2026年8月16日
日本建築-外国人居留地
時代背景 日米和親条約 1853年、日本とアメリカとの間で「日米和親条約」が結ばれると、日本近海への西洋船の来訪が増加しました。しかしこの条約にはアメリカ有利の条項*が盛り込まれていたため、日本側の不満は高まって行きます。 アメリカの船が日本の港に寄港する際、日本の法律や手続きを拒否することができました。また、アメリカ船の乗組員が日本人に対して犯罪行為を行った場合でも、アメリカの法律が適用されるという条項が盛り込まれていました。 これに対して、幕府は自国の主権を守るために「異国船打払令」を出しました。この ...
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2026年8月16日
西洋建築-ロマネスク
背景 カロリング帝国の建国 768年には国王として、800年には皇帝として君臨したカール大帝は、カロリング帝国*の永華を築きました。その支配域は、現在でいうフランス・ドイツ・イタリアに及びます。そしてカール大帝の下で、文化・経済・宗教が発展し、また教育・行政などの制度も整備されました。 カロリング帝国:8世紀から9世紀にかけて、フランク王国を統一し、大きな領土を支配したフランク王朝の王族であるカロリング家によって建国された帝国。 カロリング帝国の分裂と西洋社会の混乱 しかしカール大帝の死後、カロリング帝国 ...
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2026年8月16日
西洋建築-初期キリスト
背景 キリスト教の公認 キリスト教徒は当初、ローマ帝国によって迫害を受けていました。しかし313年に発布されたミラノ勅令*によって、これまでローマ帝国から弾圧を受けていたキリスト教が公認されます。 ミラノ勅令:4世紀初頭のローマ皇帝コンスタンティヌス帝によって発布された勅令で、キリスト教を公認するものでした。この勅令によって、キリスト教徒は迫害から解放され、徐々にローマ帝国内での信仰の自由が広がっていくのでした。 これによって、それまで地下に潜っていたキリスト教は、ローマ帝国の国教として華々しい役割を担う ...
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2026年8月16日
西洋建築-ウィーン・ゼツェッション
背景 ハンガリー帝国の情勢 ウィーン・ゼツェッションは、1903年にオーストリア=ハンガリー帝国*の首都ウィーンで結成されたグループです。オーストリア=ハンガリー帝国は複数の民族や国家が集合した多民族国家であったため、深刻な民族問題を抱えていました。 ハンガリー帝国:中央ヨーロッパにかつて存在した帝国。現在のハンガリー、スロバキア、クロアチア、セルビア、ルーマニア、ウクライナ、オーストリアなどの地域を含んでいました。ハプスブルク家の君主がハンガリー王位を兼ねていたことから、オーストリア=ハンガリー帝国とし ...
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2026年8月16日
西洋建築-古代ギリシャ
時代背景 ドリス人の侵略 紀元前1100年頃、北方から南下してきたドリス人によって、先住のイオニア人やアルカディア人などが駆逐されました。 ポリスの形成 その後、紀元前800年頃には、村落を中心とした小さな都市国家ポリス*が形成され始めます。 ポリス:一定の地域に住む人々が、政治的・社会的な共同体を形成し、共同で自らの生活を統制する政治組織のことです。 しかし、あくまでもこの都市国家は、単に人々が集まり住んだものに過ぎず、都市として整備されたものではありませんでした。 古代民主政の誕生 ポリスは当初、農業 ...
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前の様式
背景
首都『コンスタンティノポリス』の誕生
330年、コンスタンティヌス大帝は、ローマ帝国の首都をギリシャの都市ビザンティウムに遷都します。その後、この都市はコンスタンティノポリスと名を改めました。
ビザンティウムに遷都したのは、ローマ帝国が内部の政治的・経済的・軍事的な問題や外敵の侵攻に直面していたためです。東方からの侵攻に備えるために、軍事上の要地でもあったこの地が選ばれました。
西洋社会の東西分裂
395年には、帝国は東西に分裂。ローマを首都とする西ローマ帝国、コンスタンティノポリスを首都とする東ローマ帝国に分断されてしまいます。そして帝国の分裂はそのままキリスト教会の分裂を意味しました。西はカトリック教会、東は正教会です。
カトリック教会:現在、世界で最も多くの信徒を有する教会の一つ。中世ヨーロッパにおいては、キリスト教世界の中心的な役割を果たし、芸術、文化、教育、慈善事業などに貢献しました。
分裂の要因としては、一つに地域的・文化的な違いがあります。東ローマ帝国側は、ギリシャ文化やキリスト教の影響を強く受けており、一方で西ローマ帝国側は、ラテン文化や古代のローマの伝統に基づいていました。
東ローマ帝国の滅亡
西ローマ帝国は、5世紀から6世紀にかけて徐々に衰退し、最終的には476年に滅亡してしまいますが、一方東ローマ帝国は、東方で独自の文化や政治を発展させ、11世紀まで存続しました。
しかし12世紀を過ぎると、外敵の侵攻*や内部の政治的混乱*、経済的な要因*によって東ローマ帝国も衰退して行きます。1453年、オスマン帝国の軍勢によってコンスタンティノープルが陥落。東ローマ帝国は滅亡を迎えました。
①外敵の侵攻:東ローマ帝国は、多くの時代にわたって周辺国や異民族の攻撃に晒されていました。②内部の政治的混乱:皇位継承において起こる争いや、官僚制度の腐敗、貴族や地方豪族の反乱などが、政治的不安定さを引き起こしました。③経済的な衰退:東ローマ帝国は、西欧諸国と比べて地理的に不利な条件にあり、商業的な活動が制限されることが多かったため、経済的に衰退していきました。
ビザンティン文化の継承
しかし、その後もビザンティン文化そのものはギリシャやロシアへと広まり、発展を続けました。
特徴
統一制に欠けるカトリック教会
カトリック教会は世俗的な体制から独立した存在として、世界全土に君臨しようと図りました。しかしその支配域の広さから管理体制は盤上といかず、固有の様式と呼べるものは生まれませんでした。
聖俗両界の実権を握った正教会
一方で、正教会は皇帝という聖俗両界*にわたる権威によって統制されていました。そのおかげで、長期にわたる一つの様式が形成されたのです。これをビザンティン様式といいます。
聖俗両界:中世ヨーロッパにおいては、教会は政治や社会に深く関わっていました。世俗的な権力を持つ王や貴族たちと同じく、国家や社会の中で重要な地位を占めていたのです。このように、教会が政治や社会において大きな影響力を持ち、同時に宗教的な役割も果たす状態のことを聖俗両界といいます。
造形・表現
バシリカとドームの結合
ハギア・ソフィア大聖堂
神の表現について極めて厳格な正教会では、神の座としてのドームの象徴的意味が強く意識されます。しかし大人数を収容出来る広さも確保したかったため、バシリカ*とドームを組み合わせるという手法が試みられました。そして、大ドームを脇の半ドームで支えることで、構造的な問題を解決しました。
バシリカ:広い空間を確保するための建築様式で、大人数の収容に適しています。
バシリカが登場する記事》建築-初期キリスト教
窓を帯状に配置
大ドームの足元には帯状に窓が設置され、ここから差し込む光はこの世のものとは思えない感動を呼び起こします。また、この窓の存在によって構造的な部分が隠され、まるで大ドームが天井から神の手によって吊り下げられているかのような錯覚を覚えます。
ドームやアーチの多用
サン・ヴィターレ聖堂
アーチは、ドームやヴォールト構造を支えるために使われました。
華麗な色彩表現
壁・天井は大理石とガラスモザイクの華麗な色彩で覆われ、幻想的な室内が演出されました。
参考文献
西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社
美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社お知らせ
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西洋建築史年表
日本建築史年表
2026年8月16日
西洋絵画−ドイツ表現主義
著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 ドイツ これまでフランスに押され気味であまり活躍の場がなかったドイツでしたが、遂に自国を始点とする芸術運動の波風が立ち始めます。というのも、「近代化」を急激に進めて行ったドイツでは、それだけ社会に対する不満も生まれやすく、「苦しみを表現する画家」たちを産むには最適な土壌だったか ...
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2026年8月16日
西洋絵画−初期ルネサンス
西洋絵画史の始まり 西洋絵画史の精神は「人間性の自覚」にある、というのが私の基本的な考えの立場です。そのため、当ブログでは、初期ルネサンスを西洋絵画史の始まりとします。 舞台 フィレンツェ 初期ルネサンスの舞台は、市民階級がいち早く台頭したイタリアの商業都市「フィレンツェ」です。 時代背景 キリスト教世界のほころび 中世ヨーロッパ社会は、これまで精神的にはキリスト教に支えられてきました。しかし、このキリスト教観というのは、人間を神の摂理にのみ従う下僕として、その限りにおいて人生の意義を認めるものでした。そ ...
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2026年8月16日
西洋絵画−立体派〈キュビズム〉
著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 フランス 産業革命以来、急速な進歩によりもたらされた「世界の拡大化」は、多種多様な芸術運動の下、「専門化」・「分化」を押し進めました。そんな中で、新しい視覚体験が模索されます。そして、「形態」と「構成」の面で大きな変革が起きたのはフランスでした。 背景 感覚派から知性派へ 野獣 ...
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2026年8月16日
西洋絵画−印象派
舞台 フランス フランス美術は西洋絵画史の主要舞台の座を確立しました。イギリス風景画の伝統もスペイン画家ゴヤの系譜もフランスに吸収され、オランダ画家ゴッホもこの地での修行を得て覚醒しました。 背景 印象派展の開催 1874年、モネ・ルノワール・セザンヌ・ドガ・ピサロらによって、展覧会が開かれました。 彼らの作品に共通して見られる「スケッチ的な作風」から、この展覧会に集まった彼らは総称して、「印象派」と命名されることになります。 多様性に満ちた印象派グループ しかし実際のところ、彼らには明確な意味での共有さ ...
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2026年8月16日
西洋絵画−北方ルネサンス
舞台 アルプス以北 イタリアでルネサンスが盛り上がりを見せていたその頃、アルプス以北の国々でも独自の流れが形成されていました。イタリア・ルネサンスと区別して、北方ルネサンスと呼ばれます。 背景 市民階級の台頭 15世紀のフランドル地方では、「毛織物工業」と「国際貿易の振興」に伴って「市民階級」が台頭して来ました。 ありのままを描く それに呼応するように、「風景画」や「風俗画」なども受け入れられるようになります。 イタリア・ルネサンスでは「古典美」を理想の範としたのに対し、北方ルネサンスは自然や人間の姿を「 ...
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