西洋建築-イタリア・ルネサンス

2025年5月2日

西洋建築史年表

古代ギリシャ|西洋建築の精神は、古代ギリシャを範とするところから始まります。その意味で、西洋建築史の出発点に相応しいと言えるでしょう パルテノン神殿 古代ローマ|「栄光の都」ローマ帝国という舞台は、古代ギリシャ建築とキリスト教建築の架け橋となりました コロッセウム闘技場 初期キリスト|西洋建築の代名詞、「教会建築」はここから始まります バシリカ式 集中堂式 ビザンティン|政治的な東西分裂は、建築様式にも影響を及ぼしました ハギア・ソフィア ロマネスク|別名「地方様式」とも言われるロマネスクは、各地の風土に ...

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2025年5月2日

西洋建築-デ・ステイル

背景 第一次世界大戦後 第一次世界大戦後、各国の経済は混乱し、人々の価値観や生活様式も変化しました。ストライキやデモなども行われるようになり、社会変革が急務となります。これは戦争に参加しなかったオランダにおいても例外ではありませんでした。 オランダは、中立を守ることによって国内の平和を維持しようとしました。しかし周辺諸国の経済的混乱や政治的変化の影響を受けないわけには行かず、大量の難民や貧困層、失業者などを抱え、経済的・社会的な不安定さが続きます。そんな中、社会主義的な政策や労働者の権利擁護が唱えられるの ...

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2025年5月2日

西洋建築-インターナショナル・スタイル

背景 近代芸術の到達点 アーツ・アンド・クラフツ運動*から始まった近代芸術運動は、当初は手工業に重点を置きながらも、デ・ステイル*やドイツ工作連盟*などを経て、機能主義にたどりつきました。 アーツ・アンド・クラフツ運動:機械生産による大量生産と標準化が進む一方で、一つ一つの製品としての質は悪化してしまいます。これに対し、手仕事や伝統工芸品を再評価することによって、製品の質を向上させることを目的としました。 デ・ステイル:芸術によって人々の生活環境を改善しようとした点はアーツ・アンド・クラフツ運動と同様です ...

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2025年5月2日

西洋建築-イギリス・ルネサンス

背景 薔薇戦争 1455年、ランカスター家とヨーク家の間の王位継承を巡る争いが原因で、薔薇戦争*が始まりました。1461年、ヨーク家のエドワード4世がランカスター家を破り、王位に就くことで、この争いは一応の決着が着きます。しかしその後、ランカスター家のヘンリー6世が復位し、1470年代には再び戦争が勃発しました。最終的には、ヨーク家のリチャード3世が1485年にランカスター家のヘンリー7世に敗北し、決着となりました。そして、ヘンリー7世が王位に就いたことで、テューダー王朝が始まります。 薔薇戦争という名称 ...

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2025年5月2日

西洋建築-フランス・新古典主義

背景 ヨーロッパ随一の絶対主義国家 フランスは17世紀後半、ルイ14世の時代を持って王権が頂点に達し、ヨーロッパ随一の絶対主義国家に成長しました。ルイ14世は絶対王政下で全権を握り、貴族や教会、一般市民にも厳しい統制を加えます。そして中央集権的な行政組織を整備し、強大な軍事力を築きました。 しかしその一方で、ルイ14世の統治による莫大な財政負担や、貴族・教会の排除などに対する不満は蓄積していきます。 ルイ14世亡き後は、ルイ15世が即位し、専制政治を引き継ぎましたが、この時にはすでに王権の権威は低下してお ...

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前の様式

前の様式

舞台

イタリア・ルネサンスの舞台は、市民階級がいち早く台頭したイタリアの商業都市「フィレンツェ」です。

時代背景

イタリアは、中世において商業や金融の中心地として栄え、豊かな都市国家へと発展しました。このような繁栄の中で、芸術家や学者が集まり、文化的な交流が盛んに行われるようになります。また、イタリアでは古代ローマや古代ギリシャの文化が受け継がれていましたが、ルネサンス期において、これはキリスト教中心の中世思想に対する反発という形をとって現れました。

キリスト教世界のほころび

中世ヨーロッパ社会は、これまで精神的にはキリスト教に支えられてきました。しかし、このキリスト教観というのは、人間を神の摂理にのみ従う下僕として、その限りにおいて人生の意義を認めるものでした。そのため、ここでは自由な人間性の働きが抑圧されることになります。

人文主義的傾向が高まる

やがてそれは、人間性を再び取り戻そうという潮流*へとつながり、その拠り所として、人間の理性に信頼を置いた古典の世界が再発見されるに至りました。いわゆる人文主義思想といわれるものです。彼らがあてにしたのは、古代ギリシャ・ローマの文化や哲学でした。古代ギリシャ・ローマの古典的な文献や思想を研究し、人間中心の視点から社会や文化を見直したのです。

人文主義者たちは、人間の自由や能力、自己啓発に対する信仰を持ち、自由な思考や個性の尊重、美への愛や知識の追求などを重視しました。

時代の特徴

個人主義の誕生

人間は有限的な存在ではあっても、その人間の能力自体は尊重され高く評価されるべきである、このような人文主義的な思想の下で、個人としての名声を得る人々が誕生します。このような流れは教会の力を持ってしても抑えることは出来ず、ついにはキリスト教さえも人文主義的傾向へと妥協*しなければならない状況でした。

典型例として、ルネサンス期の人文主義者エラスムスの聖書研究が挙げられます。彼は聖書の原典に基づく解釈を行い、いくつかの点で、教会が信仰において誤解を招いていると指摘しました。これは教会が聖書の再解釈を始めるきっかけとなりました。また、マルティン・ルターやジョン・カルヴィンなどのように、人間の自由意志・信仰の自由・個人的な信仰体験を重視するキリスト教徒も現れ、カトリック教会の教義に反発するのでした。かくして、キリスト教においても人間の尊厳を強調する考え方が浸透していったのです。

芸術志向の高まり

そのため、この時代の建築家たちは芸術志向が強く、それは宗教性や合理性にさえ先行します。たとえば、古代から借用したオーダーも、基本的には構造的な役割は与えられず、単なる装飾的な役割として用いられたのです。このことから、ルネサンス建築はしばしば形のための形と形容されます。

造形・表現

古典主義の興隆

15世紀、フィレンツェは商工業で豊かな富を蓄え*、共和制の都市国家を築き上げました*。この商人的な合理性という地盤で育まれた新様式は、やがて人々を深い教養へと向かわせます。そして古代ローマなどの古典文化が再発見されたのでした。

①フィレンツェは商業都市として栄え、織物産業が盛んでした。13世紀には市民たちが自治を求め、自治都市として発展を遂げます。そして市民政府の下で、商工業や金融業が発展し、フィレンツェは富裕な都市国家となったのです。②フィレンツェは政治的な中心でもありました。フィレンツェの市民たちは共和制を支持し、政治的な自由を求めました。

過去と現代という異なる両者の融合

キリスト教会・パラッツォ*・ヴィッラ*などの規模も形態も用途も異なる新時代の建築に、古典的な手法を取り入れるというのは困難なことでした。この難題に見事な解決を与え、歴史に名を残したのが、建築界の巨匠フィリッポ・ブルネレスキ*です。

①パラッツォ :貴族や商人の邸宅、公共建築物を指します。広い中庭を持つのが特徴です。②ヴィッラ :貴族や商人の邸宅、あるいは別荘を指します。バルコニーやテラスなどの屋外空間を持ちます。③フィリッポ・ブルネレスキ:15世紀初頭のイタリアの建築家、彫刻家、工学者。

オーダーと装飾

サント・スピリト教会堂|F・ブルネレスキ

出典元:クーポラと雲

古代のモチーフ(繊細な彫刻や控えめな装飾・アーチやドーム・円柱・天井装飾など)を用いて、統御された比例の美しさ(オーダー)を堪えながら、かつ時代に適応した新しい空間を作り上げました。

オーダーが登場する記事》建築-古代ギリシャ

アーチ構法が登場する記事》建築-古代ローマ

比例に基づいた配置構成

初期ルネサンス建築の指導者としては、L・B・アルベルティも挙げられます。彼は、古代ローマの建築スタイルを復興させ、それを現代の建築に応用することで、新しい建築様式を創造しました。

L・B・アルベルティ :15世紀イタリアの芸術家、建築家、学者、作家。

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会堂|L・B・アルベルティ

幾何学的・数学的形式の創造を目指し、円・方形・円錐などの規則的な形態を用いて、単純明快なプランの実現に当たりました。シンメトリーなデザインや比例の法則に基づいた設計から、古代建築のモチーフが伺えます。

人間理性の挑戦

当時、ヨーロッパでも随一の豊かな都市に成長したフィレンツェは、その繁栄を象徴するのに最も相応しい大聖堂の建築を試みました。そして巨大ドームのプランが構想されます。しかし、その空前の規模の故に、当時の建築技術では実現はほぼ不可能とされました。ここで奇跡を起こしたのがブルネレスキです。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ|F・ブルネレスキ

何の支えもなく人間の理性の力を示すような巨大ドームは、フィレンツェの象徴だけにはとどまらず、ルネサンスを代表する建物となりました。

参考文献

西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会

建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会

西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社

美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社

次の様式

次の様式

西洋建築史年表

日本建築史年表

2025年5月2日

西洋絵画−フランス象徴主義

印象派に並行して、象徴主義が発展 舞台 フランス 象徴主義は各国において多様な発展を遂げました。中でも大きな影響を与えたのは、フランスにおいて展開された象徴主義です。 背景 もう一つの芸術運動 19世紀後半、印象派が盛り上がりを見せていたその頃、並行して別の流れが形成されていました。 商業化する芸術 先導したのは、「科学」と「機械万能」という時代における「実利的なブルジョア精神」や、「芸術の卑俗化」に嫌気がさした画家たちです。 人間の内面を描く 彼らは、人間存在とその運命に関する「深い苦悩」・「精神性への ...

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2025年5月2日

西洋絵画史年表

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2025年5月2日

絵画−野獣派〈フォーヴィスム〉

著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」・「非営利目的」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 フランス 産業革命以来、急速な進歩によりもたらされた「世界の拡大化」は、多種多様な芸術運動の下、「専門化」・「分化」を押し進めました。そんな中で、新しい視覚体験が模索されます。そして、色彩の面で大きな変革が起きたのはフランスでした。 背景 野獣派結成のきっかけ ...

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2025年5月2日

西洋絵画−盛期ルネサンス

舞台 ローマ 1492年、芸術文化を支えたロレンツォ・デ・メディチの没後、「フィレンツェ」は、ドメニコ会修道僧サヴォナローラの支配下に置かれ、やや停滞期を迎えます。その一方で、ユリウス二世に代表される辣腕の教皇の下で、「ローマ」は活気を取り戻しました。かくして、ルネサンスの舞台は「フィレンツェからローマへ」移ります。 背景 巨匠の時代 15世紀末から16世紀初頭にかけてのおよそ30年間、一般には盛期ルネサンスと呼ばれます。この時代は、「巨匠の時代」でした。 古代や自然の超克 彼らは自らの才能を自覚し、「古 ...

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2025年5月2日

西洋絵画−オランダ・バロック

舞台 オランダ 16世紀末、「プロテスタント」勢力の強かったフランドル地方の北部にて、「スペイン領からの独立」を果たした新教国、オランダが誕生しました。 背景 イタリアからオランダへ輸入 イタリア起源のバロックは、国境を超えてオランダにも広がりました。 プロテスタントの国 オランダ共和国として独立を果たし、「東インド会社等の国際貿易」により、目覚ましい「経済発展」を遂げたオランダは、その経済力を背景にオランダ独自の「市民文化」を繁栄させていました。 「プロテスタントの国」であったオランダでは、「教会よりも ...

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-西洋建築史