西洋建築-初期キリスト

2025年10月3日

西洋建築-古代ギリシャ

時代背景 ドリス人の侵略 紀元前1100年頃、北方から南下してきたドリス人によって、先住のイオニア人やアルカディア人などが駆逐されました。 ポリスの形成 その後、紀元前800年頃には、村落を中心とした小さな都市国家ポリス*が形成され始めます。 ポリス:一定の地域に住む人々が、政治的・社会的な共同体を形成し、共同で自らの生活を統制する政治組織のことです。 しかし、あくまでもこの都市国家は、単に人々が集まり住んだものに過ぎず、都市として整備されたものではありませんでした。 古代民主政の誕生 ポリスは当初、農業 ...

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2025年10月3日

西洋建築-イギリス・新古典主義

フランスに並んで、イギリスではその頃 背景 古典主義の逸脱 バロックからロココの時期にかけて、「正統的な古典主義」の逸脱という傾向が著しく目立つようになりました。 それに対する批判が、来る新古典主義を用意したのです。 新古典主義の台頭 そして、新古典主義は18世紀の半ば頃から「バロック」・「ロココ」を駆逐し始め、18世紀後半には、時代を支配して行きます。 啓蒙思想による裏付け この背景には、「啓蒙思想」の興隆がありました。 人々の間で、物事を「分析的」・「経験的」・「実証的」に、いわば「合理的」に捉えよう ...

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2025年10月3日

日本建築-神仏習合

時代背景 6世紀前半、朝鮮半島を通じて中国からの文化が日本に伝来し、やがて日本独自の文化が形成される中で、神道と呼ばれる民間信仰が発展しました。そして神祇体制が敷かれることによって、神道は国家宗教となります。 一方で、7世紀には中国から仏教が伝来します。異なる教義や儀式を持つ仏教は、当初は神道との対立を避けられないと思われました。しかし8世紀後半頃になると、神道と仏教の間には相互の影響が生じ、信仰の融合が進んでいきました。神社においても仏教的な儀式や仏像が導入され、仏教寺院においても、神道的な信仰や神社に ...

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2025年10月3日

西洋建築-ロココ

背景 ルイ14世と貴族 ルイ14世は、フランスの絶対王政期において、貴族たちを自身の権力の下に統制しようと努めました。彼は貴族たちに対して、彼らが持つ領地や特権を管理する役割を与え、その責任を負わせます。また、貴族たちに対して軍隊への奉仕も求めました。しかし、貴族たちが軍隊に奉仕することを嫌がったため、ルイ14世は貴族たちを厳しく取り締まることを余儀なくされました。 宮廷文化 宮廷文化を重んじていたルイ14世は、貴族たちを宮廷に招待して自分の側に置くことで、自身の権力強化を図ります。宮廷に招待された貴族た ...

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2025年10月3日

西洋建築-イタリア・バロック

背景 行き過ぎた人間中心主義 ルネサンス文化を特色付けたものは人間性の再発見でした。そして、この人間性の範は古代に求められます。それゆえ人間の有限性を前提する筈でした。しかし、ルネサンス人は人間の有限性を忘れたかのように振る舞います。それはキリスト教においてさえ例外ではありませんでした。そしてこのような情勢に対する不満こそ、やがて来る宗教改革へと繋がって行くのです。 宗教改革の勃発 宗教改革の先駆けとなったのは、マルティン・ルターです。彼は「95ヶ条の論題」を掲げ、贖罪状の販売などの不正や教皇の権威主義を ...

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前の様式

背景

キリスト教の公認

キリスト教徒は当初、ローマ帝国によって迫害を受けていました。しかし313年に発布されたミラノ勅令*によって、これまでローマ帝国から弾圧を受けていたキリスト教が公認されます。

ミラノ勅令:4世紀初頭のローマ皇帝コンスタンティヌス帝によって発布された勅令で、キリスト教を公認するものでした。この勅令によって、キリスト教徒は迫害から解放され、徐々にローマ帝国内での信仰の自由が広がっていくのでした。

これによって、それまで地下に潜っていたキリスト教は、ローマ帝国の国教として華々しい役割を担うことになります。キリスト教が一つの地位を獲得したのです。

ミサ典礼を行うための聖堂

そんなキリスト教信者たちの理想は、イエスと一体化することです。

そのため、イエスの生涯を追体験するためのミサ典礼*を行う建造物が必要とされました。

ミサ典礼:キリスト教徒が神との交わりや共同体としての結束を深めるために行う儀式。聖書朗読・祈り・聖歌・説教・聖体拝領などが行われます。

その役割に相応しい建造物として、聖堂の建設が要請されたのです。

特徴

古代の担い手であったギリシャ人やアラブ人に代わり、中世の主役となったのはゲルマン民族*です。

ゲルマン民族:古代から中世にかけて、ヨーロッパ北部や中央部を中心に生活した諸民族のこと。多数の部族や民族が存在しており、それぞれが異なる文化や言語を持っていました。

対立する古代と中世の価値観

しかし、古代人が理性と民主主義を重んじたのに対し、ゲルマン人はやや封建的な性格であり、両者はまさに異質の存在でした。

キリスト教による統一

この両者を結び付けたのが、キリスト教の精神です。キリスト教によって、学問・宗教・芸術は統一されました。

造形・表現

バシリカ式と集中堂式

聖堂の目的は、ミサ典礼を行う場を作ること。その際にお手本となったのは、古代ローマ時代に、裁判や商取引などの集会に用いられていたバシリカ式と、死者のための墓廟として用いられた集中堂式です。

キリスト教建築の歴史は、この2つの形式において展開されるといっても過言ではありません。

バシリカ式の特徴

長方形の中央に通路があり、その両側に側廊が配置されました。通路は柱によって区切られました。

大人数の収容に適した空間構成

サンタ・サビーナ教会堂

教会の目的の一つであるミサ典礼を行うためには、大人数を収容出来る広さが必要でした。それにはバシリカ式が適任でした。

長さを意識した空間構成

サンタ・マリアマッジョーレ教会堂

バシリカ式では、入り口から聖なる空間(奥)への直線の軸が強調されています。これによって、信者がこれから神聖な場所へと向かうことが印象付けられたのです。

集中堂式の特徴

中央に大きな円形や多角形の空間を持ち、その周りに放射状に並ぶ柱やアーチ、ドームなどが配されました。

神聖な雰囲気を演出する空間構成

教会は信者の心を掴む必要がありました。集中堂式は、ドームの頂点へと向かう求心的な上昇感によって、その要望に応えたのです。

高さを意識した空間構成

空高くへの上昇感は、まるで人々を天国へと誘うかのようです。実際、集中堂的な設計が施された建造物というのは、西東を問わず死を象徴していました。

円や正多角形の平面

中心が持つ求心力は極めて重要な要素であり、集中堂式は特に宗教が政治的な権力を誇ったビザンティン文化において大きな発展を見せました。

参考文献

西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会

建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会

西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社

美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社

次の様式

西洋建築史年表

日本建築史年表

2025年10月3日

西洋絵画−イタリア・バロック

舞台 イタリア 16世紀後半のイタリア、おおよそ芸術活動の低迷期に入っていました。しかし、カラヴァッジョの活躍によって、ローマで新たな盛り上がりを見せます。その後、カラヴァッジョ様式は国際的な広がりを見せました。(本記事では、イタリアに比較的近しい展開を見せたフランドル・スペインも一緒に取り上げます) 背景 宗教改革に対抗するカトリック教会 カトリック協会の免罪符を直接のきっかけに、「宗教改革」が勃発。離れていった信者の心を取り戻すため、カトリック教会は「反宗教改革」に乗り出しました。 分かり易さを武器に ...

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2025年10月3日

西洋絵画−初期ルネサンス

西洋絵画史の始まり 西洋絵画史の精神は「人間性の自覚」にある、というのが私の基本的な考えの立場です。そのため、当ブログでは、初期ルネサンスを西洋絵画史の始まりとします。 舞台 フィレンツェ 初期ルネサンスの舞台は、市民階級がいち早く台頭したイタリアの商業都市「フィレンツェ」です。 時代背景 キリスト教世界のほころび 中世ヨーロッパ社会は、これまで精神的にはキリスト教に支えられてきました。しかし、このキリスト教観というのは、人間を神の摂理にのみ従う下僕として、その限りにおいて人生の意義を認めるものでした。そ ...

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2025年10月3日

西洋絵画−ロマン主義

舞台 フランス 革命期から王政復古期にかけてのフランス。新古典主義が絵画の主導権を握っていた一方で、その「静的で厳粛な様式」は、人の心を真に動かす力に欠けていました。そんな中、絵画に再び「動き」を取り戻そうという流れが形成されます。 背景 ヨーロッパ各国の独立意識 「フランス革命」・「ナポレオンの侵略」という二つの事件をきっかけに、各国は「自我」に目覚めます。 古代ローマという西欧各国における「共通の祖先」から、「自国の歴史」・「風土」へと関心が移ったのです。 プロパガンダとしての絵画 ナポレオンの第一帝 ...

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2025年10月3日

西洋絵画−ドイツ表現主義

著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 ドイツ これまでフランスに押され気味であまり活躍の場がなかったドイツでしたが、遂に自国を始点とする芸術運動の波風が立ち始めます。というのも、「近代化」を急激に進めて行ったドイツでは、それだけ社会に対する不満も生まれやすく、「苦しみを表現する画家」たちを産むには最適な土壌だったか ...

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2025年10月3日

西洋絵画−オランダ・バロック

舞台 オランダ 16世紀末、「プロテスタント」勢力の強かったフランドル地方の北部にて、「スペイン領からの独立」を果たした新教国、オランダが誕生しました。 背景 イタリアからオランダへ輸入 イタリア起源のバロックは、国境を超えてオランダにも広がりました。 プロテスタントの国 オランダ共和国として独立を果たし、「東インド会社等の国際貿易」により、目覚ましい「経済発展」を遂げたオランダは、その経済力を背景にオランダ独自の「市民文化」を繁栄させていました。 「プロテスタントの国」であったオランダでは、「教会よりも ...

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-西洋建築史