2026年1月2日
日本建築-飛鳥・奈良(寺院)
時代背景 仏教の伝来 六世紀半ば頃、仏教が百済から日本に伝来*しました。その教えが持ち込まれると同時に、それを体現する場として寺院建築が必要になり、それに由来して仏教建築の新技術が持ち込まれます。 聖明(百済の王子)は、日本の皇室との外交関係を深めるために、日本に渡来し仏教を伝えたとされています。 仏教を受け入れるか、拒否するか ただ、仏教は満場一致で受け入れられた訳ではありませんでした。いわゆる、「排仏派」と「崇仏派」に分かれます。 国際情勢に明るい蘇我氏は賛成 主に「崇仏」を主張したのは、渡来人勢力と ...
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2026年1月2日
日本建築-禅宗様
時代背景 禅宗の伝来 12世紀末、栄西によって日本に禅宗がにもたらされました。禅宗では、これまでの仏教とは教義や儀式も異なるため、僧の生活や建築も変化していきます。 禅宗:仏教の教えを直接実践することで、真実を見出すことを目指します。基本的な修行としては、座禅が挙げられます。 14世紀頃までには、確固たる地位を築き上げることに成功しました。その背景には、得宗政権*や室町幕府が、既存の権門体制に代わる宗教勢力として、禅宗寺院に焦点が当てられたということがあります。得宗政権や室町幕府の支援を得て、禅宗は広く普 ...
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2026年1月2日
西洋建築-デ・ステイル
背景 第一次世界大戦後 第一次世界大戦後、各国の経済は混乱し、人々の価値観や生活様式も変化しました。ストライキやデモなども行われるようになり、社会変革が急務となります。これは戦争に参加しなかったオランダにおいても例外ではありませんでした。 オランダは、中立を守ることによって国内の平和を維持しようとしました。しかし周辺諸国の経済的混乱や政治的変化の影響を受けないわけには行かず、大量の難民や貧困層、失業者などを抱え、経済的・社会的な不安定さが続きます。そんな中、社会主義的な政策や労働者の権利擁護が唱えられるの ...
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2026年1月2日
西洋建築-ビザンティン
背景 首都『コンスタンティノポリス』の誕生 330年、コンスタンティヌス大帝は、ローマ帝国の首都をギリシャの都市ビザンティウムに遷都します。その後、この都市はコンスタンティノポリスと名を改めました。 ビザンティウムに遷都したのは、ローマ帝国が内部の政治的・経済的・軍事的な問題や外敵の侵攻に直面していたためです。東方からの侵攻に備えるために、軍事上の要地でもあったこの地が選ばれました。 西洋社会の東西分裂 395年には、帝国は東西に分裂。ローマを首都とする西ローマ帝国、コンスタンティノポリスを首都とする東ロ ...
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2026年1月2日
西洋建築-イタリア・バロック
背景 行き過ぎた人間中心主義 ルネサンス文化を特色付けたものは人間性の再発見でした。そして、この人間性の範は古代に求められます。それゆえ人間の有限性を前提する筈でした。しかし、ルネサンス人は人間の有限性を忘れたかのように振る舞います。それはキリスト教においてさえ例外ではありませんでした。そしてこのような情勢に対する不満こそ、やがて来る宗教改革へと繋がって行くのです。 宗教改革の勃発 宗教改革の先駆けとなったのは、マルティン・ルターです。彼は「95ヶ条の論題」を掲げ、贖罪状の販売などの不正や教皇の権威主義を ...
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前の様式
時代背景
寺院にも自営が求められる
18世紀に入る頃には、幕府や諸藩の財政は悪化し、寺社の造営を行う力を失っていました。そのため、各寺社は自らでの資金調達を迫られます。その方法として、「開帳」「勧化」など、民衆から銭を集めるための行事に力を注ぎます。
行事の集金化
「開帳」は本来、寺社の秘仏などを開扉して、人々と神仏を結縁する宗教行為でした。しかし、財政に困っていた寺院は、「開帳」を堂舎の建立や修理費用のための集金事業として活用するようになったのです。
経済力を身につけた民衆
寺院が疲弊していた一方で、民衆の方の生活はどうだったかというと、戦に駆り出されることもなければ、戦乱によって田畑が荒らされることもない、太平の時代を迎えていました。幕藩体制による支配はあったものの、民衆の生活基盤は安定し、経済的な力をつけていきます。
大衆文化の開花
かくして、民衆の生活に余裕が生まれ始めると、民衆による文化が花開くのでした。特に、「浮世絵」「歌舞伎」「浄瑠璃」「相撲」などが盛り上がりを見せました。
巡礼ブーム
そして、財政難に陥り、資金を求める寺社と、経済力を身につけ、現世利益を求める民衆の思惑が合致し、巡礼や参詣が流行しました。
実は観光目的?
この流行の背景には、もちろん現世利益を求める信仰心もありましたが、実は観光を目的としていたとも考えられています。民衆の移動が制限されていた江戸時代では、民衆が旅行の許可を得ることは容易ではありませんでしたが、寺社の巡礼や参詣を理由にすれば、通行手形の許可がおりやすかったのです。
造形
民衆から資金を集めるには、民衆向けのアプローチが必要で、特に分かりやすい装飾表現が求められました。たとえば、「派手な装飾」「参拝空間の充実」などが挙げられます。
大瀧神社
対象が僧侶から参拝客に変わったことで、観光的な建築が多く作られました。
新勝寺三重塔
この三重塔は、見上げることを意識して作られています。垂木に変えて板軒を使い、その表面には彫刻が施されました。なおかつ、鮮やか色彩で塗り上げられました。
歓喜院聖天堂
構造部材(柱・長押など)には自問彫が施され、木口には「獅子」「麒麟」「猿」「波」などの彫刻が施されています。
妙義神社本殿
深い光沢を放つ漆で壁面が仕上げられ、その上に図様がはめ込まれています。
専修寺如来堂
外に面した建具には、「格子」「障子」などを用いて、明るい空間としました。また、立登せ柱によって、背の高い空間が作り上げられました。
大神山神社奥宮
明るさ・高さは、参拝客の受けを狙ったものなので、参拝空間に工夫が集中しています。
また集客のために、遊興的な寺社も増えていきます。
善光寺
胎内潜り
笠森寺観音堂
四方懸造
負担を減らす工夫
巡礼ブームの反面、民衆にとっては経済的にも時間的にも負担が大きいものでした。そこで、建物だけでなく、機能的な面での工夫も施されます。現地の霊場に訪れるのが困難な人のために、近場に模したミニ霊場が作られたりもしました。
旧正宗寺三匝堂
一つの建物を参詣することで、百ヶ所の札所を廻ったことと同等の価値を持つ「三匝堂」
旧正宗寺三匝堂
参拝客が登り降りするための、二重の螺旋階段が設けられました。これによって、昇る人と降りる人が交差しないようになっています。
参考文献
日本建築史講義|著.海野聡|学芸出版社
建物が語る日本の歴史|著.海野聡|吉川弘文館
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
日本建築様式史|監修・太田博太郎|美術出版社
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西洋建築史年表
日本建築史年表
2026年1月2日
西洋絵画−フランス・ロココ
舞台 フランス 絵画史の中でも、特にロココは時代区分の難しい様式です。そもそもロココとバロックの区分を認めない説もあります。そのため当ブログでは、ロココの特徴が最も顕著に現れている、フランスで展開されたロココのみを取り扱います。 背景 絶対王政に陰りが見え始める 「太陽王ルイ14世」は、神から与えられた王権の行使者としての役割を演じることの出来た「最後の王」でした。 それというのも、1715年に彼が他界すると、その絶対王政にも陰りが見え始め、「貴族等の側近勢力が台頭」して来たからです。 太陽王からの開放 ...
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2026年1月2日
2026年1月2日
西洋絵画−フランス・バロック
舞台 フランス 太陽王ルイ14世が主権権を握る「絶対王政期」のフランスもまた、芸術の舞台となりました。自国の土壌で独自の様式を形成して行きます。 背景 フランスへ輸入 イタリア起源のバロックは、国境を超えてフランスにも広がりました。 伝統を守るフランス しかしフランスでのバロックは、主に前時代様式の否定として展開されて来た各地のバロックと異なり、「古典主義」的な傾向を保ちます。 それというのも、古典尊重のルイ王朝は「古代ローマを美術の範」としたからです。 王立アカデミーの設立 また、王立アカデミーの存在に ...
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2026年1月2日
西洋絵画−印象派
舞台 フランス フランス美術は西洋絵画史の主要舞台の座を確立しました。イギリス風景画の伝統もスペイン画家ゴヤの系譜もフランスに吸収され、オランダ画家ゴッホもこの地での修行を得て覚醒しました。 背景 印象派展の開催 1874年、モネ・ルノワール・セザンヌ・ドガ・ピサロらによって、展覧会が開かれました。 彼らの作品に共通して見られる「スケッチ的な作風」から、この展覧会に集まった彼らは総称して、「印象派」と命名されることになります。 多様性に満ちた印象派グループ しかし実際のところ、彼らには明確な意味での共有さ ...
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2026年1月2日
西洋絵画−ロマン主義
舞台 フランス 革命期から王政復古期にかけてのフランス。新古典主義が絵画の主導権を握っていた一方で、その「静的で厳粛な様式」は、人の心を真に動かす力に欠けていました。そんな中、絵画に再び「動き」を取り戻そうという流れが形成されます。 背景 ヨーロッパ各国の独立意識 「フランス革命」・「ナポレオンの侵略」という二つの事件をきっかけに、各国は「自我」に目覚めます。 古代ローマという西欧各国における「共通の祖先」から、「自国の歴史」・「風土」へと関心が移ったのです。 プロパガンダとしての絵画 ナポレオンの第一帝 ...
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