2025年6月23日
西洋建築-ドイツ表現主義
背景 第一次世界大戦 1914年6月28日、オーストリア皇太子夫妻がセルビアの首都ベオグラードで暗殺されるという事件が起こります。これをきっかけに、オーストリア=ハンガリー帝国はセルビアに宣戦布告しました。そしてオーストリア=ハンガリー帝国の後ろ盾となっていたドイツも、この戦争へ参加することになります。 当初のドイツは、急速に発展し、経済的・軍事的な力を蓄えていたため、早期に勝利すると楽観的に考えられていました。しかし戦争の泥沼化によって戦況は逆転し、最終的には敗戦という結果を迎えます。 敗戦後のドイツ ...
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2025年6月23日
日本建築-密教
時代背景 仏教と政治 この時代、仏教は政治と深い関係にありました*。また、寺院は政治的・官僚的な組織を形成していました*。そのため、寺院が勢力を強めて行くに従い、政治を左右する存在になって行きます。時には天皇位の簒奪さえも企てられました。かくして、政治に対する仏教の影響は看破できないものとなっていくのです。 仏教と政治:仏教伝来の当初、僧侶は天皇家に仕え、国家を守護する役割を担っていました。そのため、天皇家や貴族から保護を受けるようになります。彼ら政治権力者たちの思惑は、仏教を利用して自らの権威や権力を確 ...
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2025年6月23日
日本建築-飛鳥・奈良(寺院)
時代背景 仏教の伝来 六世紀半ば頃、仏教が百済から日本に伝来*しました。その教えが持ち込まれると同時に、それを体現する場として寺院建築が必要になり、それに由来して仏教建築の新技術が持ち込まれます。 聖明(百済の王子)は、日本の皇室との外交関係を深めるために、日本に渡来し仏教を伝えたとされています。 仏教を受け入れるか、拒否するか ただ、仏教は満場一致で受け入れられた訳ではありませんでした。いわゆる、「排仏派」と「崇仏派」に分かれます。 国際情勢に明るい蘇我氏は賛成 主に「崇仏」を主張したのは、渡来人勢力と ...
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2025年6月23日
日本建築-大仏様
時代背景 力をつける寺社 この時代の寺社は、各地に荘園*を持つようになり、財政的にも潤っていました。それに伴い、政治的な力も強めていきます。 荘園:領主が自らの所有する土地を農民や奴隷などに貸し出して、彼らからの税を収める経営形態。土地を借りる農民や奴隷は、作物や畜産物などの収穫物や一定の労役を支払うことによって生計を立てていました。 僧兵による武装化 寺社が権力を握る中、自分たちの力で社会を切り開き、大和国の実権を握ったのは平清盛でした。もちろん、もともと大和国での特権を保持していた南都寺院からすれば、 ...
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2025年6月23日
西洋建築-イタリア・ルネサンス
前の様式 舞台 イタリア・ルネサンスの舞台は、市民階級がいち早く台頭したイタリアの商業都市「フィレンツェ」です。 時代背景 イタリアは、中世において商業や金融の中心地として栄え、豊かな都市国家へと発展しました。このような繁栄の中で、芸術家や学者が集まり、文化的な交流が盛んに行われるようになります。また、イタリアでは古代ローマや古代ギリシャの文化が受け継がれていましたが、ルネサンス期において、これはキリスト教中心の中世思想に対する反発という形をとって現れました。 キリスト教世界のほころび 中世ヨーロッパ社会 ...
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前の様式
背景
アーツ・アンド・クラフツの影響
1907年、イギリスで始まった「アーツ・アンド・クラフツ運動*」の影響が、ドイツでは、「ドイツ工作連盟」の結成として表れます。彼らは、産業生産において芸術的な要素を取り入れることが重要であると信じ、芸術と工業の融合を目指しました。
アーツ・アンド・クラフツ運動:工芸品の制作において、芸術と工業を融合させることを目指した運動
アーツ・アンド・クラフツ運動では、手工業や小規模な工場に焦点を当てていた*ため、大量生産には対応できないという欠点を抱えていました。これに対し、ドイツ工作連盟は大量生産技術にも注目します。製品の機能性や実用性を考慮しながら、芸術的なデザインによって製品の価値を高めることを目指したのです。
アーツ・アンド・クラフツ運動の理想は、職人たちが手作りで製品を作り上げることで、製品に個性・一回性が反映されることでした。一方大量生産の場合では、デザインが統一されることになります。
この背景には「第二次産業革命」がありました。「量産の時代」とも呼ばれるこの時期に突入して以降、工業製品の生産が大量化され、生産性が飛躍的に向上したのです。その要因としては、蒸気機関や内燃機関、電力などの発明が進んだこと、鋼鉄・アルミニウム・プラスチックなどの新しい素材が発明されたこと、移民の増加や都市部からの人口流入により、工業労働者の確保が容易になったことなどが挙げられます。多くの人々にとって工業製品身近な存在となった今、大量生産は無視できない状況だったのです。
特徴
機械との共存
これまでの芸術運動においては、基本的に機械は敵対視されていました。たとえばアール・ヌーボーでは、手工芸にこだわるあまり、機械を全否定します、しかし、それはかえって時代から取り残されることになりました。
そこで機械との共存を図ろうという試みが現れ始めます。それが「ドイツ工作連盟」です。彼らは、何のためらいもなく機械を肯定し、むしろ「機械様式」を自らの様式とすることで、現代工業デザインの先駆けとなることに成功しました。「建築部材の規格化」や「大量生産」を、芸術面での強みに変えたのです。
彼らは工芸の革新から出発し、作品に「合理性」と「単純性」を求めました。「形のための形」に意義を認めず、「即物性」を造形の指導標としたのです。そしてその技術革新は、工場建築から始まりました。工場建築はその性格からして「経済性」と「生産性」を第一に考える建物であったため、「機能的なデザインの追求」・「合理的な材料の選択」・「文化的伝統の排除」が容易に行えたからです。
鉄・ガラスによる構成・装飾の排除
AEGタービン工場|P・ベーレンス
P・ベーレンスは、鉄骨トラスの大架構を用いることで、巨大なガラス面の外壁を実現しました。また「付加的な装飾」は一切取り除かれました。
工業生産と造形の一体化を具現
ファグス靴工場|W・グロピウス、A・マイヤー
ベーレンスの下から独立したグロピウスは、主要な外壁を「カーテンウォール」にしました。当時の持てる技術が反映されているのが分かります。
カーテンウォール:建物の外壁にカーテンのように張られた外装材(主にガラスやアルミニウムなどの軽量材料を用いられる)によって、その建物を覆う外装構造のこと。
参考文献
西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社
美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社
次の様式
西洋建築史年表
日本建築史年表
2025年6月23日
西洋絵画−後期印象派
一般に、スーラ・セザンヌ・ゴーギャン・ゴッホの四天王を総称して後期印象派と呼ぶことが多いです。しかし、当ブログでは個人的な趣きもあって、新印象主義(スーラ)・セザンヌ・後期印象派(その他の画家)という風に細分化しています。 舞台 フランス 印象派に続き、フランスが芸術の中心地として君臨しています。 背景 時代背景は主に新印象主義と同じです。 印象派の乗り越え 時代の寵児であった印象派も、1886年には最後の展覧会を迎え、いよいよ批判と反省の対象として乗り越えられる存在になります。 物の形を犠牲にした印象派 ...
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2025年6月23日
西洋絵画−イタリア・バロック
舞台 イタリア 16世紀後半のイタリア、おおよそ芸術活動の低迷期に入っていました。しかし、カラヴァッジョの活躍によって、ローマで新たな盛り上がりを見せます。その後、カラヴァッジョ様式は国際的な広がりを見せました。(本記事では、イタリアに比較的近しい展開を見せたフランドル・スペインも一緒に取り上げます) 背景 宗教改革に対抗するカトリック教会 カトリック協会の免罪符を直接のきっかけに、「宗教改革」が勃発。離れていった信者の心を取り戻すため、カトリック教会は「反宗教改革」に乗り出しました。 分かり易さを武器に ...
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2025年6月23日
2025年6月23日
西洋絵画−印象派
舞台 フランス フランス美術は西洋絵画史の主要舞台の座を確立しました。イギリス風景画の伝統もスペイン画家ゴヤの系譜もフランスに吸収され、オランダ画家ゴッホもこの地での修行を得て覚醒しました。 背景 印象派展の開催 1874年、モネ・ルノワール・セザンヌ・ドガ・ピサロらによって、展覧会が開かれました。 彼らの作品に共通して見られる「スケッチ的な作風」から、この展覧会に集まった彼らは総称して、「印象派」と命名されることになります。 多様性に満ちた印象派グループ しかし実際のところ、彼らには明確な意味での共有さ ...
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2025年6月23日
西洋絵画−ロマン主義
舞台 フランス 革命期から王政復古期にかけてのフランス。新古典主義が絵画の主導権を握っていた一方で、その「静的で厳粛な様式」は、人の心を真に動かす力に欠けていました。そんな中、絵画に再び「動き」を取り戻そうという流れが形成されます。 背景 ヨーロッパ各国の独立意識 「フランス革命」・「ナポレオンの侵略」という二つの事件をきっかけに、各国は「自我」に目覚めます。 古代ローマという西欧各国における「共通の祖先」から、「自国の歴史」・「風土」へと関心が移ったのです。 プロパガンダとしての絵画 ナポレオンの第一帝 ...
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