日本建築-浄土教

2025年10月3日

西洋建築-ゴシック

背景 中央集権の基盤が整い始める 当時のヨーロッパは、多くの小国家や地方政府が存在し、権力の分散化が進んでいました。そんな中、国王たちは中央集権化政策を進め、自らの権力を強化し、統治の効率化を図ります。王権の強化、法律の統一、行政機構の整備、課税制度の整備などが行われました。かくして、地方領主の手中にあった統治が国王の下に回収されます。 中央集権化政策:政治的な権限や権力が中央政府に集中すること。 特に勢いがあったのは、ルイ7世です。各地の貴族や教会が持っていた法的な特権を制限することで、自身の王権強化に ...

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2025年10月3日

西洋建築-ドイツ工作連盟

背景 アーツ・アンド・クラフツの影響 1907年、イギリスで始まった「アーツ・アンド・クラフツ運動*」の影響が、ドイツでは、「ドイツ工作連盟」の結成として表れます。彼らは、産業生産において芸術的な要素を取り入れることが重要であると信じ、芸術と工業の融合を目指しました。 アーツ・アンド・クラフツ運動:工芸品の制作において、芸術と工業を融合させることを目指した運動 アーツ・アンド・クラフツ運動では、手工業や小規模な工場に焦点を当てていた*ため、大量生産には対応できないという欠点を抱えていました。これに対し、ド ...

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2025年10月3日

西洋建築-ロマネスク

背景 カロリング帝国の建国 768年には国王として、800年には皇帝として君臨したカール大帝は、カロリング帝国*の永華を築きました。その支配域は、現在でいうフランス・ドイツ・イタリアに及びます。そしてカール大帝の下で、文化・経済・宗教が発展し、また教育・行政などの制度も整備されました。 カロリング帝国:8世紀から9世紀にかけて、フランク王国を統一し、大きな領土を支配したフランク王朝の王族であるカロリング家によって建国された帝国。 カロリング帝国の分裂と西洋社会の混乱 しかしカール大帝の死後、カロリング帝国 ...

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2025年10月3日

西洋建築-初期キリスト

背景 キリスト教の公認 キリスト教徒は当初、ローマ帝国によって迫害を受けていました。しかし313年に発布されたミラノ勅令*によって、これまでローマ帝国から弾圧を受けていたキリスト教が公認されます。 ミラノ勅令:4世紀初頭のローマ皇帝コンスタンティヌス帝によって発布された勅令で、キリスト教を公認するものでした。この勅令によって、キリスト教徒は迫害から解放され、徐々にローマ帝国内での信仰の自由が広がっていくのでした。 これによって、それまで地下に潜っていたキリスト教は、ローマ帝国の国教として華々しい役割を担う ...

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2025年10月3日

西洋建築-ロココ

背景 ルイ14世と貴族 ルイ14世は、フランスの絶対王政期において、貴族たちを自身の権力の下に統制しようと努めました。彼は貴族たちに対して、彼らが持つ領地や特権を管理する役割を与え、その責任を負わせます。また、貴族たちに対して軍隊への奉仕も求めました。しかし、貴族たちが軍隊に奉仕することを嫌がったため、ルイ14世は貴族たちを厳しく取り締まることを余儀なくされました。 宮廷文化 宮廷文化を重んじていたルイ14世は、貴族たちを宮廷に招待して自分の側に置くことで、自身の権力強化を図ります。宮廷に招待された貴族た ...

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前の様式

時代背景

末法思想の流行

平安時代には密教が広まり、仏教の信仰はますます篤くなっていった一方で、「末法思想」というものが流行していきます。

末法思想:釈尊の教えが失われていき、正法の世界から像法の世界を経て末法になっていくという考え方で、それは釈尊入滅後1500年から始まるとされていました。

浄土への憧れ

当時の人々にとって、末法時代の到来は、ある意味「世界崩壊」を意識させるものでした。そして、現世にもう望みがないのなら、あの世での幸せを願おう、と人々は強く願うようになります。その拠り所となったのが「極楽浄土*」、すなわち「浄土信仰」でした。

極楽浄土:阿弥陀如来の住む浄土のこと。穏やかな気候と美しい風景が広がり、人々が悲しみや苦しみから解放され、幸せに過ごせるとされています。

特徴

「浄土」は西方極楽浄土の阿弥陀仏をさすことから、阿弥陀信仰が高まります。そのため、浄土信仰による仏堂は阿弥陀堂が中心になっていきました。

白水阿弥陀堂

来世での平安を約束してくれる「阿弥陀如来」を信仰する人々の支持によって、阿弥陀堂が数多く建てられることになります。阿弥陀仏を教主とする世界は西方浄土、すなわち西にあったため、多くの阿弥陀堂は西を背にして造られました。

極楽浄土の世界を再現

阿弥陀堂は、個人が阿弥陀仏に対座して念仏を唱え、極楽往生を願うための場所です。そのため、堂内では極楽浄土の再現が求められました。

中尊寺金色堂

出典元:中尊寺事務局

螺鈿・七宝・黄金・庭園などを使った豪華爛漫なつくりで、浄土世界がつくり上げられます。

浄土信仰で重要なのは、往生の方法です。浄土教では、その人の機縁の応じて9つの段階で往生するとされていました。極楽浄土は9つに分かれており、九体の阿弥陀仏がそれぞれの浄土世界へ導くのです。そのため、それぞれの形式に合わせて阿弥陀仏を祀る必要があり、合計9体の阿弥陀仏が作られました。

往生:仏や仏の国に生まれ変わること

浄瑠璃寺

この仏は一体につき柱間1間の場所をとるため、仏をいくつ祀るかによって建物の形も決められました。9体全部が並べられた阿弥陀堂は、九体阿弥陀堂といわれます。

造形と工芸を究める

平等院鳳凰堂

両側に延びた吹き放しの翼廊と一体となるような建築構成、身舎を高く建ち上げ庇を裳階とした構造形式、壁画・彩色・飾金具・螺鈿からなる堂内の荘厳などが特徴です。

自然との調和

白水阿弥陀堂

前方にある広大な苑池と建物が、見事な調和を築いています。

参考文献

日本建築史講義|著.海野聡|学芸出版社

建物が語る日本の歴史|著.海野聡|吉川弘文館

建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会

日本建築様式史|監修・太田博太郎|美術出版社

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西洋建築史年表

日本建築史年表

2025年10月3日

西洋絵画−ヴェネツィア派

舞台 ヴェネツィア ローマで盛期ルネサンスが盛り上がりを見せていたその頃、東方とヨーロッパを結ぶ貿易で富を蓄積したヴェネツィアでは、別のルネサンスが誕生していました。一般に、ヴェネツィア派と呼ばれるものです。 背景 裕福な市民が誕生 ヴェネツィアでは、教会や市当局だけでなく、富裕で教養ある個人からの注文も盛んになりました。 個人受けする作品が流行 彼らは、伝統的な物語の著述よりも「感覚的な魅力」を要求します。 そのため、主題の重要性以上に、「鑑賞者が満足する」ような作品が好まれました。 特徴と画家 鮮やか ...

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2025年10月3日

西洋絵画−ロマン主義

舞台 フランス 革命期から王政復古期にかけてのフランス。新古典主義が絵画の主導権を握っていた一方で、その「静的で厳粛な様式」は、人の心を真に動かす力に欠けていました。そんな中、絵画に再び「動き」を取り戻そうという流れが形成されます。 背景 ヨーロッパ各国の独立意識 「フランス革命」・「ナポレオンの侵略」という二つの事件をきっかけに、各国は「自我」に目覚めます。 古代ローマという西欧各国における「共通の祖先」から、「自国の歴史」・「風土」へと関心が移ったのです。 プロパガンダとしての絵画 ナポレオンの第一帝 ...

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2025年10月3日

西洋絵画史年表

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2025年10月3日

西洋絵画−印象派

舞台 フランス フランス美術は西洋絵画史の主要舞台の座を確立しました。イギリス風景画の伝統もスペイン画家ゴヤの系譜もフランスに吸収され、オランダ画家ゴッホもこの地での修行を得て覚醒しました。 背景 印象派展の開催 1874年、モネ・ルノワール・セザンヌ・ドガ・ピサロらによって、展覧会が開かれました。 彼らの作品に共通して見られる「スケッチ的な作風」から、この展覧会に集まった彼らは総称して、「印象派」と命名されることになります。 多様性に満ちた印象派グループ しかし実際のところ、彼らには明確な意味での共有さ ...

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2025年10月3日

西洋絵画−マニエリスム

舞台 国際的な展開 イタリアに端を発したマニエリスムは、16世紀後半には国際的な広がりを見せます。 背景 反宗教改革に乗り出す カトリック教会が「反宗教改革」に乗り出す時代、「神秘的な表現」が求められるようになります。 絵画による奇跡体験 論理を持って「奇跡」を説明することは出来なくても、絵画の世界の中でならそれは可能になるからです。 劇的な表現の追求 それはやがて古典主義の特徴である、「穏やかさ」や「荘厳さ」、「静けさ」や「バランスの重視」に対して、より「魂の根源」に迫る表現に至りました。 ミケランジェ ...

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-日本建築史