2025年11月18日
日本建築-近世寺院
時代背景 破壊の時代 戦国期は読んで字の如く「波乱の時代」でした。戦国大名たちによって繰り広げられる戦火の中で、多くの建物は失われて行きます。そのためこの時代は、新たな建築の生産というよりも、建築の破壊の時代でした。 渦中の寺院 幸か不幸か、当時の寺院も僧兵を構えるなど大名に比肩する勢力を誇っていたため、この争いの渦中に巻き込まれます。たとえば、延暦寺は信長の焼き討ちによって多くの建物が失われ、壊滅状態となりました。また東大寺は、松永久秀や三好三人衆らによる戦闘で戦火を被りました。 復興の時代 しかし16 ...
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2025年11月18日
日本建築-密教
時代背景 仏教と政治 この時代、仏教は政治と深い関係にありました*。また、寺院は政治的・官僚的な組織を形成していました*。そのため、寺院が勢力を強めて行くに従い、政治を左右する存在になって行きます。時には天皇位の簒奪さえも企てられました。かくして、政治に対する仏教の影響は看破できないものとなっていくのです。 仏教と政治:仏教伝来の当初、僧侶は天皇家に仕え、国家を守護する役割を担っていました。そのため、天皇家や貴族から保護を受けるようになります。彼ら政治権力者たちの思惑は、仏教を利用して自らの権威や権力を確 ...
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2025年11月18日
日本建築-大仏様
時代背景 力をつける寺社 この時代の寺社は、各地に荘園*を持つようになり、財政的にも潤っていました。それに伴い、政治的な力も強めていきます。 荘園:領主が自らの所有する土地を農民や奴隷などに貸し出して、彼らからの税を収める経営形態。土地を借りる農民や奴隷は、作物や畜産物などの収穫物や一定の労役を支払うことによって生計を立てていました。 僧兵による武装化 寺社が権力を握る中、自分たちの力で社会を切り開き、大和国の実権を握ったのは平清盛でした。もちろん、もともと大和国での特権を保持していた南都寺院からすれば、 ...
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2025年11月18日
日本建築-天守閣
時代背景 大名と張り合う寺院勢力 この時代の有力寺社(東大寺・興福寺・延暦寺など)は、荘園による寺社領の保持・僧兵による武装化によって、絶大な影響力・軍事力を誇っていました。寺社は戦国大名に比肩する一大勢力だったのです。 外来文化による破壊 そんな中、キリスト教の布教や交易のため、ヨーロッパ諸国から日本への来訪が増加します。これによって、多くの文化が持ち込まれました。フランシスコ・ザビエルなどがその例で、新文化の影響を受けた日本人にとっては、既存の世界観や価値観が打ち壊されることになりました。 芽生える火 ...
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2025年11月18日
日本建築-飛鳥・奈良(神社)
時代背景 天皇中心の国作り 645年に始まる「大化の改新」の流れを汲み、天武天皇は強力な軍事政権の樹立を図りました。律令制度の整備や中央集権化を進め、地方豪族の独立性を抑えます。 大化の改新:天皇中心の国作りを目指した一連の改革 その際に彼が利用したのは、「神道」でした。「神道」を国教として定め、神社を統一的に管理することで、天皇の威光と神格化を図ったのです。 この時代、すでに仏教も伝来していましたが、古代日本の政治権力は、神々との関係性を重んじることで正統性を獲得することができたという背景もあり、仏教で ...
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前の様式
時代背景
ブルジョワ階級の台頭
フランスはアンリ4世の治世の下、ようやく政治的にも経済的にも安定した時代を迎えました。そしてこの安定期の中で、新興ブルジョワ階級が台頭してきます。彼らは商業・手工業・金融などで成功を収めた人々であり、血統による身分制度ではなく、自らの実績や成功によって社会的地位を確立しようとしました。
また、アンリ4世は彼らの支持を受けて王位に就いたこともあって、ブルジョワ階級の代表者を重用したり、商工業者や金融業者の権利を保障する政策を進めました。彼らに対して特権や称号を与え、社会的地位を高めることで、彼らとの信頼関係を築いたのです。
アンリ4世は、カトリック教徒以外のプロテスタントやユダヤ教徒にも市民権を与えました。
ブルジョワ階級は、アンリ4世の治世を通じて、政治的・社会的な力を強め、17世紀にはフランス社会を支配するようになりました。彼らの多くは、王室よりも自由な発想と確かな見識を持っており、新しいものを作り上げようと燃える若い芸術家たちの才能を育てたのです。
絶対王政の誕生
王権に対して一定の経済的影響力を誇ったブルジョワ階級でしたが、それは一方で王室にとっては脅威でもありました。特に後代のルイ14世はこの影響力を恐れ、ブルジョワ階級に対する政治的圧迫を行います。
ルイ14世は「太陽王」と呼ばれ、絶対王政の象徴となった人物です。彼は生涯を通じて王権の中心化と強化に努め、フランスを絶対主義国家に変えました。
同時に、ルイ14世は貴族に対して厳しい法律を制定し、貴族の権力や特権を制限、貴族の支配力を弱めることにも努めました。また、王権神授説などによって王権の強化を図り、中央集権的な統治体制を確立しました。
②王権神授説:ヨーロッパの中世から近世にかけて、王権の正当性を説明するために用いられた手法。この説によると、国王の役割は、神から王位を授かり、神の代理人として人々を統治することでした。
特徴
絶対主義の時代
この時代のヨーロッパは、絶対主義の時代とも定義付けられ、絶対君主はそれまでになかった強大な権力と共に、ヨーロッパにおける文化的主導権を手中に収めて行きました。
中でも、周辺諸国に先駆けて中央集権化を推し進めたフランスは、イタリア・バロックを受容しつつも、自国独自のバロック様式を確立して行ったのです。
フランス・バロックの根幹は、古典主義の理知的な解釈によって貫かれています。
表現・特徴
イタリアにおけるバロックは、カトリックの反宗教改革を反映しているため、変則的で派手な表現が主流でした。それに対しフランスのバロックは、見識ある新興ブルジョワ階級によって展開されたため、劇的な視覚効果は重視されず、抑制の効いた古典主義として洗練されて行きます。
フランスの伝統様式とバロックとの融合
リュクサンブール宮|サロモン・ド・ブロス
両隅と中央が張り出すパヴィリオン形式からは、フランスの伝統様式が伺える一方、オーダーの扱いや彫刻的な構成からは、バロック的な傾向が伺えます。
メゾン城|フランソワ・マンサール
出典:同上
長方形の形をした主屋の両端に、パヴィリオンを張り出させ、各煉には勾配の強い中世以来のフランス屋根が架けられています。また、抑制の効いた円柱と水平の影を落とすコーニスの帯が、風格ある姿を見せています。
3層構成のオーダー
一方で、中央部のペディメントを戴いた3層構成のオーダーによって、バロック的な流動感を表現してもいます。
フランス・バロックの最高傑作
バロックを代表する建築家には、もう一人、ルイ・ル・ヴォーがいます。彼は室内装飾家シャルル・ル・ブランと造園家アンドレ・ル・ノートルと手を組み、ヴェルサイユ宮殿を予告する最高傑作、ヴォー・ル・ヴィコント城を建設しました。
ヴォー・ル・ヴィコント城|ルイ・ル・ヴォー|1657
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四隅のパヴィリオンと中央広間上の大ドームが織り成す全体構成の斬新さと、外壁を飾る大オーダーが、この建物に躍動感溢れる力強さを与えています。ここに、ル・ブランによる装飾・ノートルによる庭園が組み合わさリ、フランスを代表する建築の一つとなりました。
嫉妬するルイ14世
この傑作の城主は、ルイ14世の大蔵大臣であったニコラ・フーケですが、この城の出来栄えに嫉妬したのは、彼の使えるルイ14世でした。彼は、ヴォー・ル・ヴィコント城の建設に関わった3人をそのまま登用し、ヴェルサイユ宮殿を完成させます。
ヴェルサイユ宮殿|ルイ・ル・ヴォー
ヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世の絶対的権威を世に示すための舞台装置であり、バロック的な演劇性を思う存分に発揮しました。しかし、それでもなお、イタリア的な独創性に向かうことはなく、秩序ある古典主義を留めています。
参考文献
西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社
美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社
次の様式
西洋建築史年表
日本建築史年表
2025年11月18日
西洋絵画−マニエリスム
舞台 国際的な展開 イタリアに端を発したマニエリスムは、16世紀後半には国際的な広がりを見せます。 背景 反宗教改革に乗り出す カトリック教会が「反宗教改革」に乗り出す時代、「神秘的な表現」が求められるようになります。 絵画による奇跡体験 論理を持って「奇跡」を説明することは出来なくても、絵画の世界の中でならそれは可能になるからです。 劇的な表現の追求 それはやがて古典主義の特徴である、「穏やかさ」や「荘厳さ」、「静けさ」や「バランスの重視」に対して、より「魂の根源」に迫る表現に至りました。 ミケランジェ ...
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2025年11月18日
西洋絵画−北方ルネサンス
舞台 アルプス以北 イタリアでルネサンスが盛り上がりを見せていたその頃、アルプス以北の国々でも独自の流れが形成されていました。イタリア・ルネサンスと区別して、北方ルネサンスと呼ばれます。 背景 市民階級の台頭 15世紀のフランドル地方では、「毛織物工業」と「国際貿易の振興」に伴って「市民階級」が台頭して来ました。 ありのままを描く それに呼応するように、「風景画」や「風俗画」なども受け入れられるようになります。 イタリア・ルネサンスでは「古典美」を理想の範としたのに対し、北方ルネサンスは自然や人間の姿を「 ...
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2025年11月18日
西洋絵画−ロマン主義
舞台 フランス 革命期から王政復古期にかけてのフランス。新古典主義が絵画の主導権を握っていた一方で、その「静的で厳粛な様式」は、人の心を真に動かす力に欠けていました。そんな中、絵画に再び「動き」を取り戻そうという流れが形成されます。 背景 ヨーロッパ各国の独立意識 「フランス革命」・「ナポレオンの侵略」という二つの事件をきっかけに、各国は「自我」に目覚めます。 古代ローマという西欧各国における「共通の祖先」から、「自国の歴史」・「風土」へと関心が移ったのです。 プロパガンダとしての絵画 ナポレオンの第一帝 ...
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2025年11月18日
西洋絵画−イタリア・バロック
舞台 イタリア 16世紀後半のイタリア、おおよそ芸術活動の低迷期に入っていました。しかし、カラヴァッジョの活躍によって、ローマで新たな盛り上がりを見せます。その後、カラヴァッジョ様式は国際的な広がりを見せました。(本記事では、イタリアに比較的近しい展開を見せたフランドル・スペインも一緒に取り上げます) 背景 宗教改革に対抗するカトリック教会 カトリック協会の免罪符を直接のきっかけに、「宗教改革」が勃発。離れていった信者の心を取り戻すため、カトリック教会は「反宗教改革」に乗り出しました。 分かり易さを武器に ...
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2025年11月18日
西洋絵画−フランス・ロココ
舞台 フランス 絵画史の中でも、特にロココは時代区分の難しい様式です。そもそもロココとバロックの区分を認めない説もあります。そのため当ブログでは、ロココの特徴が最も顕著に現れている、フランスで展開されたロココのみを取り扱います。 背景 絶対王政に陰りが見え始める 「太陽王ルイ14世」は、神から与えられた王権の行使者としての役割を演じることの出来た「最後の王」でした。 それというのも、1715年に彼が他界すると、その絶対王政にも陰りが見え始め、「貴族等の側近勢力が台頭」して来たからです。 太陽王からの開放 ...
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