2025年8月19日
西洋建築-ビザンティン
背景 首都『コンスタンティノポリス』の誕生 330年、コンスタンティヌス大帝は、ローマ帝国の首都をギリシャの都市ビザンティウムに遷都します。その後、この都市はコンスタンティノポリスと名を改めました。 ビザンティウムに遷都したのは、ローマ帝国が内部の政治的・経済的・軍事的な問題や外敵の侵攻に直面していたためです。東方からの侵攻に備えるために、軍事上の要地でもあったこの地が選ばれました。 西洋社会の東西分裂 395年には、帝国は東西に分裂。ローマを首都とする西ローマ帝国、コンスタンティノポリスを首都とする東ロ ...
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2025年8月19日
西洋建築-古代ギリシャ
時代背景 ドリス人の侵略 紀元前1100年頃、北方から南下してきたドリス人によって、先住のイオニア人やアルカディア人などが駆逐されました。 ポリスの形成 その後、紀元前800年頃には、村落を中心とした小さな都市国家ポリス*が形成され始めます。 ポリス:一定の地域に住む人々が、政治的・社会的な共同体を形成し、共同で自らの生活を統制する政治組織のことです。 しかし、あくまでもこの都市国家は、単に人々が集まり住んだものに過ぎず、都市として整備されたものではありませんでした。 古代民主政の誕生 ポリスは当初、農業 ...
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2025年8月19日
西洋建築-フランス・ルネサンス
背景 フランスの近代化 ルネサンス期のフランスは、政治的・経済的・文化的に大きな発展を遂げました。先頭を切ったのはシャルル8世です。彼はフランス軍を再編成し、新しい兵器を導入して戦力を強化し、財政改革を実施して経済を活性化させました。そしてブルターニュを併合することによって、フランスの領土を拡大しました。また、イタリア遠征*も行いましたが、こちらは失敗に終わります。そして、彼は28歳にして、この世を去ってしまうのでした。 シャルル8世のイタリア遠征:シャルル8世は、ナポリ王国の領土をめぐってイタリアの諸都 ...
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2025年8月19日
日本建築-浄土教
時代背景 末法思想の流行 平安時代には密教が広まり、仏教の信仰はますます篤くなっていった一方で、「末法思想」というものが流行していきます。 末法思想:釈尊の教えが失われていき、正法の世界から像法の世界を経て末法になっていくという考え方で、それは釈尊入滅後1500年から始まるとされていました。 浄土への憧れ 当時の人々にとって、末法時代の到来は、ある意味「世界崩壊」を意識させるものでした。そして、現世にもう望みがないのなら、あの世での幸せを願おう、と人々は強く願うようになります。その拠り所となったのが「極楽 ...
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2025年8月19日
日本建築-禅宗様
時代背景 禅宗の伝来 12世紀末、栄西によって日本に禅宗がにもたらされました。禅宗では、これまでの仏教とは教義や儀式も異なるため、僧の生活や建築も変化していきます。 禅宗:仏教の教えを直接実践することで、真実を見出すことを目指します。基本的な修行としては、座禅が挙げられます。 14世紀頃までには、確固たる地位を築き上げることに成功しました。その背景には、得宗政権*や室町幕府が、既存の権門体制に代わる宗教勢力として、禅宗寺院に焦点が当てられたということがあります。得宗政権や室町幕府の支援を得て、禅宗は広く普 ...
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前の様式
背景
フランスの近代化
ルネサンス期のフランスは、政治的・経済的・文化的に大きな発展を遂げました。先頭を切ったのはシャルル8世です。彼はフランス軍を再編成し、新しい兵器を導入して戦力を強化し、財政改革を実施して経済を活性化させました。そしてブルターニュを併合することによって、フランスの領土を拡大しました。また、イタリア遠征*も行いましたが、こちらは失敗に終わります。そして、彼は28歳にして、この世を去ってしまうのでした。
シャルル8世のイタリア遠征:シャルル8世は、ナポリ王国の領土をめぐってイタリアの諸都市と争い、1494年にイタリアに侵攻しました。彼は大規模な軍を率いてイタリア半島に進軍し、ナポリを占領しますが、しかし、戦争は数年にわたって続き、フランスの勢力圏を確立することはできませんでした。
彼の死後、王位を継いだのはルイ12世です。彼はイタリア遠征を再開し、ミラノ公国を征服してフランスの影響力を拡大しました。財政改革を推し進め、農業や商業の発展にも努めます。フランス法の再編成や司法制度の改革など、行政面でも重要な改革を行いました。
ルイ12世の死後は、息子のフランソワ1世が王位を継ぎます。彼は自らをルネサンス君主と位置づけ、芸術・文化の振興に力を入れました。ルーブル美術館の設立・フランス語の公用語化などが彼の業績です。イタリアから多くの芸術家や学者を招聘しました。
フランス・ルネサンスを締めくくるのは、アンリ4世です。彼は即位後、フランスの再建を目指して、内政改革を進めました。貴族の権力を制限し、税制や司法制度の改革を行います。中央集権化を進めることで、国家統一を図ったのです。また宗教的寛容政策*を採用することによって、当時激化していたカトリック派とプロテスタント派の間の宗教戦争を終結させました。
宗教的寛容政策:アンリ4世は、プロテスタント教徒に対して宗教的自由、公職就任、軍役免除、学校の設立など一定の権利が認めました。これによって、一時的ではあるものの宗教的対立の緩和に成功しました。また、プロテスタント側の国々を支援することは、カトリック勢力の拡大を防ぐ効果もありました。
シャルル8世→ルイ12世→フランソワ1世→アンリ4世へとバトンが繋がれてきたこの一世紀間において、ヨーロッパの中心となるフランス近代国家の基礎が築かれました。
特徴
イタリアに軍隊を派遣
16世紀頃、比較的早い段階から統一国家を形成していたフランスは、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝と張り合うようにイタリアに介入して軍隊を送っていました。実際にいくつかの都市国家を支配下に置きます。この接触を介してフランスは、イタリア発のルネサンスを受容したのでした。
この背景には、軍事力ではイタリアを凌いでいながらも、文化面ではイタリアへの憧れの念が強かったという事情があります。
王家の下で発展
しかし、伝統的なゴシック発祥の地でもあるフランスにおいてはルネサンスの新しい風は簡単には受け入れられず、あくまでもその影響は王家周辺に限られました。そのため、宗教建築はほとんど見られず、王や貴族の城館が主流となります。
造形と表現
フランスに伝えられたルネサンス様式は、既にマニエリスム期に突入していたこともあり、かなり偏ったものでした。ここにフランスのゴシック的な伝統が混ざり合って生まれたフランス・ルネサンスには、イタリアにはない特徴が見られます。フランスにおいて美術家を厚遇し文化の発展を支援したのは、自らルネサンスの文化に通じていたフランソワ1世です。彼の治世初期に、ブロワ城(の一部)やシャンボールなどが建設されました。
急勾配の大きな屋根・垂直線の強調
ブロア城
急勾配の大きな屋根や垂直線の強調からはフランスの伝統が見受けられます。
細部の古典的なデザイン・全体の統合された構成
シャンボール
それまでの城館の形を受け継ぎながらも、細部の古典的なデザインと全体の統合された構成には、はっきりとルネサンスの影響が表れています。
正確な古典主義
フランス人最初の建築家、Ph・ド・ロルムの登場によって、フランスは自国の独自性を確立しました。ロルムによる3層の凱旋門モチーフには、それぞれ3種の古典的オーダーが用いられ、古典的な細部が示されています。これは、彼の知識あってこそ成し得る所業でした。
参考文献
西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社
美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社
次の様式
西洋建築史年表
日本建築史年表
2025年8月19日
西洋絵画−北方ルネサンス
舞台 アルプス以北 イタリアでルネサンスが盛り上がりを見せていたその頃、アルプス以北の国々でも独自の流れが形成されていました。イタリア・ルネサンスと区別して、北方ルネサンスと呼ばれます。 背景 市民階級の台頭 15世紀のフランドル地方では、「毛織物工業」と「国際貿易の振興」に伴って「市民階級」が台頭して来ました。 ありのままを描く それに呼応するように、「風景画」や「風俗画」なども受け入れられるようになります。 イタリア・ルネサンスでは「古典美」を理想の範としたのに対し、北方ルネサンスは自然や人間の姿を「 ...
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2025年8月19日
西洋絵画−印象派
舞台 フランス フランス美術は西洋絵画史の主要舞台の座を確立しました。イギリス風景画の伝統もスペイン画家ゴヤの系譜もフランスに吸収され、オランダ画家ゴッホもこの地での修行を得て覚醒しました。 背景 印象派展の開催 1874年、モネ・ルノワール・セザンヌ・ドガ・ピサロらによって、展覧会が開かれました。 彼らの作品に共通して見られる「スケッチ的な作風」から、この展覧会に集まった彼らは総称して、「印象派」と命名されることになります。 多様性に満ちた印象派グループ しかし実際のところ、彼らには明確な意味での共有さ ...
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2025年8月19日
西洋絵画−盛期ルネサンス
舞台 ローマ 1492年、芸術文化を支えたロレンツォ・デ・メディチの没後、「フィレンツェ」は、ドメニコ会修道僧サヴォナローラの支配下に置かれ、やや停滞期を迎えます。その一方で、ユリウス二世に代表される辣腕の教皇の下で、「ローマ」は活気を取り戻しました。かくして、ルネサンスの舞台は「フィレンツェからローマへ」移ります。 背景 巨匠の時代 15世紀末から16世紀初頭にかけてのおよそ30年間、一般には盛期ルネサンスと呼ばれます。この時代は、「巨匠の時代」でした。 古代や自然の超克 彼らは自らの才能を自覚し、「古 ...
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2025年8月19日
西洋絵画−オランダ・バロック
舞台 オランダ 16世紀末、「プロテスタント」勢力の強かったフランドル地方の北部にて、「スペイン領からの独立」を果たした新教国、オランダが誕生しました。 背景 イタリアからオランダへ輸入 イタリア起源のバロックは、国境を超えてオランダにも広がりました。 プロテスタントの国 オランダ共和国として独立を果たし、「東インド会社等の国際貿易」により、目覚ましい「経済発展」を遂げたオランダは、その経済力を背景にオランダ独自の「市民文化」を繁栄させていました。 「プロテスタントの国」であったオランダでは、「教会よりも ...
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2025年8月19日