2025年5月3日
西洋建築-フランス・ルネサンス
背景 フランスの近代化 ルネサンス期のフランスは、政治的・経済的・文化的に大きな発展を遂げました。先頭を切ったのはシャルル8世です。彼はフランス軍を再編成し、新しい兵器を導入して戦力を強化し、財政改革を実施して経済を活性化させました。そしてブルターニュを併合することによって、フランスの領土を拡大しました。また、イタリア遠征*も行いましたが、こちらは失敗に終わります。そして、彼は28歳にして、この世を去ってしまうのでした。 シャルル8世のイタリア遠征:シャルル8世は、ナポリ王国の領土をめぐってイタリアの諸都 ...
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2025年5月3日
西洋建築-初期キリスト
背景 キリスト教の公認 キリスト教徒は当初、ローマ帝国によって迫害を受けていました。しかし313年に発布されたミラノ勅令*によって、これまでローマ帝国から弾圧を受けていたキリスト教が公認されます。 ミラノ勅令:4世紀初頭のローマ皇帝コンスタンティヌス帝によって発布された勅令で、キリスト教を公認するものでした。この勅令によって、キリスト教徒は迫害から解放され、徐々にローマ帝国内での信仰の自由が広がっていくのでした。 これによって、それまで地下に潜っていたキリスト教は、ローマ帝国の国教として華々しい役割を担う ...
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2025年5月3日
西洋建築-イギリス・新古典主義
フランスに並んで、イギリスではその頃 背景 古典主義の逸脱 バロックからロココの時期にかけて、「正統的な古典主義」の逸脱という傾向が著しく目立つようになりました。 それに対する批判が、来る新古典主義を用意したのです。 新古典主義の台頭 そして、新古典主義は18世紀の半ば頃から「バロック」・「ロココ」を駆逐し始め、18世紀後半には、時代を支配して行きます。 啓蒙思想による裏付け この背景には、「啓蒙思想」の興隆がありました。 人々の間で、物事を「分析的」・「経験的」・「実証的」に、いわば「合理的」に捉えよう ...
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2025年5月3日
西洋建築-デ・ステイル
背景 第一次世界大戦後 第一次世界大戦後、各国の経済は混乱し、人々の価値観や生活様式も変化しました。ストライキやデモなども行われるようになり、社会変革が急務となります。これは戦争に参加しなかったオランダにおいても例外ではありませんでした。 オランダは、中立を守ることによって国内の平和を維持しようとしました。しかし周辺諸国の経済的混乱や政治的変化の影響を受けないわけには行かず、大量の難民や貧困層、失業者などを抱え、経済的・社会的な不安定さが続きます。そんな中、社会主義的な政策や労働者の権利擁護が唱えられるの ...
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2025年5月3日
西洋建築-古代ギリシャ
時代背景 ドリス人の侵略 紀元前1100年頃、北方から南下してきたドリス人によって、先住のイオニア人やアルカディア人などが駆逐されました。 ポリスの形成 その後、紀元前800年頃には、村落を中心とした小さな都市国家ポリス*が形成され始めます。 ポリス:一定の地域に住む人々が、政治的・社会的な共同体を形成し、共同で自らの生活を統制する政治組織のことです。 しかし、あくまでもこの都市国家は、単に人々が集まり住んだものに過ぎず、都市として整備されたものではありませんでした。 古代民主政の誕生 ポリスは当初、農業 ...
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前の様式
時代背景
ブルジョワ階級の台頭
フランスはアンリ4世の治世の下、ようやく政治的にも経済的にも安定した時代を迎えました。そしてこの安定期の中で、新興ブルジョワ階級が台頭してきます。彼らは商業・手工業・金融などで成功を収めた人々であり、血統による身分制度ではなく、自らの実績や成功によって社会的地位を確立しようとしました。
また、アンリ4世は彼らの支持を受けて王位に就いたこともあって、ブルジョワ階級の代表者を重用したり、商工業者や金融業者の権利を保障する政策を進めました。彼らに対して特権や称号を与え、社会的地位を高めることで、彼らとの信頼関係を築いたのです。
アンリ4世は、カトリック教徒以外のプロテスタントやユダヤ教徒にも市民権を与えました。
ブルジョワ階級は、アンリ4世の治世を通じて、政治的・社会的な力を強め、17世紀にはフランス社会を支配するようになりました。彼らの多くは、王室よりも自由な発想と確かな見識を持っており、新しいものを作り上げようと燃える若い芸術家たちの才能を育てたのです。
絶対王政の誕生
王権に対して一定の経済的影響力を誇ったブルジョワ階級でしたが、それは一方で王室にとっては脅威でもありました。特に後代のルイ14世はこの影響力を恐れ、ブルジョワ階級に対する政治的圧迫を行います。
ルイ14世は「太陽王」と呼ばれ、絶対王政の象徴となった人物です。彼は生涯を通じて王権の中心化と強化に努め、フランスを絶対主義国家に変えました。
同時に、ルイ14世は貴族に対して厳しい法律を制定し、貴族の権力や特権を制限、貴族の支配力を弱めることにも努めました。また、王権神授説などによって王権の強化を図り、中央集権的な統治体制を確立しました。
②王権神授説:ヨーロッパの中世から近世にかけて、王権の正当性を説明するために用いられた手法。この説によると、国王の役割は、神から王位を授かり、神の代理人として人々を統治することでした。
特徴
絶対主義の時代
この時代のヨーロッパは、絶対主義の時代とも定義付けられ、絶対君主はそれまでになかった強大な権力と共に、ヨーロッパにおける文化的主導権を手中に収めて行きました。
中でも、周辺諸国に先駆けて中央集権化を推し進めたフランスは、イタリア・バロックを受容しつつも、自国独自のバロック様式を確立して行ったのです。
フランス・バロックの根幹は、古典主義の理知的な解釈によって貫かれています。
表現・特徴
イタリアにおけるバロックは、カトリックの反宗教改革を反映しているため、変則的で派手な表現が主流でした。それに対しフランスのバロックは、見識ある新興ブルジョワ階級によって展開されたため、劇的な視覚効果は重視されず、抑制の効いた古典主義として洗練されて行きます。
フランスの伝統様式とバロックとの融合
リュクサンブール宮|サロモン・ド・ブロス
両隅と中央が張り出すパヴィリオン形式からは、フランスの伝統様式が伺える一方、オーダーの扱いや彫刻的な構成からは、バロック的な傾向が伺えます。
メゾン城|フランソワ・マンサール
出典:同上
長方形の形をした主屋の両端に、パヴィリオンを張り出させ、各煉には勾配の強い中世以来のフランス屋根が架けられています。また、抑制の効いた円柱と水平の影を落とすコーニスの帯が、風格ある姿を見せています。
3層構成のオーダー
一方で、中央部のペディメントを戴いた3層構成のオーダーによって、バロック的な流動感を表現してもいます。
フランス・バロックの最高傑作
バロックを代表する建築家には、もう一人、ルイ・ル・ヴォーがいます。彼は室内装飾家シャルル・ル・ブランと造園家アンドレ・ル・ノートルと手を組み、ヴェルサイユ宮殿を予告する最高傑作、ヴォー・ル・ヴィコント城を建設しました。
ヴォー・ル・ヴィコント城|ルイ・ル・ヴォー|1657
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四隅のパヴィリオンと中央広間上の大ドームが織り成す全体構成の斬新さと、外壁を飾る大オーダーが、この建物に躍動感溢れる力強さを与えています。ここに、ル・ブランによる装飾・ノートルによる庭園が組み合わさリ、フランスを代表する建築の一つとなりました。
嫉妬するルイ14世
この傑作の城主は、ルイ14世の大蔵大臣であったニコラ・フーケですが、この城の出来栄えに嫉妬したのは、彼の使えるルイ14世でした。彼は、ヴォー・ル・ヴィコント城の建設に関わった3人をそのまま登用し、ヴェルサイユ宮殿を完成させます。
ヴェルサイユ宮殿|ルイ・ル・ヴォー
ヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世の絶対的権威を世に示すための舞台装置であり、バロック的な演劇性を思う存分に発揮しました。しかし、それでもなお、イタリア的な独創性に向かうことはなく、秩序ある古典主義を留めています。
参考文献
西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社
美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社
次の様式
西洋建築史年表
日本建築史年表
2025年5月3日
西洋絵画−立体派〈キュビズム〉
著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 フランス 産業革命以来、急速な進歩によりもたらされた「世界の拡大化」は、多種多様な芸術運動の下、「専門化」・「分化」を押し進めました。そんな中で、新しい視覚体験が模索されます。そして、「形態」と「構成」の面で大きな変革が起きたのはフランスでした。 背景 感覚派から知性派へ 野獣 ...
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2025年5月3日
西洋絵画−ドイツ表現主義
著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 ドイツ これまでフランスに押され気味であまり活躍の場がなかったドイツでしたが、遂に自国を始点とする芸術運動の波風が立ち始めます。というのも、「近代化」を急激に進めて行ったドイツでは、それだけ社会に対する不満も生まれやすく、「苦しみを表現する画家」たちを産むには最適な土壌だったか ...
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2025年5月3日
西洋絵画−フランス・新古典主義絵画
舞台 フランス 革命期からナポレオン時代にかけてのフランス。ナポレオンは絵画を、自らの理念の「プロパガンダ」として活用しました。そのため、絵画は記録的な意味合いを強めます。 背景 軽快なロココに対する反動 18世紀後半、「快楽主義的」で「感覚的」なロココ様式に対する反動として、美は表面的なものでなく「崇高」なものであると考える傾向が強まります。 崇高さを追求 そして、「装飾趣味」や「官能的な裸婦像」に代わって、「形而上的な内容」や「簡素で壮大な形態感覚」を備える古典美術が範とされました。 特徴と画家 相次 ...
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2025年5月3日
西洋絵画−ヴェネツィア派
舞台 ヴェネツィア ローマで盛期ルネサンスが盛り上がりを見せていたその頃、東方とヨーロッパを結ぶ貿易で富を蓄積したヴェネツィアでは、別のルネサンスが誕生していました。一般に、ヴェネツィア派と呼ばれるものです。 背景 裕福な市民が誕生 ヴェネツィアでは、教会や市当局だけでなく、富裕で教養ある個人からの注文も盛んになりました。 個人受けする作品が流行 彼らは、伝統的な物語の著述よりも「感覚的な魅力」を要求します。 そのため、主題の重要性以上に、「鑑賞者が満足する」ような作品が好まれました。 特徴と画家 鮮やか ...
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2025年5月3日
西洋絵画−ロマン主義
舞台 フランス 革命期から王政復古期にかけてのフランス。新古典主義が絵画の主導権を握っていた一方で、その「静的で厳粛な様式」は、人の心を真に動かす力に欠けていました。そんな中、絵画に再び「動き」を取り戻そうという流れが形成されます。 背景 ヨーロッパ各国の独立意識 「フランス革命」・「ナポレオンの侵略」という二つの事件をきっかけに、各国は「自我」に目覚めます。 古代ローマという西欧各国における「共通の祖先」から、「自国の歴史」・「風土」へと関心が移ったのです。 プロパガンダとしての絵画 ナポレオンの第一帝 ...
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