2026年4月3日
日本建築-大衆寺院
時代背景 寺院にも自営が求められる 18世紀に入る頃には、幕府や諸藩の財政は悪化し、寺社の造営を行う力を失っていました。そのため、各寺社は自らでの資金調達を迫られます。その方法として、「開帳」「勧化」など、民衆から銭を集めるための行事に力を注ぎます。 行事の集金化 「開帳」は本来、寺社の秘仏などを開扉して、人々と神仏を結縁する宗教行為でした。しかし、財政に困っていた寺院は、「開帳」を堂舎の建立や修理費用のための集金事業として活用するようになったのです。 経済力を身につけた民衆 寺院が疲弊していた一方で、民 ...
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2026年4月3日
日本建築-霊廟
時代背景 真の武家政治 室町幕府は、足利氏による武士の政権であるとはいいつつも、京に拠点を置き、貴族趣味的な文化の中で生きながらえ*てきました。貴族や寺院を保護し、彼らからの支援を受けることによって政権の基盤を固めていたのです。 ただ、戦国時代においては、戦国大名や戦国武将たちの興隆を支援することにも取り組んでいました。このことから、戦国大名たちとの関係性を軽視していたわけではないということが伺えます。 その一方で、江戸幕府は京から遠く離れた地に拠点を築き、武士階級が中心となる社会制度*を整備しました。武 ...
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2026年4月3日
西洋建築-古代ローマ
時代背景 小さな村落から始まったローマ市 紀元前753年に誕生したローマ市は、最初こそ小さな村落に過ぎませんでした。 ヨーロッパ全域へ領土を拡大 しかし、紀元前5世紀末までにはエトルリア*などの周辺都市国家を、紀元前3世紀中頃までには南イタリアのギリシャ植民都市を支配下に置き、紀元前1世紀末には地中海沿岸全域をほぼを手中に治めます。 エトルリア:古代イタリア半島に存在した文明です。紀元前8世紀から紀元前3世紀にかけて栄えました。 異国文化を吸収 領土の拡大は、エトルリア文化や植民都市経由での古代ギリシャ文 ...
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2026年4月3日
日本建築-飛鳥・奈良(神社)
時代背景 天皇中心の国作り 645年に始まる「大化の改新」の流れを汲み、天武天皇は強力な軍事政権の樹立を図りました。律令制度の整備や中央集権化を進め、地方豪族の独立性を抑えます。 大化の改新:天皇中心の国作りを目指した一連の改革 その際に彼が利用したのは、「神道」でした。「神道」を国教として定め、神社を統一的に管理することで、天皇の威光と神格化を図ったのです。 この時代、すでに仏教も伝来していましたが、古代日本の政治権力は、神々との関係性を重んじることで正統性を獲得することができたという背景もあり、仏教で ...
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2026年4月3日
日本建築-密教
時代背景 仏教と政治 この時代、仏教は政治と深い関係にありました*。また、寺院は政治的・官僚的な組織を形成していました*。そのため、寺院が勢力を強めて行くに従い、政治を左右する存在になって行きます。時には天皇位の簒奪さえも企てられました。かくして、政治に対する仏教の影響は看破できないものとなっていくのです。 仏教と政治:仏教伝来の当初、僧侶は天皇家に仕え、国家を守護する役割を担っていました。そのため、天皇家や貴族から保護を受けるようになります。彼ら政治権力者たちの思惑は、仏教を利用して自らの権威や権力を確 ...
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前の様式
時代背景
仏教と政治
この時代、仏教は政治と深い関係にありました*。また、寺院は政治的・官僚的な組織を形成していました*。そのため、寺院が勢力を強めて行くに従い、政治を左右する存在になって行きます。時には天皇位の簒奪さえも企てられました。かくして、政治に対する仏教の影響は看破できないものとなっていくのです。
仏教と政治:仏教伝来の当初、僧侶は天皇家に仕え、国家を守護する役割を担っていました。そのため、天皇家や貴族から保護を受けるようになります。彼ら政治権力者たちの思惑は、仏教を利用して自らの権威や権力を確立することでした。かくして僧侶自身も、政治的な力を持って行くのです。
寺院の官僚化:仏教は、釈迦が説いた教えを広めるために、弟子たちによって伝承され、各地に広がっていきました。しかし、それぞれの地域で伝承された仏教の教えや儀式が異なることが問題となり、その統一が求められるようになります。そして権威や地位を持つ者たちを中心に、仏教の組織化が進められることにより、官僚的な組織が形成されるのでした。
仏教の排除
こうした背景のもとで即位した桓武天皇は、社会の安定のためにも、仏教勢力を政治から排除する使命を自らに課しました。しかし、すでに京内に根付いている寺院を一新することは不可能であり、その打開策として、彼は遷都*を決断します。そして、新しい都の中には寺院を持ち込まないという方法をとるのでした。
遷都:首都を現在の位置から別の場所に移すこと
山岳での密教が始まる
かくして、平安京では寺院の建立が禁じられましたが、仏教そのものが禁止された訳ではありませんでした。平安時代初期には、朝廷は唐に遣唐使や学僧を送り込み、最澄・空海がそれぞれ密教を持ち帰ります。彼らによって、天台宗・真言宗が開かれ、また霊山信仰や修験道とも結び付き、日本独自の密教が発展しました。
特徴
現世利益
奈良時代の仏教の役割は「鎮護国家」、すなわち国を守ることでした。しかしそこから変質して、自己の現世のご利益に対する要望が強まっていきます。それらの願望と密接に関係する密教*がパトロンを集めるようになりました。
密教は、世俗的な欲望や感情を否定するのではなく、それらを肯定し、むしろそれらを利用して修行することを提唱しました。
恒久的な繁栄や長寿を求めるのは、世の権力者の常です。それ故、貴族層が密教に傾倒するのも自然の流れでした。彼らはパトロンとして、自分自身への見返りを期待して、真言や天台の寺院をつくっていきます。
山岳寺院
しかし桓武天皇の意向により、平安京内には基本的に寺院を建立することができなかったため、密教寺院は山岳地に寺地を求めました。そして奈良時代以前からあった山岳信仰と密接に絡んで、山中に寺院をつくっていきます。
これは実際、修行を重んじる密教にとっても都合の良いことでした。最澄は京の東にある比叡山に延暦寺を開き、空海は京から遠く離れた高野山に金剛峯寺を開きます。また新しい仏教であることを強調するために、奈良時代の主要な寺院建築とは違う文化を築いていきました。
造形
密教では主に「修法」といわれる宗教儀式を執り行い、貴族・皇族などは、このご利益を一番にあやかろうと考えます。彼らは寺院の重要なパトロンであったために、修法の場に隣接して礼堂と呼ばれる参列の空間が設けられることとなりました。
修法:自己の内面を深く探求することで、悟りを開き、人生の目的や意味を理解する。密教では主に、呪文・マントラ・ヨーガ・瞑想・儀式などの要素を組み合わせて行われます。
参列の空間が設けられる
宝生寺金堂
俗人が仏堂の近くに参列し、ご利益にあやかれるよう、梁間方向に建築が拡大していきます。
建物を目立たせる必要がなくなる
平安京では宗教的な要素は排除され、また密教は俗世から離れた所での修行を求めたため、山林寺院がつくられます。山中ではあまり高低は目立たず、そのため高い塔を建てる必要も薄まります。
宝生寺五重塔
出典元:るるぶ&more.
また、敷地の制約がある山岳寺院では、これまで重視された伽藍配置もそれほど意味を持たなくなりました。一応、比叡山全体の伽藍配置の計画もありますが、あくまでも建てられる場所に建てる、という構成になっています。
「修行の場」としての寺院
三仏寺投入堂
都市部では人々の目をひくことを意識して作られていたのに対し、僧の修行の場としての意味が強くなりました。その気持ちは、都において仏教が形骸化され、華麗な阿弥陀堂が建立される堕落ぶりに反発する形でますます強まり、まさに修行そのものを体現するような寺院も作られました。これは「懸造」と言われます。
多宝塔
石山寺多宝塔
都城に建てられた塔は、基本的に同じ平面を積み上げる構成ですが、多宝塔は上下で違う形を取ります。また、塔は通常「三重塔・五重塔・七重の塔」のように、奇数の屋根を重ねますが、多宝塔は二層からなります。
曼陀羅などを使用して、密教世界を表現
曼荼羅
仏舎利を収める建築から、密教世界の表現へと役割を変えました。建築の荘厳をするときに用いられます。
参考文献
日本建築史講義|著.海野聡|学芸出版社
建物が語る日本の歴史|著.海野聡|吉川弘文館
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
日本建築様式史|監修・太田博太郎|美術出版社
次の様式
西洋建築史年表
日本建築史年表
2026年4月3日
西洋絵画−マニエリスム
舞台 国際的な展開 イタリアに端を発したマニエリスムは、16世紀後半には国際的な広がりを見せます。 背景 反宗教改革に乗り出す カトリック教会が「反宗教改革」に乗り出す時代、「神秘的な表現」が求められるようになります。 絵画による奇跡体験 論理を持って「奇跡」を説明することは出来なくても、絵画の世界の中でならそれは可能になるからです。 劇的な表現の追求 それはやがて古典主義の特徴である、「穏やかさ」や「荘厳さ」、「静けさ」や「バランスの重視」に対して、より「魂の根源」に迫る表現に至りました。 ミケランジェ ...
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2026年4月3日
西洋絵画−北方ルネサンス
舞台 アルプス以北 イタリアでルネサンスが盛り上がりを見せていたその頃、アルプス以北の国々でも独自の流れが形成されていました。イタリア・ルネサンスと区別して、北方ルネサンスと呼ばれます。 背景 市民階級の台頭 15世紀のフランドル地方では、「毛織物工業」と「国際貿易の振興」に伴って「市民階級」が台頭して来ました。 ありのままを描く それに呼応するように、「風景画」や「風俗画」なども受け入れられるようになります。 イタリア・ルネサンスでは「古典美」を理想の範としたのに対し、北方ルネサンスは自然や人間の姿を「 ...
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2026年4月3日
西洋絵画−印象派
舞台 フランス フランス美術は西洋絵画史の主要舞台の座を確立しました。イギリス風景画の伝統もスペイン画家ゴヤの系譜もフランスに吸収され、オランダ画家ゴッホもこの地での修行を得て覚醒しました。 背景 印象派展の開催 1874年、モネ・ルノワール・セザンヌ・ドガ・ピサロらによって、展覧会が開かれました。 彼らの作品に共通して見られる「スケッチ的な作風」から、この展覧会に集まった彼らは総称して、「印象派」と命名されることになります。 多様性に満ちた印象派グループ しかし実際のところ、彼らには明確な意味での共有さ ...
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2026年4月3日
西洋絵画−立体派〈キュビズム〉
著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 フランス 産業革命以来、急速な進歩によりもたらされた「世界の拡大化」は、多種多様な芸術運動の下、「専門化」・「分化」を押し進めました。そんな中で、新しい視覚体験が模索されます。そして、「形態」と「構成」の面で大きな変革が起きたのはフランスでした。 背景 感覚派から知性派へ 野獣 ...
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2026年4月3日
西洋絵画−フランス・バロック
舞台 フランス 太陽王ルイ14世が主権権を握る「絶対王政期」のフランスもまた、芸術の舞台となりました。自国の土壌で独自の様式を形成して行きます。 背景 フランスへ輸入 イタリア起源のバロックは、国境を超えてフランスにも広がりました。 伝統を守るフランス しかしフランスでのバロックは、主に前時代様式の否定として展開されて来た各地のバロックと異なり、「古典主義」的な傾向を保ちます。 それというのも、古典尊重のルイ王朝は「古代ローマを美術の範」としたからです。 王立アカデミーの設立 また、王立アカデミーの存在に ...
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