2026年8月16日
西洋建築-マニエリスム
時代背景 ローマの没落 1527年、ローマ劫掠が勃発。教皇クレメンス7世と対立していたスペイン皇帝カール5世は、ランツクネヒト*を雇って、ローマを占領・略奪させました。そして激しい略奪・虐殺にあったローマでは、多くの市民が命を失い、教皇クレメンス7世も逃亡を余儀なくされました。かくしてローマは政治的・経済的に弱体化し、周辺の大国から支配されるようになって行くのです。 ランツクネヒト:15世紀から16世紀にかけて、主にドイツ圏で編成された傭兵部隊の一種。戦術に長けており、近代戦術の先駆けとも称されました。 ...
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2026年8月16日
西洋建築-ドイツ表現主義
背景 第一次世界大戦 1914年6月28日、オーストリア皇太子夫妻がセルビアの首都ベオグラードで暗殺されるという事件が起こります。これをきっかけに、オーストリア=ハンガリー帝国はセルビアに宣戦布告しました。そしてオーストリア=ハンガリー帝国の後ろ盾となっていたドイツも、この戦争へ参加することになります。 当初のドイツは、急速に発展し、経済的・軍事的な力を蓄えていたため、早期に勝利すると楽観的に考えられていました。しかし戦争の泥沼化によって戦況は逆転し、最終的には敗戦という結果を迎えます。 敗戦後のドイツ ...
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2026年8月16日
西洋建築史年表
古代ギリシャ|西洋建築の精神は、古代ギリシャを範とするところから始まります。その意味で、西洋建築史の出発点に相応しいと言えるでしょう パルテノン神殿 古代ローマ|「栄光の都」ローマ帝国という舞台は、古代ギリシャ建築とキリスト教建築の架け橋となりました コロッセウム闘技場 初期キリスト|西洋建築の代名詞、「教会建築」はここから始まります バシリカ式 集中堂式 ビザンティン|政治的な東西分裂は、建築様式にも影響を及ぼしました ハギア・ソフィア ロマネスク|別名「地方様式」とも言われるロマネスクは、各地の風土に ...
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2026年8月16日
西洋建築-ゴシック・リヴァイバル
背景 啓蒙主義の台頭 17世紀から18世紀にかけてのヨーロッパでは、啓蒙主義が席感していました。啓蒙主義は、合理性や科学性を重視し、人間は理性的に考えるべきだと主張します。そのため、古典主義的な芸術や文化と相性が良く、古代ギリシャ・ローマの美学が模範となります。 しかし啓蒙主義が進展するにつれて、過度に理性を重視する考えに疑問を持つ人々が現れました。たとえば芸術においては、人間の感情や内面世界を無視して外面的な表現に囚われている節があり、また決まりきった規則や格式に基づくものが多く、個性や独創性が抑制する ...
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2026年8月16日
西洋建築-古代ギリシャ
時代背景 ドリス人の侵略 紀元前1100年頃、北方から南下してきたドリス人によって、先住のイオニア人やアルカディア人などが駆逐されました。 ポリスの形成 その後、紀元前800年頃には、村落を中心とした小さな都市国家ポリス*が形成され始めます。 ポリス:一定の地域に住む人々が、政治的・社会的な共同体を形成し、共同で自らの生活を統制する政治組織のことです。 しかし、あくまでもこの都市国家は、単に人々が集まり住んだものに過ぎず、都市として整備されたものではありませんでした。 古代民主政の誕生 ポリスは当初、農業 ...
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時代背景
移動生活
縄文時代は、狩猟・採集の社会です。季節ごとに、動物の移動や植生の変化を追いかけながら、河川の周辺や台地の縁辺部で食べ物を獲得し生活していました。
農耕によって定住が可能に
弥生時代に入り、水稲農耕が広まっていくと、移動生活(狩猟・採集)から定住生活(農耕)へと変化しました。この変化による建築的な変化は、たとえば、場所選びに現れます。これまでは水被害を避けて、台地や丘陵が選ばれていたのに対し、水田に水を引くために水の便が良い場所が好まれるようになったのです。
貧富の差が生まれる
農耕文化が成熟すると、やがて生産力も発展し、人口も増加していきました。これによって労働力が増すと同時に、農耕以外の支配者層も出てきます。それに伴い、食物の備蓄による富の偏在・権力の集中が生じ、貧富の差が顕在化していくことになりました。
政治・軍事の要請
貧富の差が浮き彫りになるにつれ、頻発するようになったのは収奪です。政治的・軍事的な対策が必要になったのは、まさにこの時でした。
国の誕生
人口増加につれ、集落が形成されたり、また集落同士が集まって地域社会を築いたり、最終的には地域同士で連合を組み、倭国が誕生しました。これが三世紀頃の出来事で、その中心となったのは、卑弥呼が治める邪馬台国です。
天皇集権
五世紀になると、連合的な政治形態から、大王を中心とする体制へ移行し、天皇への集権が確立されます。
造形・特徴
建物の長寿化
移動式の生活から定住式の生活へと変化したことにより、仮の住まいとしてではなく、長期的な目線で建築されるようになりました。これによって建物は長寿化します。そして誕生したのが竪穴住居です。
竪穴住居
地面を掘って、そこに柱を立て、屋根をかけます。この構法は堀立柱といわれ、柱の根本を直接土中に埋めて柱を自立させました。
竪穴「住居」といいつつも、実は集会所や祭祀施設であった可能性もあります。
堀立柱
この堀立柱には、建物内部にも柱を用いる場合(側柱)と、建物内部には柱を立てず、外周のみとする場合(総柱)がありました。内部に用いる柱(側柱)には、主に構造的な要因よりも、意匠的な要因が強かったといわれています。
炉で暖をとる
調理をしたり、暖を取る目的で、炉が設けられました。その際の煙は、煙道を作って排煙することもあれば、屋内に煙出し、燻しをしたとも考えられています。
富の蓄積
定住生活に伴い、富の蓄積が始まりました。それに由来して、収穫物を保管するための建物が必要になります。
高床倉庫
湿気・害虫・略奪に備えるために発明された高床倉庫ですが、この倉庫は機能の面とは別に、富の象徴としての意味を持ち、格式や権威を放っていました。
また、農耕には高い土木技術が求められました。そのため、労働力の編成とそれを統制する者が必須となります。かくして、「体を使った労働」と「頭脳を使った労働」という役割分担が生じるようになったのです。このことによって、農耕に従事しなくてもよい身分が生まれ、階層的な社会が形成されました。
巨大・モニュメント性
この階層社会は、富の集中と労働力の掌握によって、建築の形に巨大化や荘厳化という影響を与えました。富や権力の集中は、権力の象徴としての建築を要請したのです。
主祭殿
集落
一般的には、集落は十棟程度の竪穴住居・倉庫・少し離れた墓地で構成されています。また、集落の中には複数の村同士が集まって大規模化するものもあり、集落の周りに濠を廻らせていたことから、環濠集落と呼ばれます。
吉野ヶ里歴史公園
周濠
周囲に大きな溝を掘ることで、物理的には外的・害獣から集落を防御し、精神的には祭祀施設や住宅地域などの区画として、汚れた場所と聖なる場所の境としていました。その他、集落の湿気除去やごみ捨て場であったなどともいわれています。
参考文献
日本建築史講義|著.海野聡|学芸出版社
建物が語る日本の歴史|著.海野聡|吉川弘文館
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
日本建築様式史|監修・太田博太郎|美術出版社
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西洋建築史年表
日本建築史年表
2026年8月16日
西洋絵画−イタリア・バロック
舞台 イタリア 16世紀後半のイタリア、おおよそ芸術活動の低迷期に入っていました。しかし、カラヴァッジョの活躍によって、ローマで新たな盛り上がりを見せます。その後、カラヴァッジョ様式は国際的な広がりを見せました。(本記事では、イタリアに比較的近しい展開を見せたフランドル・スペインも一緒に取り上げます) 背景 宗教改革に対抗するカトリック教会 カトリック協会の免罪符を直接のきっかけに、「宗教改革」が勃発。離れていった信者の心を取り戻すため、カトリック教会は「反宗教改革」に乗り出しました。 分かり易さを武器に ...
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2026年8月16日
西洋絵画−フランス・バロック
舞台 フランス 太陽王ルイ14世が主権権を握る「絶対王政期」のフランスもまた、芸術の舞台となりました。自国の土壌で独自の様式を形成して行きます。 背景 フランスへ輸入 イタリア起源のバロックは、国境を超えてフランスにも広がりました。 伝統を守るフランス しかしフランスでのバロックは、主に前時代様式の否定として展開されて来た各地のバロックと異なり、「古典主義」的な傾向を保ちます。 それというのも、古典尊重のルイ王朝は「古代ローマを美術の範」としたからです。 王立アカデミーの設立 また、王立アカデミーの存在に ...
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2026年8月16日
西洋絵画−フランス象徴主義
印象派に並行して、象徴主義が発展 舞台 フランス 象徴主義は各国において多様な発展を遂げました。中でも大きな影響を与えたのは、フランスにおいて展開された象徴主義です。 背景 もう一つの芸術運動 19世紀後半、印象派が盛り上がりを見せていたその頃、並行して別の流れが形成されていました。 商業化する芸術 先導したのは、「科学」と「機械万能」という時代における「実利的なブルジョア精神」や、「芸術の卑俗化」に嫌気がさした画家たちです。 人間の内面を描く 彼らは、人間存在とその運命に関する「深い苦悩」・「精神性への ...
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2026年8月16日
西洋絵画−盛期ルネサンス
舞台 ローマ 1492年、芸術文化を支えたロレンツォ・デ・メディチの没後、「フィレンツェ」は、ドメニコ会修道僧サヴォナローラの支配下に置かれ、やや停滞期を迎えます。その一方で、ユリウス二世に代表される辣腕の教皇の下で、「ローマ」は活気を取り戻しました。かくして、ルネサンスの舞台は「フィレンツェからローマへ」移ります。 背景 巨匠の時代 15世紀末から16世紀初頭にかけてのおよそ30年間、一般には盛期ルネサンスと呼ばれます。この時代は、「巨匠の時代」でした。 古代や自然の超克 彼らは自らの才能を自覚し、「古 ...
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2026年8月16日
西洋絵画−ヴェネツィア派
舞台 ヴェネツィア ローマで盛期ルネサンスが盛り上がりを見せていたその頃、東方とヨーロッパを結ぶ貿易で富を蓄積したヴェネツィアでは、別のルネサンスが誕生していました。一般に、ヴェネツィア派と呼ばれるものです。 背景 裕福な市民が誕生 ヴェネツィアでは、教会や市当局だけでなく、富裕で教養ある個人からの注文も盛んになりました。 個人受けする作品が流行 彼らは、伝統的な物語の著述よりも「感覚的な魅力」を要求します。 そのため、主題の重要性以上に、「鑑賞者が満足する」ような作品が好まれました。 特徴と画家 鮮やか ...
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