現在のハンガリー、スロバキア、クロアチア、セルビア、ルーマニア、ウクライナ、オーストリアなどの地域を含んでいました。ハプスブルク家の君主がハンガリー王位を兼ねていたことから、オーストリア=ハンガリー帝国とし ...

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2025年11月18日

日本建築-禅宗様

時代背景 禅宗の伝来 12世紀末、栄西によって日本に禅宗がにもたらされました。禅宗では、これまでの仏教とは教義や儀式も異なるため、僧の生活や建築も変化していきます。 禅宗:仏教の教えを直接実践することで、真実を見出すことを目指します。基本的な修行としては、座禅が挙げられます。 14世紀頃までには、確固たる地位を築き上げることに成功しました。その背景には、得宗政権*や室町幕府が、既存の権門体制に代わる宗教勢力として、禅宗寺院に焦点が当てられたということがあります。得宗政権や室町幕府の支援を得て、禅宗は広く普 ...

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前の様式

背景

行き過ぎた人間中心主義

ルネサンス文化を特色付けたものは人間性の再発見でした。そして、この人間性の範は古代に求められます。それゆえ人間の有限性を前提する筈でした。しかし、ルネサンス人は人間の有限性を忘れたかのように振る舞います。それはキリスト教においてさえ例外ではありませんでした。そしてこのような情勢に対する不満こそ、やがて来る宗教改革へと繋がって行くのです。

宗教改革の勃発

宗教改革の先駆けとなったのは、マルティン・ルターです。彼は「95ヶ条の論題」を掲げ、贖罪状の販売などの不正や教皇の権威主義を批判しました。

95ヶ条の論題:マルティン・ルターが1517年10月31日に公表した論文。教会が贖罪状の販売を行っていることについて批判し、キリスト教の教理に基づいた信仰に重点を置くことを主張しました。また、聖書中心主義を唱え、教皇の権威主義も批判します。この論文は当時のドイツ社会において大きな反響を呼び、ルターは教皇庁から異端者と宣言されるなどの迫害を受けましたが、一方で支持者も獲得し、プロテスタント宗教の成立につながっていきました。

ルターに続く宗教改革者は、ジャン・カルヴァンです。彼はルターと同様に、教会の腐敗や教皇の権威主義に反対し、聖書中心主義や信仰義認論を重視しました。また、神の絶対的な主権や予定説を唱えたことで有名です。

①神の絶対的な主権:人間の罪は神に対する背信であり、罪を赦す権限は神のみにあるという考え方②神があらかじめ人々の救済を決めているという考え方

その他の宗教改革者としては、ヘンリー8世も有名です。

ヘンリー8世が登場する記事》建築-イギリス・ルネサンス

宗教改革に対抗

幸いにも、教皇庁はこれらの宗教改革のおかげで自己反省の機会を得ました。教会の改革やカトリック教徒の信仰深化を目指して、内部改革が進められます。1545年から1563年にかけて、教皇パウルス3世の主導で開催されたトリエント公会議では、教義の確立や聖務の改革、司祭養成の充実、カトリック教会の教会法の体系化などが行われ、また教義上の論争や聖務の問題、教会内部の腐敗など、多岐にわたる改革課題に取り組みました。

特徴

相反するキリスト教とルネサンスの精神

キリスト教建築とルネサンス建築には、最初から相容れないものがありました。キリスト教建築は宗教的精神を必要としていたにも関わらず、ルネサンスの精神はそれと対照に理性的な性格を有していたからです。

キリスト教の再発見

そのため、バロックはルネサンス的古典を否定し、キリスト教的古典を目指すことを自らの使命としました。かくして、芸術表現は静けさから激しさへと移るのです。

造形・表現

反宗教改革の中心となった教皇は、自らの強大な権威や力を芸術表現によって示すことを求めました。そのためこの時代の様式は、分かりやすい・伝わりやすいという性格を有することになります。

感覚的な効果に訴えかける

曲線・装飾・透視図法的錯覚などを駆使して、見る人を惹きつけます。色・形・大きさなど、どれを取っても派手好みです。

豪華な装飾

イタリアバロック建築のファサードは、しばしば豪華な装飾が施されています。その多くは、宗教的なシンボルや聖書の物語などの象徴的な意味合いを持っています。

壁面に豊富な彫刻や装飾を施すことも特徴の一つです。

楕円形の平面を採用

出典元:武庫川女子大学 建築学科より引用

バロックにおいては、ルネサンス時代の端正な形よりも、楕円の平面・捻じれ柱のような曲線・歪んだ形・動きのある形が好まれました。しかし、それは古典の権威に対する反抗ではなく、決まり切った単純な形を避けようという試みでした。整合性よりも逸脱に美を見出したのです。その結果、バロックは合理的な古典主義とは対極にあるものとして位置付けられることになりました。

楕円形には、儀式性の高い集中堂式と集会に強いバシリカ式との両取りという側面もありました。儀式的な空間と収容的役割を同時に併せ持つ効果が期待されたのです。

参考文献

西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会

建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会

西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社

美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社

次の様式

西洋建築史年表

日本建築史年表

2025年11月18日

西洋絵画−フランス象徴主義

印象派に並行して、象徴主義が発展 舞台 フランス 象徴主義は各国において多様な発展を遂げました。中でも大きな影響を与えたのは、フランスにおいて展開された象徴主義です。 背景 もう一つの芸術運動 19世紀後半、印象派が盛り上がりを見せていたその頃、並行して別の流れが形成されていました。 商業化する芸術 先導したのは、「科学」と「機械万能」という時代における「実利的なブルジョア精神」や、「芸術の卑俗化」に嫌気がさした画家たちです。 人間の内面を描く 彼らは、人間存在とその運命に関する「深い苦悩」・「精神性への ...

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2025年11月18日

西洋絵画−盛期ルネサンス

舞台 ローマ 1492年、芸術文化を支えたロレンツォ・デ・メディチの没後、「フィレンツェ」は、ドメニコ会修道僧サヴォナローラの支配下に置かれ、やや停滞期を迎えます。その一方で、ユリウス二世に代表される辣腕の教皇の下で、「ローマ」は活気を取り戻しました。かくして、ルネサンスの舞台は「フィレンツェからローマへ」移ります。 背景 巨匠の時代 15世紀末から16世紀初頭にかけてのおよそ30年間、一般には盛期ルネサンスと呼ばれます。この時代は、「巨匠の時代」でした。 古代や自然の超克 彼らは自らの才能を自覚し、「古 ...

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2025年11月18日

西洋絵画−オランダ・バロック

舞台 オランダ 16世紀末、「プロテスタント」勢力の強かったフランドル地方の北部にて、「スペイン領からの独立」を果たした新教国、オランダが誕生しました。 背景 イタリアからオランダへ輸入 イタリア起源のバロックは、国境を超えてオランダにも広がりました。 プロテスタントの国 オランダ共和国として独立を果たし、「東インド会社等の国際貿易」により、目覚ましい「経済発展」を遂げたオランダは、その経済力を背景にオランダ独自の「市民文化」を繁栄させていました。 「プロテスタントの国」であったオランダでは、「教会よりも ...

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2025年11月18日

西洋絵画−クールベ=マネ

舞台 フランス 第二帝政期、パリの都市改革を始め、社会構造の大きな転換があったフランス。都会人の新しい生活様式などが誕生しました。 背景 産業革命・資本主義の時代 19世紀後半、いよいよ「産業革命」の成果が浸透し始め、かつ「資本主義」の波風が立ち始めました。 近代への突入 「科学技術の飛躍的な進歩」・「都市部への人口集中」・「階級対立の激化」・「西欧の世界進出に伴う異文化交流」などが、人々の日常生活に大きな影響を与えます。 近代絵画の始まり 絵画においては、クールベやマネといった近代絵画の創始者によって、 ...

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2025年11月18日

西洋絵画−新印象主義

舞台 フランス 印象派に続き、フランスが芸術の中心地として君臨しています。 背景 印象派の乗り越え 時代の寵児であった印象派も、1886年には最後の展覧会を迎え、いよいよ批判と反省の対象として乗り越えられる存在になります。 物の形を犠牲にした印象派 「分析的な手法」を得意とした印象派は、物の「形態感」や「存在感」を失ってしまうという欠点を抱えていました。 新たな活路 印象派の色彩理論に共感しつつもこの弊害を重く見た後代の画家たちは、ここに新たな活路を見出します。 特徴と画家 求めすぎた理想 印象派は「光の ...

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-西洋建築史