2026年9月30日
日本建築-縄文・弥生
時代背景 移動生活 縄文時代は、狩猟・採集の社会です。季節ごとに、動物の移動や植生の変化を追いかけながら、河川の周辺や台地の縁辺部で食べ物を獲得し生活していました。 農耕によって定住が可能に 弥生時代に入り、水稲農耕が広まっていくと、移動生活(狩猟・採集)から定住生活(農耕)へと変化しました。この変化による建築的な変化は、たとえば、場所選びに現れます。これまでは水被害を避けて、台地や丘陵が選ばれていたのに対し、水田に水を引くために水の便が良い場所が好まれるようになったのです。 貧富の差が生まれる 農耕文化 ...
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2026年9月30日
西洋建築-イタリア・ルネサンス
前の様式 舞台 イタリア・ルネサンスの舞台は、市民階級がいち早く台頭したイタリアの商業都市「フィレンツェ」です。 時代背景 イタリアは、中世において商業や金融の中心地として栄え、豊かな都市国家へと発展しました。このような繁栄の中で、芸術家や学者が集まり、文化的な交流が盛んに行われるようになります。また、イタリアでは古代ローマや古代ギリシャの文化が受け継がれていましたが、ルネサンス期において、これはキリスト教中心の中世思想に対する反発という形をとって現れました。 キリスト教世界のほころび 中世ヨーロッパ社会 ...
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2026年9月30日
西洋建築-古代ギリシャ
時代背景 ドリス人の侵略 紀元前1100年頃、北方から南下してきたドリス人によって、先住のイオニア人やアルカディア人などが駆逐されました。 ポリスの形成 その後、紀元前800年頃には、村落を中心とした小さな都市国家ポリス*が形成され始めます。 ポリス:一定の地域に住む人々が、政治的・社会的な共同体を形成し、共同で自らの生活を統制する政治組織のことです。 しかし、あくまでもこの都市国家は、単に人々が集まり住んだものに過ぎず、都市として整備されたものではありませんでした。 古代民主政の誕生 ポリスは当初、農業 ...
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2026年9月30日
日本建築-禅宗様
時代背景 禅宗の伝来 12世紀末、栄西によって日本に禅宗がにもたらされました。禅宗では、これまでの仏教とは教義や儀式も異なるため、僧の生活や建築も変化していきます。 禅宗:仏教の教えを直接実践することで、真実を見出すことを目指します。基本的な修行としては、座禅が挙げられます。 14世紀頃までには、確固たる地位を築き上げることに成功しました。その背景には、得宗政権*や室町幕府が、既存の権門体制に代わる宗教勢力として、禅宗寺院に焦点が当てられたということがあります。得宗政権や室町幕府の支援を得て、禅宗は広く普 ...
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2026年9月30日
日本建築-飛鳥・奈良(寺院)
時代背景 仏教の伝来 六世紀半ば頃、仏教が百済から日本に伝来*しました。その教えが持ち込まれると同時に、それを体現する場として寺院建築が必要になり、それに由来して仏教建築の新技術が持ち込まれます。 聖明(百済の王子)は、日本の皇室との外交関係を深めるために、日本に渡来し仏教を伝えたとされています。 仏教を受け入れるか、拒否するか ただ、仏教は満場一致で受け入れられた訳ではありませんでした。いわゆる、「排仏派」と「崇仏派」に分かれます。 国際情勢に明るい蘇我氏は賛成 主に「崇仏」を主張したのは、渡来人勢力と ...
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前の様式
時代背景
寺院にも自営が求められる
18世紀に入る頃には、幕府や諸藩の財政は悪化し、寺社の造営を行う力を失っていました。そのため、各寺社は自らでの資金調達を迫られます。その方法として、「開帳」「勧化」など、民衆から銭を集めるための行事に力を注ぎます。
行事の集金化
「開帳」は本来、寺社の秘仏などを開扉して、人々と神仏を結縁する宗教行為でした。しかし、財政に困っていた寺院は、「開帳」を堂舎の建立や修理費用のための集金事業として活用するようになったのです。
経済力を身につけた民衆
寺院が疲弊していた一方で、民衆の方の生活はどうだったかというと、戦に駆り出されることもなければ、戦乱によって田畑が荒らされることもない、太平の時代を迎えていました。幕藩体制による支配はあったものの、民衆の生活基盤は安定し、経済的な力をつけていきます。
大衆文化の開花
かくして、民衆の生活に余裕が生まれ始めると、民衆による文化が花開くのでした。特に、「浮世絵」「歌舞伎」「浄瑠璃」「相撲」などが盛り上がりを見せました。
巡礼ブーム
そして、財政難に陥り、資金を求める寺社と、経済力を身につけ、現世利益を求める民衆の思惑が合致し、巡礼や参詣が流行しました。
実は観光目的?
この流行の背景には、もちろん現世利益を求める信仰心もありましたが、実は観光を目的としていたとも考えられています。民衆の移動が制限されていた江戸時代では、民衆が旅行の許可を得ることは容易ではありませんでしたが、寺社の巡礼や参詣を理由にすれば、通行手形の許可がおりやすかったのです。
造形
民衆から資金を集めるには、民衆向けのアプローチが必要で、特に分かりやすい装飾表現が求められました。たとえば、「派手な装飾」「参拝空間の充実」などが挙げられます。
大瀧神社
対象が僧侶から参拝客に変わったことで、観光的な建築が多く作られました。
新勝寺三重塔
この三重塔は、見上げることを意識して作られています。垂木に変えて板軒を使い、その表面には彫刻が施されました。なおかつ、鮮やか色彩で塗り上げられました。
歓喜院聖天堂
構造部材(柱・長押など)には自問彫が施され、木口には「獅子」「麒麟」「猿」「波」などの彫刻が施されています。
妙義神社本殿
深い光沢を放つ漆で壁面が仕上げられ、その上に図様がはめ込まれています。
専修寺如来堂
外に面した建具には、「格子」「障子」などを用いて、明るい空間としました。また、立登せ柱によって、背の高い空間が作り上げられました。
大神山神社奥宮
明るさ・高さは、参拝客の受けを狙ったものなので、参拝空間に工夫が集中しています。
また集客のために、遊興的な寺社も増えていきます。
善光寺
胎内潜り
笠森寺観音堂
四方懸造
負担を減らす工夫
巡礼ブームの反面、民衆にとっては経済的にも時間的にも負担が大きいものでした。そこで、建物だけでなく、機能的な面での工夫も施されます。現地の霊場に訪れるのが困難な人のために、近場に模したミニ霊場が作られたりもしました。
旧正宗寺三匝堂
一つの建物を参詣することで、百ヶ所の札所を廻ったことと同等の価値を持つ「三匝堂」
旧正宗寺三匝堂
参拝客が登り降りするための、二重の螺旋階段が設けられました。これによって、昇る人と降りる人が交差しないようになっています。
参考文献
日本建築史講義|著.海野聡|学芸出版社
建物が語る日本の歴史|著.海野聡|吉川弘文館
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
日本建築様式史|監修・太田博太郎|美術出版社
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西洋建築史年表
日本建築史年表
2026年9月30日
西洋絵画−フランス・ロココ
舞台 フランス 絵画史の中でも、特にロココは時代区分の難しい様式です。そもそもロココとバロックの区分を認めない説もあります。そのため当ブログでは、ロココの特徴が最も顕著に現れている、フランスで展開されたロココのみを取り扱います。 背景 絶対王政に陰りが見え始める 「太陽王ルイ14世」は、神から与えられた王権の行使者としての役割を演じることの出来た「最後の王」でした。 それというのも、1715年に彼が他界すると、その絶対王政にも陰りが見え始め、「貴族等の側近勢力が台頭」して来たからです。 太陽王からの開放 ...
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2026年9月30日
西洋絵画−クールベ=マネ
舞台 フランス 第二帝政期、パリの都市改革を始め、社会構造の大きな転換があったフランス。都会人の新しい生活様式などが誕生しました。 背景 産業革命・資本主義の時代 19世紀後半、いよいよ「産業革命」の成果が浸透し始め、かつ「資本主義」の波風が立ち始めました。 近代への突入 「科学技術の飛躍的な進歩」・「都市部への人口集中」・「階級対立の激化」・「西欧の世界進出に伴う異文化交流」などが、人々の日常生活に大きな影響を与えます。 近代絵画の始まり 絵画においては、クールベやマネといった近代絵画の創始者によって、 ...
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2026年9月30日
西洋絵画−盛期ルネサンス
舞台 ローマ 1492年、芸術文化を支えたロレンツォ・デ・メディチの没後、「フィレンツェ」は、ドメニコ会修道僧サヴォナローラの支配下に置かれ、やや停滞期を迎えます。その一方で、ユリウス二世に代表される辣腕の教皇の下で、「ローマ」は活気を取り戻しました。かくして、ルネサンスの舞台は「フィレンツェからローマへ」移ります。 背景 巨匠の時代 15世紀末から16世紀初頭にかけてのおよそ30年間、一般には盛期ルネサンスと呼ばれます。この時代は、「巨匠の時代」でした。 古代や自然の超克 彼らは自らの才能を自覚し、「古 ...
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2026年9月30日
西洋絵画−ドイツ表現主義
著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 ドイツ これまでフランスに押され気味であまり活躍の場がなかったドイツでしたが、遂に自国を始点とする芸術運動の波風が立ち始めます。というのも、「近代化」を急激に進めて行ったドイツでは、それだけ社会に対する不満も生まれやすく、「苦しみを表現する画家」たちを産むには最適な土壌だったか ...
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2026年9月30日
西洋絵画−印象派
舞台 フランス フランス美術は西洋絵画史の主要舞台の座を確立しました。イギリス風景画の伝統もスペイン画家ゴヤの系譜もフランスに吸収され、オランダ画家ゴッホもこの地での修行を得て覚醒しました。 背景 印象派展の開催 1874年、モネ・ルノワール・セザンヌ・ドガ・ピサロらによって、展覧会が開かれました。 彼らの作品に共通して見られる「スケッチ的な作風」から、この展覧会に集まった彼らは総称して、「印象派」と命名されることになります。 多様性に満ちた印象派グループ しかし実際のところ、彼らには明確な意味での共有さ ...
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