西洋建築-初期キリスト

2026年10月2日

西洋建築-マニエリスム

時代背景 ローマの没落 1527年、ローマ劫掠が勃発。教皇クレメンス7世と対立していたスペイン皇帝カール5世は、ランツクネヒト*を雇って、ローマを占領・略奪させました。そして激しい略奪・虐殺にあったローマでは、多くの市民が命を失い、教皇クレメンス7世も逃亡を余儀なくされました。かくしてローマは政治的・経済的に弱体化し、周辺の大国から支配されるようになって行くのです。 ランツクネヒト:15世紀から16世紀にかけて、主にドイツ圏で編成された傭兵部隊の一種。戦術に長けており、近代戦術の先駆けとも称されました。 ...

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2026年10月2日

西洋建築-ゴシック

背景 中央集権の基盤が整い始める 当時のヨーロッパは、多くの小国家や地方政府が存在し、権力の分散化が進んでいました。そんな中、国王たちは中央集権化政策を進め、自らの権力を強化し、統治の効率化を図ります。王権の強化、法律の統一、行政機構の整備、課税制度の整備などが行われました。かくして、地方領主の手中にあった統治が国王の下に回収されます。 中央集権化政策:政治的な権限や権力が中央政府に集中すること。 特に勢いがあったのは、ルイ7世です。各地の貴族や教会が持っていた法的な特権を制限することで、自身の王権強化に ...

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2026年10月2日

西洋建築-イギリス・ルネサンス

背景 薔薇戦争 1455年、ランカスター家とヨーク家の間の王位継承を巡る争いが原因で、薔薇戦争*が始まりました。1461年、ヨーク家のエドワード4世がランカスター家を破り、王位に就くことで、この争いは一応の決着が着きます。しかしその後、ランカスター家のヘンリー6世が復位し、1470年代には再び戦争が勃発しました。最終的には、ヨーク家のリチャード3世が1485年にランカスター家のヘンリー7世に敗北し、決着となりました。そして、ヘンリー7世が王位に就いたことで、テューダー王朝が始まります。 薔薇戦争という名称 ...

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2026年10月2日

日本建築-黄檗宗

時代背景 黄檗宗を輸入 徳川幕府による鎖国の時代、外国との接触は制限されていました。しかし、大陸からの新しい影響がまったくなくなったわけではありません。1654年、明から渡来した隠元によって、禅宗の一派「黄檗宗」が持ち込まれます。そして四代目将軍・徳川家綱の加護を受け、1661年に宇治の万福寺を開きました。 黄檗宗は、禅宗の中でも実践的な哲学を重視しました。宗教的な理論や論理的思考よりも、自己の実践によって真理を理解することを目指します。 黄檗宗は、中国の禅宗である黄檗派と日本の臨済宗や曹洞宗が合流して誕 ...

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2026年10月2日

日本建築-室町

時代背景 南北朝時代 鎌倉幕府による長期政権は、200年以上に渡りました。しかし14世紀に入ると、幕府内部に対立が生じるようになります。そして1333年、後醍醐天皇が幕府に反旗を翻して、建武政権を開きました。 建武政権:後醍醐天皇の直轄支配下にある新たな政治体制。天皇としての権威を回復し、幕府を打倒することを目的としました。 建武政権の初代天皇となったのは、後醍醐天皇の皇子である光明天皇です。しかし鎌倉幕府の滅亡を実現できぬまま、建武政権は1348年に崩壊します。そして、建武政権崩壊後に成立した北朝には、 ...

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前の様式

背景

キリスト教の公認

キリスト教徒は当初、ローマ帝国によって迫害を受けていました。しかし313年に発布されたミラノ勅令*によって、これまでローマ帝国から弾圧を受けていたキリスト教が公認されます。

ミラノ勅令:4世紀初頭のローマ皇帝コンスタンティヌス帝によって発布された勅令で、キリスト教を公認するものでした。この勅令によって、キリスト教徒は迫害から解放され、徐々にローマ帝国内での信仰の自由が広がっていくのでした。

これによって、それまで地下に潜っていたキリスト教は、ローマ帝国の国教として華々しい役割を担うことになります。キリスト教が一つの地位を獲得したのです。

ミサ典礼を行うための聖堂

そんなキリスト教信者たちの理想は、イエスと一体化することです。

そのため、イエスの生涯を追体験するためのミサ典礼*を行う建造物が必要とされました。

ミサ典礼:キリスト教徒が神との交わりや共同体としての結束を深めるために行う儀式。聖書朗読・祈り・聖歌・説教・聖体拝領などが行われます。

その役割に相応しい建造物として、聖堂の建設が要請されたのです。

特徴

古代の担い手であったギリシャ人やアラブ人に代わり、中世の主役となったのはゲルマン民族*です。

ゲルマン民族:古代から中世にかけて、ヨーロッパ北部や中央部を中心に生活した諸民族のこと。多数の部族や民族が存在しており、それぞれが異なる文化や言語を持っていました。

対立する古代と中世の価値観

しかし、古代人が理性と民主主義を重んじたのに対し、ゲルマン人はやや封建的な性格であり、両者はまさに異質の存在でした。

キリスト教による統一

この両者を結び付けたのが、キリスト教の精神です。キリスト教によって、学問・宗教・芸術は統一されました。

造形・表現

バシリカ式と集中堂式

聖堂の目的は、ミサ典礼を行う場を作ること。その際にお手本となったのは、古代ローマ時代に、裁判や商取引などの集会に用いられていたバシリカ式と、死者のための墓廟として用いられた集中堂式です。

キリスト教建築の歴史は、この2つの形式において展開されるといっても過言ではありません。

バシリカ式の特徴

長方形の中央に通路があり、その両側に側廊が配置されました。通路は柱によって区切られました。

大人数の収容に適した空間構成

サンタ・サビーナ教会堂

教会の目的の一つであるミサ典礼を行うためには、大人数を収容出来る広さが必要でした。それにはバシリカ式が適任でした。

長さを意識した空間構成

サンタ・マリアマッジョーレ教会堂

バシリカ式では、入り口から聖なる空間(奥)への直線の軸が強調されています。これによって、信者がこれから神聖な場所へと向かうことが印象付けられたのです。

集中堂式の特徴

中央に大きな円形や多角形の空間を持ち、その周りに放射状に並ぶ柱やアーチ、ドームなどが配されました。

神聖な雰囲気を演出する空間構成

教会は信者の心を掴む必要がありました。集中堂式は、ドームの頂点へと向かう求心的な上昇感によって、その要望に応えたのです。

高さを意識した空間構成

空高くへの上昇感は、まるで人々を天国へと誘うかのようです。実際、集中堂的な設計が施された建造物というのは、西東を問わず死を象徴していました。

円や正多角形の平面

中心が持つ求心力は極めて重要な要素であり、集中堂式は特に宗教が政治的な権力を誇ったビザンティン文化において大きな発展を見せました。

参考文献

西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会

建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会

西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社

美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社

次の様式

西洋建築史年表

日本建築史年表

2026年10月2日

西洋絵画−ヴェネツィア派

舞台 ヴェネツィア ローマで盛期ルネサンスが盛り上がりを見せていたその頃、東方とヨーロッパを結ぶ貿易で富を蓄積したヴェネツィアでは、別のルネサンスが誕生していました。一般に、ヴェネツィア派と呼ばれるものです。 背景 裕福な市民が誕生 ヴェネツィアでは、教会や市当局だけでなく、富裕で教養ある個人からの注文も盛んになりました。 個人受けする作品が流行 彼らは、伝統的な物語の著述よりも「感覚的な魅力」を要求します。 そのため、主題の重要性以上に、「鑑賞者が満足する」ような作品が好まれました。 特徴と画家 鮮やか ...

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2026年10月2日

西洋絵画−後期印象派

一般に、スーラ・セザンヌ・ゴーギャン・ゴッホの四天王を総称して後期印象派と呼ぶことが多いです。しかし、当ブログでは個人的な趣きもあって、新印象主義(スーラ)・セザンヌ・後期印象派(その他の画家)という風に細分化しています。 舞台 フランス 印象派に続き、フランスが芸術の中心地として君臨しています。 背景 時代背景は主に新印象主義と同じです。 印象派の乗り越え 時代の寵児であった印象派も、1886年には最後の展覧会を迎え、いよいよ批判と反省の対象として乗り越えられる存在になります。 物の形を犠牲にした印象派 ...

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2026年10月2日

西洋絵画−初期ルネサンス

西洋絵画史の始まり 西洋絵画史の精神は「人間性の自覚」にある、というのが私の基本的な考えの立場です。そのため、当ブログでは、初期ルネサンスを西洋絵画史の始まりとします。 舞台 フィレンツェ 初期ルネサンスの舞台は、市民階級がいち早く台頭したイタリアの商業都市「フィレンツェ」です。 時代背景 キリスト教世界のほころび 中世ヨーロッパ社会は、これまで精神的にはキリスト教に支えられてきました。しかし、このキリスト教観というのは、人間を神の摂理にのみ従う下僕として、その限りにおいて人生の意義を認めるものでした。そ ...

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2026年10月2日

西洋絵画−印象派

舞台 フランス フランス美術は西洋絵画史の主要舞台の座を確立しました。イギリス風景画の伝統もスペイン画家ゴヤの系譜もフランスに吸収され、オランダ画家ゴッホもこの地での修行を得て覚醒しました。 背景 印象派展の開催 1874年、モネ・ルノワール・セザンヌ・ドガ・ピサロらによって、展覧会が開かれました。 彼らの作品に共通して見られる「スケッチ的な作風」から、この展覧会に集まった彼らは総称して、「印象派」と命名されることになります。 多様性に満ちた印象派グループ しかし実際のところ、彼らには明確な意味での共有さ ...

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2026年10月2日

西洋絵画−ドイツ表現主義

著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 ドイツ これまでフランスに押され気味であまり活躍の場がなかったドイツでしたが、遂に自国を始点とする芸術運動の波風が立ち始めます。というのも、「近代化」を急激に進めて行ったドイツでは、それだけ社会に対する不満も生まれやすく、「苦しみを表現する画家」たちを産むには最適な土壌だったか ...

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-西洋建築史