西洋建築-初期キリスト

2026年10月2日

日本建築-飛鳥・奈良(寺院)

時代背景 仏教の伝来 六世紀半ば頃、仏教が百済から日本に伝来*しました。その教えが持ち込まれると同時に、それを体現する場として寺院建築が必要になり、それに由来して仏教建築の新技術が持ち込まれます。 聖明(百済の王子)は、日本の皇室との外交関係を深めるために、日本に渡来し仏教を伝えたとされています。 仏教を受け入れるか、拒否するか ただ、仏教は満場一致で受け入れられた訳ではありませんでした。いわゆる、「排仏派」と「崇仏派」に分かれます。 国際情勢に明るい蘇我氏は賛成 主に「崇仏」を主張したのは、渡来人勢力と ...

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2026年10月2日

西洋建築-ゴシック

背景 中央集権の基盤が整い始める 当時のヨーロッパは、多くの小国家や地方政府が存在し、権力の分散化が進んでいました。そんな中、国王たちは中央集権化政策を進め、自らの権力を強化し、統治の効率化を図ります。王権の強化、法律の統一、行政機構の整備、課税制度の整備などが行われました。かくして、地方領主の手中にあった統治が国王の下に回収されます。 中央集権化政策:政治的な権限や権力が中央政府に集中すること。 特に勢いがあったのは、ルイ7世です。各地の貴族や教会が持っていた法的な特権を制限することで、自身の王権強化に ...

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2026年10月2日

西洋建築-ドイツ表現主義

背景 第一次世界大戦 1914年6月28日、オーストリア皇太子夫妻がセルビアの首都ベオグラードで暗殺されるという事件が起こります。これをきっかけに、オーストリア=ハンガリー帝国はセルビアに宣戦布告しました。そしてオーストリア=ハンガリー帝国の後ろ盾となっていたドイツも、この戦争へ参加することになります。 当初のドイツは、急速に発展し、経済的・軍事的な力を蓄えていたため、早期に勝利すると楽観的に考えられていました。しかし戦争の泥沼化によって戦況は逆転し、最終的には敗戦という結果を迎えます。 敗戦後のドイツ ...

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2026年10月2日

西洋建築-古代ローマ

時代背景 小さな村落から始まったローマ市 紀元前753年に誕生したローマ市は、最初こそ小さな村落に過ぎませんでした。 ヨーロッパ全域へ領土を拡大 しかし、紀元前5世紀末までにはエトルリア*などの周辺都市国家を、紀元前3世紀中頃までには南イタリアのギリシャ植民都市を支配下に置き、紀元前1世紀末には地中海沿岸全域をほぼを手中に治めます。 エトルリア:古代イタリア半島に存在した文明です。紀元前8世紀から紀元前3世紀にかけて栄えました。 異国文化を吸収 領土の拡大は、エトルリア文化や植民都市経由での古代ギリシャ文 ...

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2026年10月2日

日本建築-室町

時代背景 南北朝時代 鎌倉幕府による長期政権は、200年以上に渡りました。しかし14世紀に入ると、幕府内部に対立が生じるようになります。そして1333年、後醍醐天皇が幕府に反旗を翻して、建武政権を開きました。 建武政権:後醍醐天皇の直轄支配下にある新たな政治体制。天皇としての権威を回復し、幕府を打倒することを目的としました。 建武政権の初代天皇となったのは、後醍醐天皇の皇子である光明天皇です。しかし鎌倉幕府の滅亡を実現できぬまま、建武政権は1348年に崩壊します。そして、建武政権崩壊後に成立した北朝には、 ...

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前の様式

背景

キリスト教の公認

キリスト教徒は当初、ローマ帝国によって迫害を受けていました。しかし313年に発布されたミラノ勅令*によって、これまでローマ帝国から弾圧を受けていたキリスト教が公認されます。

ミラノ勅令:4世紀初頭のローマ皇帝コンスタンティヌス帝によって発布された勅令で、キリスト教を公認するものでした。この勅令によって、キリスト教徒は迫害から解放され、徐々にローマ帝国内での信仰の自由が広がっていくのでした。

これによって、それまで地下に潜っていたキリスト教は、ローマ帝国の国教として華々しい役割を担うことになります。キリスト教が一つの地位を獲得したのです。

ミサ典礼を行うための聖堂

そんなキリスト教信者たちの理想は、イエスと一体化することです。

そのため、イエスの生涯を追体験するためのミサ典礼*を行う建造物が必要とされました。

ミサ典礼:キリスト教徒が神との交わりや共同体としての結束を深めるために行う儀式。聖書朗読・祈り・聖歌・説教・聖体拝領などが行われます。

その役割に相応しい建造物として、聖堂の建設が要請されたのです。

特徴

古代の担い手であったギリシャ人やアラブ人に代わり、中世の主役となったのはゲルマン民族*です。

ゲルマン民族:古代から中世にかけて、ヨーロッパ北部や中央部を中心に生活した諸民族のこと。多数の部族や民族が存在しており、それぞれが異なる文化や言語を持っていました。

対立する古代と中世の価値観

しかし、古代人が理性と民主主義を重んじたのに対し、ゲルマン人はやや封建的な性格であり、両者はまさに異質の存在でした。

キリスト教による統一

この両者を結び付けたのが、キリスト教の精神です。キリスト教によって、学問・宗教・芸術は統一されました。

造形・表現

バシリカ式と集中堂式

聖堂の目的は、ミサ典礼を行う場を作ること。その際にお手本となったのは、古代ローマ時代に、裁判や商取引などの集会に用いられていたバシリカ式と、死者のための墓廟として用いられた集中堂式です。

キリスト教建築の歴史は、この2つの形式において展開されるといっても過言ではありません。

バシリカ式の特徴

長方形の中央に通路があり、その両側に側廊が配置されました。通路は柱によって区切られました。

大人数の収容に適した空間構成

サンタ・サビーナ教会堂

教会の目的の一つであるミサ典礼を行うためには、大人数を収容出来る広さが必要でした。それにはバシリカ式が適任でした。

長さを意識した空間構成

サンタ・マリアマッジョーレ教会堂

バシリカ式では、入り口から聖なる空間(奥)への直線の軸が強調されています。これによって、信者がこれから神聖な場所へと向かうことが印象付けられたのです。

集中堂式の特徴

中央に大きな円形や多角形の空間を持ち、その周りに放射状に並ぶ柱やアーチ、ドームなどが配されました。

神聖な雰囲気を演出する空間構成

教会は信者の心を掴む必要がありました。集中堂式は、ドームの頂点へと向かう求心的な上昇感によって、その要望に応えたのです。

高さを意識した空間構成

空高くへの上昇感は、まるで人々を天国へと誘うかのようです。実際、集中堂的な設計が施された建造物というのは、西東を問わず死を象徴していました。

円や正多角形の平面

中心が持つ求心力は極めて重要な要素であり、集中堂式は特に宗教が政治的な権力を誇ったビザンティン文化において大きな発展を見せました。

参考文献

西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会

建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会

西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社

美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社

次の様式

西洋建築史年表

日本建築史年表

2026年10月2日

西洋絵画−後期印象派

一般に、スーラ・セザンヌ・ゴーギャン・ゴッホの四天王を総称して後期印象派と呼ぶことが多いです。しかし、当ブログでは個人的な趣きもあって、新印象主義(スーラ)・セザンヌ・後期印象派(その他の画家)という風に細分化しています。 舞台 フランス 印象派に続き、フランスが芸術の中心地として君臨しています。 背景 時代背景は主に新印象主義と同じです。 印象派の乗り越え 時代の寵児であった印象派も、1886年には最後の展覧会を迎え、いよいよ批判と反省の対象として乗り越えられる存在になります。 物の形を犠牲にした印象派 ...

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2026年10月2日

西洋絵画−フランス象徴主義

印象派に並行して、象徴主義が発展 舞台 フランス 象徴主義は各国において多様な発展を遂げました。中でも大きな影響を与えたのは、フランスにおいて展開された象徴主義です。 背景 もう一つの芸術運動 19世紀後半、印象派が盛り上がりを見せていたその頃、並行して別の流れが形成されていました。 商業化する芸術 先導したのは、「科学」と「機械万能」という時代における「実利的なブルジョア精神」や、「芸術の卑俗化」に嫌気がさした画家たちです。 人間の内面を描く 彼らは、人間存在とその運命に関する「深い苦悩」・「精神性への ...

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2026年10月2日

西洋絵画史年表

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2026年10月2日

西洋絵画−盛期ルネサンス

舞台 ローマ 1492年、芸術文化を支えたロレンツォ・デ・メディチの没後、「フィレンツェ」は、ドメニコ会修道僧サヴォナローラの支配下に置かれ、やや停滞期を迎えます。その一方で、ユリウス二世に代表される辣腕の教皇の下で、「ローマ」は活気を取り戻しました。かくして、ルネサンスの舞台は「フィレンツェからローマへ」移ります。 背景 巨匠の時代 15世紀末から16世紀初頭にかけてのおよそ30年間、一般には盛期ルネサンスと呼ばれます。この時代は、「巨匠の時代」でした。 古代や自然の超克 彼らは自らの才能を自覚し、「古 ...

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2026年10月2日

西洋絵画−フランス・新古典主義絵画

舞台 フランス 革命期からナポレオン時代にかけてのフランス。ナポレオンは絵画を、自らの理念の「プロパガンダ」として活用しました。そのため、絵画は記録的な意味合いを強めます。 背景 軽快なロココに対する反動 18世紀後半、「快楽主義的」で「感覚的」なロココ様式に対する反動として、美は表面的なものでなく「崇高」なものであると考える傾向が強まります。 崇高さを追求 そして、「装飾趣味」や「官能的な裸婦像」に代わって、「形而上的な内容」や「簡素で壮大な形態感覚」を備える古典美術が範とされました。 特徴と画家 相次 ...

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-西洋建築史