2025年11月18日
日本建築-外国人居留地
時代背景 日米和親条約 1853年、日本とアメリカとの間で「日米和親条約」が結ばれると、日本近海への西洋船の来訪が増加しました。しかしこの条約にはアメリカ有利の条項*が盛り込まれていたため、日本側の不満は高まって行きます。 アメリカの船が日本の港に寄港する際、日本の法律や手続きを拒否することができました。また、アメリカ船の乗組員が日本人に対して犯罪行為を行った場合でも、アメリカの法律が適用されるという条項が盛り込まれていました。 これに対して、幕府は自国の主権を守るために「異国船打払令」を出しました。この ...
ReadMore
2025年11月18日
日本建築-飛鳥・奈良(神社)
時代背景 天皇中心の国作り 645年に始まる「大化の改新」の流れを汲み、天武天皇は強力な軍事政権の樹立を図りました。律令制度の整備や中央集権化を進め、地方豪族の独立性を抑えます。 大化の改新:天皇中心の国作りを目指した一連の改革 その際に彼が利用したのは、「神道」でした。「神道」を国教として定め、神社を統一的に管理することで、天皇の威光と神格化を図ったのです。 この時代、すでに仏教も伝来していましたが、古代日本の政治権力は、神々との関係性を重んじることで正統性を獲得することができたという背景もあり、仏教で ...
ReadMore
2025年11月18日
西洋建築-イギリス・新古典主義
フランスに並んで、イギリスではその頃 背景 古典主義の逸脱 バロックからロココの時期にかけて、「正統的な古典主義」の逸脱という傾向が著しく目立つようになりました。 それに対する批判が、来る新古典主義を用意したのです。 新古典主義の台頭 そして、新古典主義は18世紀の半ば頃から「バロック」・「ロココ」を駆逐し始め、18世紀後半には、時代を支配して行きます。 啓蒙思想による裏付け この背景には、「啓蒙思想」の興隆がありました。 人々の間で、物事を「分析的」・「経験的」・「実証的」に、いわば「合理的」に捉えよう ...
ReadMore
2025年11月18日
日本建築-霊廟
時代背景 真の武家政治 室町幕府は、足利氏による武士の政権であるとはいいつつも、京に拠点を置き、貴族趣味的な文化の中で生きながらえ*てきました。貴族や寺院を保護し、彼らからの支援を受けることによって政権の基盤を固めていたのです。 ただ、戦国時代においては、戦国大名や戦国武将たちの興隆を支援することにも取り組んでいました。このことから、戦国大名たちとの関係性を軽視していたわけではないということが伺えます。 その一方で、江戸幕府は京から遠く離れた地に拠点を築き、武士階級が中心となる社会制度*を整備しました。武 ...
ReadMore
2025年11月18日
西洋建築-古代ローマ
時代背景 小さな村落から始まったローマ市 紀元前753年に誕生したローマ市は、最初こそ小さな村落に過ぎませんでした。 ヨーロッパ全域へ領土を拡大 しかし、紀元前5世紀末までにはエトルリア*などの周辺都市国家を、紀元前3世紀中頃までには南イタリアのギリシャ植民都市を支配下に置き、紀元前1世紀末には地中海沿岸全域をほぼを手中に治めます。 エトルリア:古代イタリア半島に存在した文明です。紀元前8世紀から紀元前3世紀にかけて栄えました。 異国文化を吸収 領土の拡大は、エトルリア文化や植民都市経由での古代ギリシャ文 ...
ReadMore
前の様式
背景
フランスの近代化
ルネサンス期のフランスは、政治的・経済的・文化的に大きな発展を遂げました。先頭を切ったのはシャルル8世です。彼はフランス軍を再編成し、新しい兵器を導入して戦力を強化し、財政改革を実施して経済を活性化させました。そしてブルターニュを併合することによって、フランスの領土を拡大しました。また、イタリア遠征*も行いましたが、こちらは失敗に終わります。そして、彼は28歳にして、この世を去ってしまうのでした。
シャルル8世のイタリア遠征:シャルル8世は、ナポリ王国の領土をめぐってイタリアの諸都市と争い、1494年にイタリアに侵攻しました。彼は大規模な軍を率いてイタリア半島に進軍し、ナポリを占領しますが、しかし、戦争は数年にわたって続き、フランスの勢力圏を確立することはできませんでした。
彼の死後、王位を継いだのはルイ12世です。彼はイタリア遠征を再開し、ミラノ公国を征服してフランスの影響力を拡大しました。財政改革を推し進め、農業や商業の発展にも努めます。フランス法の再編成や司法制度の改革など、行政面でも重要な改革を行いました。
ルイ12世の死後は、息子のフランソワ1世が王位を継ぎます。彼は自らをルネサンス君主と位置づけ、芸術・文化の振興に力を入れました。ルーブル美術館の設立・フランス語の公用語化などが彼の業績です。イタリアから多くの芸術家や学者を招聘しました。
フランス・ルネサンスを締めくくるのは、アンリ4世です。彼は即位後、フランスの再建を目指して、内政改革を進めました。貴族の権力を制限し、税制や司法制度の改革を行います。中央集権化を進めることで、国家統一を図ったのです。また宗教的寛容政策*を採用することによって、当時激化していたカトリック派とプロテスタント派の間の宗教戦争を終結させました。
宗教的寛容政策:アンリ4世は、プロテスタント教徒に対して宗教的自由、公職就任、軍役免除、学校の設立など一定の権利が認めました。これによって、一時的ではあるものの宗教的対立の緩和に成功しました。また、プロテスタント側の国々を支援することは、カトリック勢力の拡大を防ぐ効果もありました。
シャルル8世→ルイ12世→フランソワ1世→アンリ4世へとバトンが繋がれてきたこの一世紀間において、ヨーロッパの中心となるフランス近代国家の基礎が築かれました。
特徴
イタリアに軍隊を派遣
16世紀頃、比較的早い段階から統一国家を形成していたフランスは、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝と張り合うようにイタリアに介入して軍隊を送っていました。実際にいくつかの都市国家を支配下に置きます。この接触を介してフランスは、イタリア発のルネサンスを受容したのでした。
この背景には、軍事力ではイタリアを凌いでいながらも、文化面ではイタリアへの憧れの念が強かったという事情があります。
王家の下で発展
しかし、伝統的なゴシック発祥の地でもあるフランスにおいてはルネサンスの新しい風は簡単には受け入れられず、あくまでもその影響は王家周辺に限られました。そのため、宗教建築はほとんど見られず、王や貴族の城館が主流となります。
造形と表現
フランスに伝えられたルネサンス様式は、既にマニエリスム期に突入していたこともあり、かなり偏ったものでした。ここにフランスのゴシック的な伝統が混ざり合って生まれたフランス・ルネサンスには、イタリアにはない特徴が見られます。フランスにおいて美術家を厚遇し文化の発展を支援したのは、自らルネサンスの文化に通じていたフランソワ1世です。彼の治世初期に、ブロワ城(の一部)やシャンボールなどが建設されました。
急勾配の大きな屋根・垂直線の強調
ブロア城
急勾配の大きな屋根や垂直線の強調からはフランスの伝統が見受けられます。
細部の古典的なデザイン・全体の統合された構成
シャンボール
それまでの城館の形を受け継ぎながらも、細部の古典的なデザインと全体の統合された構成には、はっきりとルネサンスの影響が表れています。
正確な古典主義
フランス人最初の建築家、Ph・ド・ロルムの登場によって、フランスは自国の独自性を確立しました。ロルムによる3層の凱旋門モチーフには、それぞれ3種の古典的オーダーが用いられ、古典的な細部が示されています。これは、彼の知識あってこそ成し得る所業でした。
参考文献
西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社
美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社
次の様式
西洋建築史年表
日本建築史年表
2025年11月18日
西洋絵画−フランス・バロック
舞台 フランス 太陽王ルイ14世が主権権を握る「絶対王政期」のフランスもまた、芸術の舞台となりました。自国の土壌で独自の様式を形成して行きます。 背景 フランスへ輸入 イタリア起源のバロックは、国境を超えてフランスにも広がりました。 伝統を守るフランス しかしフランスでのバロックは、主に前時代様式の否定として展開されて来た各地のバロックと異なり、「古典主義」的な傾向を保ちます。 それというのも、古典尊重のルイ王朝は「古代ローマを美術の範」としたからです。 王立アカデミーの設立 また、王立アカデミーの存在に ...
ReadMore
2025年11月18日
西洋絵画−立体派〈キュビズム〉
著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 フランス 産業革命以来、急速な進歩によりもたらされた「世界の拡大化」は、多種多様な芸術運動の下、「専門化」・「分化」を押し進めました。そんな中で、新しい視覚体験が模索されます。そして、「形態」と「構成」の面で大きな変革が起きたのはフランスでした。 背景 感覚派から知性派へ 野獣 ...
ReadMore
2025年11月18日
西洋絵画−フランス・ロココ
舞台 フランス 絵画史の中でも、特にロココは時代区分の難しい様式です。そもそもロココとバロックの区分を認めない説もあります。そのため当ブログでは、ロココの特徴が最も顕著に現れている、フランスで展開されたロココのみを取り扱います。 背景 絶対王政に陰りが見え始める 「太陽王ルイ14世」は、神から与えられた王権の行使者としての役割を演じることの出来た「最後の王」でした。 それというのも、1715年に彼が他界すると、その絶対王政にも陰りが見え始め、「貴族等の側近勢力が台頭」して来たからです。 太陽王からの開放 ...
ReadMore
2025年11月18日
西洋絵画−クールベ=マネ
舞台 フランス 第二帝政期、パリの都市改革を始め、社会構造の大きな転換があったフランス。都会人の新しい生活様式などが誕生しました。 背景 産業革命・資本主義の時代 19世紀後半、いよいよ「産業革命」の成果が浸透し始め、かつ「資本主義」の波風が立ち始めました。 近代への突入 「科学技術の飛躍的な進歩」・「都市部への人口集中」・「階級対立の激化」・「西欧の世界進出に伴う異文化交流」などが、人々の日常生活に大きな影響を与えます。 近代絵画の始まり 絵画においては、クールベやマネといった近代絵画の創始者によって、 ...
ReadMore
2025年11月18日
西洋絵画−マニエリスム
舞台 国際的な展開 イタリアに端を発したマニエリスムは、16世紀後半には国際的な広がりを見せます。 背景 反宗教改革に乗り出す カトリック教会が「反宗教改革」に乗り出す時代、「神秘的な表現」が求められるようになります。 絵画による奇跡体験 論理を持って「奇跡」を説明することは出来なくても、絵画の世界の中でならそれは可能になるからです。 劇的な表現の追求 それはやがて古典主義の特徴である、「穏やかさ」や「荘厳さ」、「静けさ」や「バランスの重視」に対して、より「魂の根源」に迫る表現に至りました。 ミケランジェ ...
ReadMore