時代背景 仏教の伝来 六世紀半ば頃、仏教が百済から日本に伝来*しました。その教えが持ち込まれると同時に、それを体現する場として寺院建築が必要になり、それに由来して仏教建築の新技術が持ち込まれます。 聖明(百済の王子)は、日本の皇室との外交関係を深めるために、日本に渡来し仏教を伝えたとされています。 仏教を受け入れるか、拒否するか ただ、仏教は満場一致で受け入れられた訳ではありませんでした。いわゆる、「排仏派」と「崇仏派」に分かれます。 国際情勢に明るい蘇我氏は賛成 主に「崇仏」を主張したのは、渡来人勢力と ...
背景 行き過ぎた人間中心主義 ルネサンス文化を特色付けたものは人間性の再発見でした。そして、この人間性の範は古代に求められます。それゆえ人間の有限性を前提する筈でした。しかし、ルネサンス人は人間の有限性を忘れたかのように振る舞います。それはキリスト教においてさえ例外ではありませんでした。そしてこのような情勢に対する不満こそ、やがて来る宗教改革へと繋がって行くのです。 宗教改革の勃発 宗教改革の先駆けとなったのは、マルティン・ルターです。彼は「95ヶ条の論題」を掲げ、贖罪状の販売などの不正や教皇の権威主義を ...
時代背景 ドリス人の侵略 紀元前1100年頃、北方から南下してきたドリス人によって、先住のイオニア人やアルカディア人などが駆逐されました。 ポリスの形成 その後、紀元前800年頃には、村落を中心とした小さな都市国家ポリス*が形成され始めます。 ポリス:一定の地域に住む人々が、政治的・社会的な共同体を形成し、共同で自らの生活を統制する政治組織のことです。 しかし、あくまでもこの都市国家は、単に人々が集まり住んだものに過ぎず、都市として整備されたものではありませんでした。 古代民主政の誕生 ポリスは当初、農業 ...
時代背景
黄檗宗を輸入

徳川幕府による鎖国の時代、外国との接触は制限されていました。しかし、大陸からの新しい影響がまったくなくなったわけではありません。1654年、明から渡来した隠元によって、禅宗の一派「黄檗宗」が持ち込まれます。そして四代目将軍・徳川家綱の加護を受け、1661年に宇治の万福寺を開きました。
黄檗宗は、禅宗の中でも実践的な哲学を重視しました。宗教的な理論や論理的思考よりも、自己の実践によって真理を理解することを目指します。

黄檗宗は、中国の禅宗である黄檗派と日本の臨済宗や曹洞宗が合流して誕生した宗派です。直感的で身体的な修行法である坐禅や行禅に重点を置き、また黄檗宗の寺院では広く一般に開かれた修行会が行われ、坐禅や読経などの仏教行事に参加することができたため、一般人にも取り入れやすい宗派として人気を集めました。

その後、海外との窓口であった長崎をはじめ、全国に黄檗宗寺院が建立されると、広間でのお茶会や禅堂での坐禅会などを目当てに近隣住民や観光客なども気軽に訪れるようになりました。
造形
伽藍の建立には日本人の工匠が従事しましたが、歴代の住職は中国の渡来僧が務めることが多く、そのため中国的な様式が堅持されました。
禅宗寺院と共通する点も多い
黄檗宗寺院は、日本式の建築様式や装飾を取り入れ、日本人に受け入れられやすいように設計されました。
二重の屋根

禅宗寺院になかった要素
アーチ状に造られた天井

円窓

中国的なデザインによって、異国情緒を表現
祟福寺第一峰門
斜めの組物によって軒下を覆いつくされています。
参考文献
日本建築史講義|著.海野聡|学芸出版社
建物が語る日本の歴史|著.海野聡|吉川弘文館
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
日本建築様式史|監修・太田博太郎|美術出版社
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