2026年9月30日
日本建築-霊廟
時代背景 真の武家政治 室町幕府は、足利氏による武士の政権であるとはいいつつも、京に拠点を置き、貴族趣味的な文化の中で生きながらえ*てきました。貴族や寺院を保護し、彼らからの支援を受けることによって政権の基盤を固めていたのです。 ただ、戦国時代においては、戦国大名や戦国武将たちの興隆を支援することにも取り組んでいました。このことから、戦国大名たちとの関係性を軽視していたわけではないということが伺えます。 その一方で、江戸幕府は京から遠く離れた地に拠点を築き、武士階級が中心となる社会制度*を整備しました。武 ...
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2026年9月30日
西洋建築-イタリア・ルネサンス
前の様式 舞台 イタリア・ルネサンスの舞台は、市民階級がいち早く台頭したイタリアの商業都市「フィレンツェ」です。 時代背景 イタリアは、中世において商業や金融の中心地として栄え、豊かな都市国家へと発展しました。このような繁栄の中で、芸術家や学者が集まり、文化的な交流が盛んに行われるようになります。また、イタリアでは古代ローマや古代ギリシャの文化が受け継がれていましたが、ルネサンス期において、これはキリスト教中心の中世思想に対する反発という形をとって現れました。 キリスト教世界のほころび 中世ヨーロッパ社会 ...
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2026年9月30日
西洋建築-マニエリスム
時代背景 ローマの没落 1527年、ローマ劫掠が勃発。教皇クレメンス7世と対立していたスペイン皇帝カール5世は、ランツクネヒト*を雇って、ローマを占領・略奪させました。そして激しい略奪・虐殺にあったローマでは、多くの市民が命を失い、教皇クレメンス7世も逃亡を余儀なくされました。かくしてローマは政治的・経済的に弱体化し、周辺の大国から支配されるようになって行くのです。 ランツクネヒト:15世紀から16世紀にかけて、主にドイツ圏で編成された傭兵部隊の一種。戦術に長けており、近代戦術の先駆けとも称されました。 ...
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2026年9月30日
西洋建築-アーツ・アンド・クラフツ
背景 分業体制の始まり 19世紀後半のイギリスでは、産業革命によって工業化が進み、工業製品の需要も高まっていました。それに伴い、機械による大量生産や標準化が進む一方で、工芸品や手仕事の価値は低下していきます。 モリスが立ち上がる 機械的かつ分業的な生産方式を強いられる現状に、一人の男が声を挙げました。我らがW・モリスです。彼は機械による大量生産や標準化に反対し、手仕事や伝統工芸品の価値の再評価を図ったのです。 彼は芸術を労働における人間の悦びの表現であると主張しました。そして物作りの労働が悦びと感じられる ...
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2026年9月30日
西洋建築-ゴシック
背景 中央集権の基盤が整い始める 当時のヨーロッパは、多くの小国家や地方政府が存在し、権力の分散化が進んでいました。そんな中、国王たちは中央集権化政策を進め、自らの権力を強化し、統治の効率化を図ります。王権の強化、法律の統一、行政機構の整備、課税制度の整備などが行われました。かくして、地方領主の手中にあった統治が国王の下に回収されます。 中央集権化政策:政治的な権限や権力が中央政府に集中すること。 特に勢いがあったのは、ルイ7世です。各地の貴族や教会が持っていた法的な特権を制限することで、自身の王権強化に ...
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前の様式
背景
フランスの近代化
ルネサンス期のフランスは、政治的・経済的・文化的に大きな発展を遂げました。先頭を切ったのはシャルル8世です。彼はフランス軍を再編成し、新しい兵器を導入して戦力を強化し、財政改革を実施して経済を活性化させました。そしてブルターニュを併合することによって、フランスの領土を拡大しました。また、イタリア遠征*も行いましたが、こちらは失敗に終わります。そして、彼は28歳にして、この世を去ってしまうのでした。
シャルル8世のイタリア遠征:シャルル8世は、ナポリ王国の領土をめぐってイタリアの諸都市と争い、1494年にイタリアに侵攻しました。彼は大規模な軍を率いてイタリア半島に進軍し、ナポリを占領しますが、しかし、戦争は数年にわたって続き、フランスの勢力圏を確立することはできませんでした。
彼の死後、王位を継いだのはルイ12世です。彼はイタリア遠征を再開し、ミラノ公国を征服してフランスの影響力を拡大しました。財政改革を推し進め、農業や商業の発展にも努めます。フランス法の再編成や司法制度の改革など、行政面でも重要な改革を行いました。
ルイ12世の死後は、息子のフランソワ1世が王位を継ぎます。彼は自らをルネサンス君主と位置づけ、芸術・文化の振興に力を入れました。ルーブル美術館の設立・フランス語の公用語化などが彼の業績です。イタリアから多くの芸術家や学者を招聘しました。
フランス・ルネサンスを締めくくるのは、アンリ4世です。彼は即位後、フランスの再建を目指して、内政改革を進めました。貴族の権力を制限し、税制や司法制度の改革を行います。中央集権化を進めることで、国家統一を図ったのです。また宗教的寛容政策*を採用することによって、当時激化していたカトリック派とプロテスタント派の間の宗教戦争を終結させました。
宗教的寛容政策:アンリ4世は、プロテスタント教徒に対して宗教的自由、公職就任、軍役免除、学校の設立など一定の権利が認めました。これによって、一時的ではあるものの宗教的対立の緩和に成功しました。また、プロテスタント側の国々を支援することは、カトリック勢力の拡大を防ぐ効果もありました。
シャルル8世→ルイ12世→フランソワ1世→アンリ4世へとバトンが繋がれてきたこの一世紀間において、ヨーロッパの中心となるフランス近代国家の基礎が築かれました。
特徴
イタリアに軍隊を派遣
16世紀頃、比較的早い段階から統一国家を形成していたフランスは、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝と張り合うようにイタリアに介入して軍隊を送っていました。実際にいくつかの都市国家を支配下に置きます。この接触を介してフランスは、イタリア発のルネサンスを受容したのでした。
この背景には、軍事力ではイタリアを凌いでいながらも、文化面ではイタリアへの憧れの念が強かったという事情があります。
王家の下で発展
しかし、伝統的なゴシック発祥の地でもあるフランスにおいてはルネサンスの新しい風は簡単には受け入れられず、あくまでもその影響は王家周辺に限られました。そのため、宗教建築はほとんど見られず、王や貴族の城館が主流となります。
造形と表現
フランスに伝えられたルネサンス様式は、既にマニエリスム期に突入していたこともあり、かなり偏ったものでした。ここにフランスのゴシック的な伝統が混ざり合って生まれたフランス・ルネサンスには、イタリアにはない特徴が見られます。フランスにおいて美術家を厚遇し文化の発展を支援したのは、自らルネサンスの文化に通じていたフランソワ1世です。彼の治世初期に、ブロワ城(の一部)やシャンボールなどが建設されました。
急勾配の大きな屋根・垂直線の強調
ブロア城
急勾配の大きな屋根や垂直線の強調からはフランスの伝統が見受けられます。
細部の古典的なデザイン・全体の統合された構成
シャンボール
それまでの城館の形を受け継ぎながらも、細部の古典的なデザインと全体の統合された構成には、はっきりとルネサンスの影響が表れています。
正確な古典主義
フランス人最初の建築家、Ph・ド・ロルムの登場によって、フランスは自国の独自性を確立しました。ロルムによる3層の凱旋門モチーフには、それぞれ3種の古典的オーダーが用いられ、古典的な細部が示されています。これは、彼の知識あってこそ成し得る所業でした。
参考文献
西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社
美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社
次の様式
西洋建築史年表
日本建築史年表
2026年9月30日
西洋絵画−ヴェネツィア派
舞台 ヴェネツィア ローマで盛期ルネサンスが盛り上がりを見せていたその頃、東方とヨーロッパを結ぶ貿易で富を蓄積したヴェネツィアでは、別のルネサンスが誕生していました。一般に、ヴェネツィア派と呼ばれるものです。 背景 裕福な市民が誕生 ヴェネツィアでは、教会や市当局だけでなく、富裕で教養ある個人からの注文も盛んになりました。 個人受けする作品が流行 彼らは、伝統的な物語の著述よりも「感覚的な魅力」を要求します。 そのため、主題の重要性以上に、「鑑賞者が満足する」ような作品が好まれました。 特徴と画家 鮮やか ...
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2026年9月30日
西洋絵画−後期印象派
一般に、スーラ・セザンヌ・ゴーギャン・ゴッホの四天王を総称して後期印象派と呼ぶことが多いです。しかし、当ブログでは個人的な趣きもあって、新印象主義(スーラ)・セザンヌ・後期印象派(その他の画家)という風に細分化しています。 舞台 フランス 印象派に続き、フランスが芸術の中心地として君臨しています。 背景 時代背景は主に新印象主義と同じです。 印象派の乗り越え 時代の寵児であった印象派も、1886年には最後の展覧会を迎え、いよいよ批判と反省の対象として乗り越えられる存在になります。 物の形を犠牲にした印象派 ...
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2026年9月30日
西洋絵画−立体派〈キュビズム〉
著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 フランス 産業革命以来、急速な進歩によりもたらされた「世界の拡大化」は、多種多様な芸術運動の下、「専門化」・「分化」を押し進めました。そんな中で、新しい視覚体験が模索されます。そして、「形態」と「構成」の面で大きな変革が起きたのはフランスでした。 背景 感覚派から知性派へ 野獣 ...
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2026年9月30日
西洋絵画−北方ルネサンス
舞台 アルプス以北 イタリアでルネサンスが盛り上がりを見せていたその頃、アルプス以北の国々でも独自の流れが形成されていました。イタリア・ルネサンスと区別して、北方ルネサンスと呼ばれます。 背景 市民階級の台頭 15世紀のフランドル地方では、「毛織物工業」と「国際貿易の振興」に伴って「市民階級」が台頭して来ました。 ありのままを描く それに呼応するように、「風景画」や「風俗画」なども受け入れられるようになります。 イタリア・ルネサンスでは「古典美」を理想の範としたのに対し、北方ルネサンスは自然や人間の姿を「 ...
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2026年9月30日
西洋絵画−マニエリスム
舞台 国際的な展開 イタリアに端を発したマニエリスムは、16世紀後半には国際的な広がりを見せます。 背景 反宗教改革に乗り出す カトリック教会が「反宗教改革」に乗り出す時代、「神秘的な表現」が求められるようになります。 絵画による奇跡体験 論理を持って「奇跡」を説明することは出来なくても、絵画の世界の中でならそれは可能になるからです。 劇的な表現の追求 それはやがて古典主義の特徴である、「穏やかさ」や「荘厳さ」、「静けさ」や「バランスの重視」に対して、より「魂の根源」に迫る表現に至りました。 ミケランジェ ...
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