西洋建築-初期キリスト

2026年4月3日

西洋建築-ビザンティン

背景 首都『コンスタンティノポリス』の誕生 330年、コンスタンティヌス大帝は、ローマ帝国の首都をギリシャの都市ビザンティウムに遷都します。その後、この都市はコンスタンティノポリスと名を改めました。 ビザンティウムに遷都したのは、ローマ帝国が内部の政治的・経済的・軍事的な問題や外敵の侵攻に直面していたためです。東方からの侵攻に備えるために、軍事上の要地でもあったこの地が選ばれました。 西洋社会の東西分裂 395年には、帝国は東西に分裂。ローマを首都とする西ローマ帝国、コンスタンティノポリスを首都とする東ロ ...

ReadMore

2026年4月3日

西洋建築-イタリア・ルネサンス

前の様式 舞台 イタリア・ルネサンスの舞台は、市民階級がいち早く台頭したイタリアの商業都市「フィレンツェ」です。 時代背景 イタリアは、中世において商業や金融の中心地として栄え、豊かな都市国家へと発展しました。このような繁栄の中で、芸術家や学者が集まり、文化的な交流が盛んに行われるようになります。また、イタリアでは古代ローマや古代ギリシャの文化が受け継がれていましたが、ルネサンス期において、これはキリスト教中心の中世思想に対する反発という形をとって現れました。 キリスト教世界のほころび 中世ヨーロッパ社会 ...

ReadMore

2026年4月3日

日本建築-禅宗様

時代背景 禅宗の伝来 12世紀末、栄西によって日本に禅宗がにもたらされました。禅宗では、これまでの仏教とは教義や儀式も異なるため、僧の生活や建築も変化していきます。 禅宗:仏教の教えを直接実践することで、真実を見出すことを目指します。基本的な修行としては、座禅が挙げられます。 14世紀頃までには、確固たる地位を築き上げることに成功しました。その背景には、得宗政権*や室町幕府が、既存の権門体制に代わる宗教勢力として、禅宗寺院に焦点が当てられたということがあります。得宗政権や室町幕府の支援を得て、禅宗は広く普 ...

ReadMore

2026年4月3日

西洋建築-デ・ステイル

背景 第一次世界大戦後 第一次世界大戦後、各国の経済は混乱し、人々の価値観や生活様式も変化しました。ストライキやデモなども行われるようになり、社会変革が急務となります。これは戦争に参加しなかったオランダにおいても例外ではありませんでした。 オランダは、中立を守ることによって国内の平和を維持しようとしました。しかし周辺諸国の経済的混乱や政治的変化の影響を受けないわけには行かず、大量の難民や貧困層、失業者などを抱え、経済的・社会的な不安定さが続きます。そんな中、社会主義的な政策や労働者の権利擁護が唱えられるの ...

ReadMore

2026年4月3日

西洋建築-インターナショナル・スタイル

背景 近代芸術の到達点 アーツ・アンド・クラフツ運動*から始まった近代芸術運動は、当初は手工業に重点を置きながらも、デ・ステイル*やドイツ工作連盟*などを経て、機能主義にたどりつきました。 アーツ・アンド・クラフツ運動:機械生産による大量生産と標準化が進む一方で、一つ一つの製品としての質は悪化してしまいます。これに対し、手仕事や伝統工芸品を再評価することによって、製品の質を向上させることを目的としました。 デ・ステイル:芸術によって人々の生活環境を改善しようとした点はアーツ・アンド・クラフツ運動と同様です ...

ReadMore

前の様式

背景

キリスト教の公認

キリスト教徒は当初、ローマ帝国によって迫害を受けていました。しかし313年に発布されたミラノ勅令*によって、これまでローマ帝国から弾圧を受けていたキリスト教が公認されます。

ミラノ勅令:4世紀初頭のローマ皇帝コンスタンティヌス帝によって発布された勅令で、キリスト教を公認するものでした。この勅令によって、キリスト教徒は迫害から解放され、徐々にローマ帝国内での信仰の自由が広がっていくのでした。

これによって、それまで地下に潜っていたキリスト教は、ローマ帝国の国教として華々しい役割を担うことになります。キリスト教が一つの地位を獲得したのです。

ミサ典礼を行うための聖堂

そんなキリスト教信者たちの理想は、イエスと一体化することです。

そのため、イエスの生涯を追体験するためのミサ典礼*を行う建造物が必要とされました。

ミサ典礼:キリスト教徒が神との交わりや共同体としての結束を深めるために行う儀式。聖書朗読・祈り・聖歌・説教・聖体拝領などが行われます。

その役割に相応しい建造物として、聖堂の建設が要請されたのです。

特徴

古代の担い手であったギリシャ人やアラブ人に代わり、中世の主役となったのはゲルマン民族*です。

ゲルマン民族:古代から中世にかけて、ヨーロッパ北部や中央部を中心に生活した諸民族のこと。多数の部族や民族が存在しており、それぞれが異なる文化や言語を持っていました。

対立する古代と中世の価値観

しかし、古代人が理性と民主主義を重んじたのに対し、ゲルマン人はやや封建的な性格であり、両者はまさに異質の存在でした。

キリスト教による統一

この両者を結び付けたのが、キリスト教の精神です。キリスト教によって、学問・宗教・芸術は統一されました。

造形・表現

バシリカ式と集中堂式

聖堂の目的は、ミサ典礼を行う場を作ること。その際にお手本となったのは、古代ローマ時代に、裁判や商取引などの集会に用いられていたバシリカ式と、死者のための墓廟として用いられた集中堂式です。

キリスト教建築の歴史は、この2つの形式において展開されるといっても過言ではありません。

バシリカ式の特徴

長方形の中央に通路があり、その両側に側廊が配置されました。通路は柱によって区切られました。

大人数の収容に適した空間構成

サンタ・サビーナ教会堂

教会の目的の一つであるミサ典礼を行うためには、大人数を収容出来る広さが必要でした。それにはバシリカ式が適任でした。

長さを意識した空間構成

サンタ・マリアマッジョーレ教会堂

バシリカ式では、入り口から聖なる空間(奥)への直線の軸が強調されています。これによって、信者がこれから神聖な場所へと向かうことが印象付けられたのです。

集中堂式の特徴

中央に大きな円形や多角形の空間を持ち、その周りに放射状に並ぶ柱やアーチ、ドームなどが配されました。

神聖な雰囲気を演出する空間構成

教会は信者の心を掴む必要がありました。集中堂式は、ドームの頂点へと向かう求心的な上昇感によって、その要望に応えたのです。

高さを意識した空間構成

空高くへの上昇感は、まるで人々を天国へと誘うかのようです。実際、集中堂的な設計が施された建造物というのは、西東を問わず死を象徴していました。

円や正多角形の平面

中心が持つ求心力は極めて重要な要素であり、集中堂式は特に宗教が政治的な権力を誇ったビザンティン文化において大きな発展を見せました。

参考文献

西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会

建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会

西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社

美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社

次の様式

西洋建築史年表

日本建築史年表

2026年4月3日

西洋絵画−クールベ=マネ

舞台 フランス 第二帝政期、パリの都市改革を始め、社会構造の大きな転換があったフランス。都会人の新しい生活様式などが誕生しました。 背景 産業革命・資本主義の時代 19世紀後半、いよいよ「産業革命」の成果が浸透し始め、かつ「資本主義」の波風が立ち始めました。 近代への突入 「科学技術の飛躍的な進歩」・「都市部への人口集中」・「階級対立の激化」・「西欧の世界進出に伴う異文化交流」などが、人々の日常生活に大きな影響を与えます。 近代絵画の始まり 絵画においては、クールベやマネといった近代絵画の創始者によって、 ...

ReadMore

2026年4月3日

西洋絵画−ドイツ表現主義

著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 ドイツ これまでフランスに押され気味であまり活躍の場がなかったドイツでしたが、遂に自国を始点とする芸術運動の波風が立ち始めます。というのも、「近代化」を急激に進めて行ったドイツでは、それだけ社会に対する不満も生まれやすく、「苦しみを表現する画家」たちを産むには最適な土壌だったか ...

ReadMore

2026年4月3日

西洋絵画−新印象主義

舞台 フランス 印象派に続き、フランスが芸術の中心地として君臨しています。 背景 印象派の乗り越え 時代の寵児であった印象派も、1886年には最後の展覧会を迎え、いよいよ批判と反省の対象として乗り越えられる存在になります。 物の形を犠牲にした印象派 「分析的な手法」を得意とした印象派は、物の「形態感」や「存在感」を失ってしまうという欠点を抱えていました。 新たな活路 印象派の色彩理論に共感しつつもこの弊害を重く見た後代の画家たちは、ここに新たな活路を見出します。 特徴と画家 求めすぎた理想 印象派は「光の ...

ReadMore

2026年4月3日

西洋絵画−後期印象派

一般に、スーラ・セザンヌ・ゴーギャン・ゴッホの四天王を総称して後期印象派と呼ぶことが多いです。しかし、当ブログでは個人的な趣きもあって、新印象主義(スーラ)・セザンヌ・後期印象派(その他の画家)という風に細分化しています。 舞台 フランス 印象派に続き、フランスが芸術の中心地として君臨しています。 背景 時代背景は主に新印象主義と同じです。 印象派の乗り越え 時代の寵児であった印象派も、1886年には最後の展覧会を迎え、いよいよ批判と反省の対象として乗り越えられる存在になります。 物の形を犠牲にした印象派 ...

ReadMore

2026年4月3日

西洋絵画−盛期ルネサンス

舞台 ローマ 1492年、芸術文化を支えたロレンツォ・デ・メディチの没後、「フィレンツェ」は、ドメニコ会修道僧サヴォナローラの支配下に置かれ、やや停滞期を迎えます。その一方で、ユリウス二世に代表される辣腕の教皇の下で、「ローマ」は活気を取り戻しました。かくして、ルネサンスの舞台は「フィレンツェからローマへ」移ります。 背景 巨匠の時代 15世紀末から16世紀初頭にかけてのおよそ30年間、一般には盛期ルネサンスと呼ばれます。この時代は、「巨匠の時代」でした。 古代や自然の超克 彼らは自らの才能を自覚し、「古 ...

ReadMore

-西洋建築史