2025年8月19日
日本建築-大仏様
時代背景 力をつける寺社 この時代の寺社は、各地に荘園*を持つようになり、財政的にも潤っていました。それに伴い、政治的な力も強めていきます。 荘園:領主が自らの所有する土地を農民や奴隷などに貸し出して、彼らからの税を収める経営形態。土地を借りる農民や奴隷は、作物や畜産物などの収穫物や一定の労役を支払うことによって生計を立てていました。 僧兵による武装化 寺社が権力を握る中、自分たちの力で社会を切り開き、大和国の実権を握ったのは平清盛でした。もちろん、もともと大和国での特権を保持していた南都寺院からすれば、 ...
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2025年8月19日
西洋建築-アール・ヌーヴォー
背景 新様式の準備 19世紀末、産業革命によって工業製品の生産が増え、大量生産や機械化が進む中で、人々の間に単調で機械的なデザインに対する反発が生まれていました。その代表格がアーツ・アンド・クラフツ運動です。彼らは手作りを重視することによって、自然の美しさや個性の再評価を図りました。 アーツ・アンド・クラフツはこの記事で解説 》建築-アーツ・アンド・クラフツ アーツ・アンド・クラフツ運動は、その理念こそ前進的であったものの、しかし中世主義という性格から、近代化と言える段階にまでは至れませんでした。その代わ ...
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2025年8月19日
日本建築-浄土教
時代背景 末法思想の流行 平安時代には密教が広まり、仏教の信仰はますます篤くなっていった一方で、「末法思想」というものが流行していきます。 末法思想:釈尊の教えが失われていき、正法の世界から像法の世界を経て末法になっていくという考え方で、それは釈尊入滅後1500年から始まるとされていました。 浄土への憧れ 当時の人々にとって、末法時代の到来は、ある意味「世界崩壊」を意識させるものでした。そして、現世にもう望みがないのなら、あの世での幸せを願おう、と人々は強く願うようになります。その拠り所となったのが「極楽 ...
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2025年8月19日
西洋建築-ロマネスク
背景 カロリング帝国の建国 768年には国王として、800年には皇帝として君臨したカール大帝は、カロリング帝国*の永華を築きました。その支配域は、現在でいうフランス・ドイツ・イタリアに及びます。そしてカール大帝の下で、文化・経済・宗教が発展し、また教育・行政などの制度も整備されました。 カロリング帝国:8世紀から9世紀にかけて、フランク王国を統一し、大きな領土を支配したフランク王朝の王族であるカロリング家によって建国された帝国。 カロリング帝国の分裂と西洋社会の混乱 しかしカール大帝の死後、カロリング帝国 ...
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2025年8月19日
西洋建築-イギリス・ルネサンス
背景 薔薇戦争 1455年、ランカスター家とヨーク家の間の王位継承を巡る争いが原因で、薔薇戦争*が始まりました。1461年、ヨーク家のエドワード4世がランカスター家を破り、王位に就くことで、この争いは一応の決着が着きます。しかしその後、ランカスター家のヘンリー6世が復位し、1470年代には再び戦争が勃発しました。最終的には、ヨーク家のリチャード3世が1485年にランカスター家のヘンリー7世に敗北し、決着となりました。そして、ヘンリー7世が王位に就いたことで、テューダー王朝が始まります。 薔薇戦争という名称 ...
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前の様式
背景
中央集権の基盤が整い始める
当時のヨーロッパは、多くの小国家や地方政府が存在し、権力の分散化が進んでいました。そんな中、国王たちは中央集権化政策を進め、自らの権力を強化し、統治の効率化を図ります。王権の強化、法律の統一、行政機構の整備、課税制度の整備などが行われました。かくして、地方領主の手中にあった統治が国王の下に回収されます。
中央集権化政策:政治的な権限や権力が中央政府に集中すること。
特に勢いがあったのは、ルイ7世です。各地の貴族や教会が持っていた法的な特権を制限することで、自身の王権強化に取り組みました。
キリスト教が民衆の支持をリード
諸国王と教皇との対立の一方で、キリスト教会はむしろ勢いづいていました。世俗の心を掴むという点においてリードしたのは、キリスト教会だったのです。
都市の発達
また、この時代は都市が発展した時代で、力をつけた富裕層も誕生しました。国王、教会、富裕層などの支援を受けて、数々の大規模な建築事業が為され、これがゴシック建築の土壌となったのです。
都市が発展した理由:大きな要因として、市場が形成されたことが挙げられます。中世初期の頃は、商人たちが旅をして商品を売買する交易を行っていましたが、徐々に交易が都市に集積するようになり、交易が都市に集積することで市場が形成されたのです。市場を中心に経済が循環し、都市は大きな発展を遂げました。
特徴
伝統的な様式が根付いていない地域で新様式が発展
12世紀中頃、パリを中心とする限られた地方において、集中的に建設活動が活発化しました。「限られた」というのは、当時ロマネスクの伝統が色濃く残っていた地方では、ゴシックという新様式がすんなりと受け入れられることはなかったからです。ゴシック建築は、伝統的な様式がまだ確立されていない地域において展開されました。
権威を誇示する巨大建造物
主に建てられたのは、それぞれの都市の繁栄を象徴する大聖堂です。自らの地位を誇示するかの如く、圧倒的な高さや大きさを持つ建造物が建てられました。
造形・表現
各地の文化が統合
ゴシック建築の主な特徴として、圧倒的な高さや壁面一杯に開けられたステンドグラスが挙げられます。これらは既に、各地のロマネスク建築やイスラム建築などでそれぞれ個別に用いられてきたものですが、ゴシック期においてこれらの成果が総合されました。
ヴォールトにリブが加わる
リブあり
リブなし
リブとは、交差線に沿って付けられたアーチの筋です。リブの役割については、ヴォールト天井全体を支えるためのものとする説と、造形的効果を目指したものであり、構造的な意味はなかったとする説があり、その真意ははっきりとしません。
スタンドグラスを用いて演出される、光の世界
キリスト教の聖書には「神は光なり」という言葉があります。この言葉に基づいて、光の空間を建築空間において具現化するという試みが、これまで教会建築ではなされて来ました。その一つの到達点となったのがスタンドグラスの発明です。
フライング・バットレスによって、大きな高窓を実現
バシリカからロマネスクへの進展は、光の演出という観点から見れば一つの劣化でした。それというのも、高さを実現するためには、窓からの採光をある程度犠牲にする必要があったからです。
しかし、ゴシック期において「フライング・バットレス(添え壁)」を用いた構造強化に成功したことにより、窓面積の大幅な拡大を実現しました。
圧倒的な高さにして、なおかつ軽さを表現
ゴシック建築は、神の国を表現するために建築構造を非物質化することに努めました。まるで細い付柱とリブが重圧な石の天井を支えているかのようにも見えるこの演出は、まさに反自然的であり、人々に神の国を連想させます。
参考文献
西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社
美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社
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西洋建築史年表
日本建築史年表
2025年8月19日
西洋絵画−印象派
舞台 フランス フランス美術は西洋絵画史の主要舞台の座を確立しました。イギリス風景画の伝統もスペイン画家ゴヤの系譜もフランスに吸収され、オランダ画家ゴッホもこの地での修行を得て覚醒しました。 背景 印象派展の開催 1874年、モネ・ルノワール・セザンヌ・ドガ・ピサロらによって、展覧会が開かれました。 彼らの作品に共通して見られる「スケッチ的な作風」から、この展覧会に集まった彼らは総称して、「印象派」と命名されることになります。 多様性に満ちた印象派グループ しかし実際のところ、彼らには明確な意味での共有さ ...
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2025年8月19日
西洋絵画−クールベ=マネ
舞台 フランス 第二帝政期、パリの都市改革を始め、社会構造の大きな転換があったフランス。都会人の新しい生活様式などが誕生しました。 背景 産業革命・資本主義の時代 19世紀後半、いよいよ「産業革命」の成果が浸透し始め、かつ「資本主義」の波風が立ち始めました。 近代への突入 「科学技術の飛躍的な進歩」・「都市部への人口集中」・「階級対立の激化」・「西欧の世界進出に伴う異文化交流」などが、人々の日常生活に大きな影響を与えます。 近代絵画の始まり 絵画においては、クールベやマネといった近代絵画の創始者によって、 ...
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2025年8月19日
西洋絵画−盛期ルネサンス
舞台 ローマ 1492年、芸術文化を支えたロレンツォ・デ・メディチの没後、「フィレンツェ」は、ドメニコ会修道僧サヴォナローラの支配下に置かれ、やや停滞期を迎えます。その一方で、ユリウス二世に代表される辣腕の教皇の下で、「ローマ」は活気を取り戻しました。かくして、ルネサンスの舞台は「フィレンツェからローマへ」移ります。 背景 巨匠の時代 15世紀末から16世紀初頭にかけてのおよそ30年間、一般には盛期ルネサンスと呼ばれます。この時代は、「巨匠の時代」でした。 古代や自然の超克 彼らは自らの才能を自覚し、「古 ...
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2025年8月19日
西洋絵画−フランス・バロック
舞台 フランス 太陽王ルイ14世が主権権を握る「絶対王政期」のフランスもまた、芸術の舞台となりました。自国の土壌で独自の様式を形成して行きます。 背景 フランスへ輸入 イタリア起源のバロックは、国境を超えてフランスにも広がりました。 伝統を守るフランス しかしフランスでのバロックは、主に前時代様式の否定として展開されて来た各地のバロックと異なり、「古典主義」的な傾向を保ちます。 それというのも、古典尊重のルイ王朝は「古代ローマを美術の範」としたからです。 王立アカデミーの設立 また、王立アカデミーの存在に ...
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2025年8月19日
西洋絵画−新印象主義
舞台 フランス 印象派に続き、フランスが芸術の中心地として君臨しています。 背景 印象派の乗り越え 時代の寵児であった印象派も、1886年には最後の展覧会を迎え、いよいよ批判と反省の対象として乗り越えられる存在になります。 物の形を犠牲にした印象派 「分析的な手法」を得意とした印象派は、物の「形態感」や「存在感」を失ってしまうという欠点を抱えていました。 新たな活路 印象派の色彩理論に共感しつつもこの弊害を重く見た後代の画家たちは、ここに新たな活路を見出します。 特徴と画家 求めすぎた理想 印象派は「光の ...
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