2026年9月30日
西洋建築-ウィーン・ゼツェッション
背景 ハンガリー帝国の情勢 ウィーン・ゼツェッションは、1903年にオーストリア=ハンガリー帝国*の首都ウィーンで結成されたグループです。オーストリア=ハンガリー帝国は複数の民族や国家が集合した多民族国家であったため、深刻な民族問題を抱えていました。 ハンガリー帝国:中央ヨーロッパにかつて存在した帝国。現在のハンガリー、スロバキア、クロアチア、セルビア、ルーマニア、ウクライナ、オーストリアなどの地域を含んでいました。ハプスブルク家の君主がハンガリー王位を兼ねていたことから、オーストリア=ハンガリー帝国とし ...
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2026年9月30日
西洋建築-イタリア・ルネサンス
前の様式 舞台 イタリア・ルネサンスの舞台は、市民階級がいち早く台頭したイタリアの商業都市「フィレンツェ」です。 時代背景 イタリアは、中世において商業や金融の中心地として栄え、豊かな都市国家へと発展しました。このような繁栄の中で、芸術家や学者が集まり、文化的な交流が盛んに行われるようになります。また、イタリアでは古代ローマや古代ギリシャの文化が受け継がれていましたが、ルネサンス期において、これはキリスト教中心の中世思想に対する反発という形をとって現れました。 キリスト教世界のほころび 中世ヨーロッパ社会 ...
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2026年9月30日
西洋建築-ビザンティン
背景 首都『コンスタンティノポリス』の誕生 330年、コンスタンティヌス大帝は、ローマ帝国の首都をギリシャの都市ビザンティウムに遷都します。その後、この都市はコンスタンティノポリスと名を改めました。 ビザンティウムに遷都したのは、ローマ帝国が内部の政治的・経済的・軍事的な問題や外敵の侵攻に直面していたためです。東方からの侵攻に備えるために、軍事上の要地でもあったこの地が選ばれました。 西洋社会の東西分裂 395年には、帝国は東西に分裂。ローマを首都とする西ローマ帝国、コンスタンティノポリスを首都とする東ロ ...
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2026年9月30日
日本建築-近世寺院
時代背景 破壊の時代 戦国期は読んで字の如く「波乱の時代」でした。戦国大名たちによって繰り広げられる戦火の中で、多くの建物は失われて行きます。そのためこの時代は、新たな建築の生産というよりも、建築の破壊の時代でした。 渦中の寺院 幸か不幸か、当時の寺院も僧兵を構えるなど大名に比肩する勢力を誇っていたため、この争いの渦中に巻き込まれます。たとえば、延暦寺は信長の焼き討ちによって多くの建物が失われ、壊滅状態となりました。また東大寺は、松永久秀や三好三人衆らによる戦闘で戦火を被りました。 復興の時代 しかし16 ...
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2026年9月30日
西洋建築-イギリス・ルネサンス
背景 薔薇戦争 1455年、ランカスター家とヨーク家の間の王位継承を巡る争いが原因で、薔薇戦争*が始まりました。1461年、ヨーク家のエドワード4世がランカスター家を破り、王位に就くことで、この争いは一応の決着が着きます。しかしその後、ランカスター家のヘンリー6世が復位し、1470年代には再び戦争が勃発しました。最終的には、ヨーク家のリチャード3世が1485年にランカスター家のヘンリー7世に敗北し、決着となりました。そして、ヘンリー7世が王位に就いたことで、テューダー王朝が始まります。 薔薇戦争という名称 ...
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前の様式
背景
首都『コンスタンティノポリス』の誕生
330年、コンスタンティヌス大帝は、ローマ帝国の首都をギリシャの都市ビザンティウムに遷都します。その後、この都市はコンスタンティノポリスと名を改めました。
ビザンティウムに遷都したのは、ローマ帝国が内部の政治的・経済的・軍事的な問題や外敵の侵攻に直面していたためです。東方からの侵攻に備えるために、軍事上の要地でもあったこの地が選ばれました。
西洋社会の東西分裂
395年には、帝国は東西に分裂。ローマを首都とする西ローマ帝国、コンスタンティノポリスを首都とする東ローマ帝国に分断されてしまいます。そして帝国の分裂はそのままキリスト教会の分裂を意味しました。西はカトリック教会、東は正教会です。
カトリック教会:現在、世界で最も多くの信徒を有する教会の一つ。中世ヨーロッパにおいては、キリスト教世界の中心的な役割を果たし、芸術、文化、教育、慈善事業などに貢献しました。
分裂の要因としては、一つに地域的・文化的な違いがあります。東ローマ帝国側は、ギリシャ文化やキリスト教の影響を強く受けており、一方で西ローマ帝国側は、ラテン文化や古代のローマの伝統に基づいていました。
東ローマ帝国の滅亡
西ローマ帝国は、5世紀から6世紀にかけて徐々に衰退し、最終的には476年に滅亡してしまいますが、一方東ローマ帝国は、東方で独自の文化や政治を発展させ、11世紀まで存続しました。
しかし12世紀を過ぎると、外敵の侵攻*や内部の政治的混乱*、経済的な要因*によって東ローマ帝国も衰退して行きます。1453年、オスマン帝国の軍勢によってコンスタンティノープルが陥落。東ローマ帝国は滅亡を迎えました。
①外敵の侵攻:東ローマ帝国は、多くの時代にわたって周辺国や異民族の攻撃に晒されていました。②内部の政治的混乱:皇位継承において起こる争いや、官僚制度の腐敗、貴族や地方豪族の反乱などが、政治的不安定さを引き起こしました。③経済的な衰退:東ローマ帝国は、西欧諸国と比べて地理的に不利な条件にあり、商業的な活動が制限されることが多かったため、経済的に衰退していきました。
ビザンティン文化の継承
しかし、その後もビザンティン文化そのものはギリシャやロシアへと広まり、発展を続けました。
特徴
統一制に欠けるカトリック教会
カトリック教会は世俗的な体制から独立した存在として、世界全土に君臨しようと図りました。しかしその支配域の広さから管理体制は盤上といかず、固有の様式と呼べるものは生まれませんでした。
聖俗両界の実権を握った正教会
一方で、正教会は皇帝という聖俗両界*にわたる権威によって統制されていました。そのおかげで、長期にわたる一つの様式が形成されたのです。これをビザンティン様式といいます。
聖俗両界:中世ヨーロッパにおいては、教会は政治や社会に深く関わっていました。世俗的な権力を持つ王や貴族たちと同じく、国家や社会の中で重要な地位を占めていたのです。このように、教会が政治や社会において大きな影響力を持ち、同時に宗教的な役割も果たす状態のことを聖俗両界といいます。
造形・表現
バシリカとドームの結合
ハギア・ソフィア大聖堂
神の表現について極めて厳格な正教会では、神の座としてのドームの象徴的意味が強く意識されます。しかし大人数を収容出来る広さも確保したかったため、バシリカ*とドームを組み合わせるという手法が試みられました。そして、大ドームを脇の半ドームで支えることで、構造的な問題を解決しました。
バシリカ:広い空間を確保するための建築様式で、大人数の収容に適しています。
バシリカが登場する記事》建築-初期キリスト教
窓を帯状に配置
大ドームの足元には帯状に窓が設置され、ここから差し込む光はこの世のものとは思えない感動を呼び起こします。また、この窓の存在によって構造的な部分が隠され、まるで大ドームが天井から神の手によって吊り下げられているかのような錯覚を覚えます。
ドームやアーチの多用
サン・ヴィターレ聖堂
アーチは、ドームやヴォールト構造を支えるために使われました。
華麗な色彩表現
壁・天井は大理石とガラスモザイクの華麗な色彩で覆われ、幻想的な室内が演出されました。
参考文献
西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社
美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社お知らせ
次の様式
西洋建築史年表
日本建築史年表
2026年9月30日
西洋絵画−ヴェネツィア派
舞台 ヴェネツィア ローマで盛期ルネサンスが盛り上がりを見せていたその頃、東方とヨーロッパを結ぶ貿易で富を蓄積したヴェネツィアでは、別のルネサンスが誕生していました。一般に、ヴェネツィア派と呼ばれるものです。 背景 裕福な市民が誕生 ヴェネツィアでは、教会や市当局だけでなく、富裕で教養ある個人からの注文も盛んになりました。 個人受けする作品が流行 彼らは、伝統的な物語の著述よりも「感覚的な魅力」を要求します。 そのため、主題の重要性以上に、「鑑賞者が満足する」ような作品が好まれました。 特徴と画家 鮮やか ...
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2026年9月30日
西洋絵画−オランダ・バロック
舞台 オランダ 16世紀末、「プロテスタント」勢力の強かったフランドル地方の北部にて、「スペイン領からの独立」を果たした新教国、オランダが誕生しました。 背景 イタリアからオランダへ輸入 イタリア起源のバロックは、国境を超えてオランダにも広がりました。 プロテスタントの国 オランダ共和国として独立を果たし、「東インド会社等の国際貿易」により、目覚ましい「経済発展」を遂げたオランダは、その経済力を背景にオランダ独自の「市民文化」を繁栄させていました。 「プロテスタントの国」であったオランダでは、「教会よりも ...
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2026年9月30日
西洋絵画−ロマン主義
舞台 フランス 革命期から王政復古期にかけてのフランス。新古典主義が絵画の主導権を握っていた一方で、その「静的で厳粛な様式」は、人の心を真に動かす力に欠けていました。そんな中、絵画に再び「動き」を取り戻そうという流れが形成されます。 背景 ヨーロッパ各国の独立意識 「フランス革命」・「ナポレオンの侵略」という二つの事件をきっかけに、各国は「自我」に目覚めます。 古代ローマという西欧各国における「共通の祖先」から、「自国の歴史」・「風土」へと関心が移ったのです。 プロパガンダとしての絵画 ナポレオンの第一帝 ...
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2026年9月30日
西洋絵画−初期ルネサンス
西洋絵画史の始まり 西洋絵画史の精神は「人間性の自覚」にある、というのが私の基本的な考えの立場です。そのため、当ブログでは、初期ルネサンスを西洋絵画史の始まりとします。 舞台 フィレンツェ 初期ルネサンスの舞台は、市民階級がいち早く台頭したイタリアの商業都市「フィレンツェ」です。 時代背景 キリスト教世界のほころび 中世ヨーロッパ社会は、これまで精神的にはキリスト教に支えられてきました。しかし、このキリスト教観というのは、人間を神の摂理にのみ従う下僕として、その限りにおいて人生の意義を認めるものでした。そ ...
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2026年9月30日
西洋絵画−新印象主義
舞台 フランス 印象派に続き、フランスが芸術の中心地として君臨しています。 背景 印象派の乗り越え 時代の寵児であった印象派も、1886年には最後の展覧会を迎え、いよいよ批判と反省の対象として乗り越えられる存在になります。 物の形を犠牲にした印象派 「分析的な手法」を得意とした印象派は、物の「形態感」や「存在感」を失ってしまうという欠点を抱えていました。 新たな活路 印象派の色彩理論に共感しつつもこの弊害を重く見た後代の画家たちは、ここに新たな活路を見出します。 特徴と画家 求めすぎた理想 印象派は「光の ...
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