西洋建築-インターナショナル・スタイル

2025年10月3日

西洋建築-アール・ヌーヴォー

背景 新様式の準備 19世紀末、産業革命によって工業製品の生産が増え、大量生産や機械化が進む中で、人々の間に単調で機械的なデザインに対する反発が生まれていました。その代表格がアーツ・アンド・クラフツ運動です。彼らは手作りを重視することによって、自然の美しさや個性の再評価を図りました。 アーツ・アンド・クラフツはこの記事で解説 》建築-アーツ・アンド・クラフツ アーツ・アンド・クラフツ運動は、その理念こそ前進的であったものの、しかし中世主義という性格から、近代化と言える段階にまでは至れませんでした。その代わ ...

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2025年10月3日

日本建築史年表

縄文・弥生|日本の先史時代を通じて、人々は竪穴住居で生活し、何棟か集まって集落を形成していました 竪穴住居 高床式倉庫 飛鳥・奈良(寺院)|7世紀後半に入ると、遣唐使が頻繁に派遣され、唐の建築様式が導入されました 法隆寺 薬師寺 飛鳥・奈良(神社)|仏教建築の対抗馬として、神社建築も台頭して来ました 唯一神明造 大社造 住吉造 神仏習合|神社と寺院が結ばれることによって、新たな形式が生み出されました 日吉大社 密教|山岳信仰と結びつき、山林に寺院が建てられました 三仏寺投入堂 空海 最澄 浄土教|極楽浄土 ...

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2025年10月3日

西洋建築-古代ローマ

時代背景 小さな村落から始まったローマ市 紀元前753年に誕生したローマ市は、最初こそ小さな村落に過ぎませんでした。 ヨーロッパ全域へ領土を拡大 しかし、紀元前5世紀末までにはエトルリア*などの周辺都市国家を、紀元前3世紀中頃までには南イタリアのギリシャ植民都市を支配下に置き、紀元前1世紀末には地中海沿岸全域をほぼを手中に治めます。 エトルリア:古代イタリア半島に存在した文明です。紀元前8世紀から紀元前3世紀にかけて栄えました。 異国文化を吸収 領土の拡大は、エトルリア文化や植民都市経由での古代ギリシャ文 ...

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2025年10月3日

日本建築-霊廟

時代背景 真の武家政治 室町幕府は、足利氏による武士の政権であるとはいいつつも、京に拠点を置き、貴族趣味的な文化の中で生きながらえ*てきました。貴族や寺院を保護し、彼らからの支援を受けることによって政権の基盤を固めていたのです。 ただ、戦国時代においては、戦国大名や戦国武将たちの興隆を支援することにも取り組んでいました。このことから、戦国大名たちとの関係性を軽視していたわけではないということが伺えます。 その一方で、江戸幕府は京から遠く離れた地に拠点を築き、武士階級が中心となる社会制度*を整備しました。武 ...

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2025年10月3日

西洋建築-フランス・新古典主義

背景 ヨーロッパ随一の絶対主義国家 フランスは17世紀後半、ルイ14世の時代を持って王権が頂点に達し、ヨーロッパ随一の絶対主義国家に成長しました。ルイ14世は絶対王政下で全権を握り、貴族や教会、一般市民にも厳しい統制を加えます。そして中央集権的な行政組織を整備し、強大な軍事力を築きました。 しかしその一方で、ルイ14世の統治による莫大な財政負担や、貴族・教会の排除などに対する不満は蓄積していきます。 ルイ14世亡き後は、ルイ15世が即位し、専制政治を引き継ぎましたが、この時にはすでに王権の権威は低下してお ...

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前の様式

背景

近代芸術の到達点

アーツ・アンド・クラフツ運動*から始まった近代芸術運動は、当初は手工業に重点を置きながらも、デ・ステイル*やドイツ工作連盟*などを経て、機能主義にたどりつきました。

アーツ・アンド・クラフツ運動:機械生産による大量生産と標準化が進む一方で、一つ一つの製品としての質は悪化してしまいます。これに対し、手仕事や伝統工芸品を再評価することによって、製品の質を向上させることを目的としました。

デ・ステイル:芸術によって人々の生活環境を改善しようとした点はアーツ・アンド・クラフツ運動と同様ですが、デ・ステイルの場合、美的な要素だけでなく、機能性や実用性を追求することで、生産性や効率性を高めることを目的としました。

ドイツ工作連盟:これまでの芸術運動は機械産業に否定的でしたが、ドイツ工作連盟ではむしろ、産業デザインの中に芸術的な要素を取り入れて、製品の質向上を図りました。

そして1919年には、ドイツ・ヴァイマルで国立バウハウス美術学校*が設立され、合理性と機能性を重視し、無駄を省いたシンプルかつ洗練されたデザインが教育プログラムとして採用されました。かくして、機能性と美的価値の両立というモダニズム建築の思想が確立されていくのです。

バウハウス:ヴァルター・グロピウスが、「芸術と工芸は一体である」という理念を掲げて設立した学校。芸術家・デザイナー・工業家・技術者・建築家などが共同で学ぶことで、新しい時代に必要なデザインを生み出すことを目指しました。

モダニズム建築による合理的かつ機能的な設計原理は、やがて国境を超えて共通の価値観となります。また、コンクリートや鋼鉄などの近代的な材料の使用も、現代社会においては必要な要素の一つであり、これらを備えたモダニズム建築は国際的な建築様式として認知されていくのです。

そしてそれはグロピウスの理念「合理的な建築は国際的な普遍性を持つ」から由来して、インターナショナル・スタイル〈国際様式〉と命名されました。

特徴

機能主義の理念

近代工業技術の発達と普及、「事物が形そのものに先行する」という「機能主義」の理念は、建築に全世界に共通する普遍性をもたらすと期待されました。

画一性

「単純な箱型」・「大きなガラス窓」・「無装飾の壁面」を主な特徴とします。ただ、このスタイルは近代建築の普及に一役買った一方で、「画一的なデザイン」を世界各地に広めてしまったという一面もありました。

造形・表現

インターナショナル・スタイルのデザインは、「近代的な材料」及び「構造形式」から導かれる、「構法的合理性」に裏付けられていました。そのため、「鉄」・「コンクリート」・「ガラス」といった、近代の「工業製品」の使用と、「柱梁構造」の採用が前提になります。反対に、縦長の窓しか開けられない「厚い耐力壁」や「傾斜屋根」は、「非合理的」なものとして忌避されました。また、抽象主義的な観点から「装飾」も否定されます。かくして、「単純な箱型」を基本とする、「平滑」かつ「白く塗られた無装飾の壁」・「連続する窓」が定式化されたのです。

垂直・水平の構成や、単純な陸屋根

バウハウス校舎|W・グロピウス

彼らの規範となったのは、グロピウスです。「装飾を排除」し、かつ「抽象的な表現」を行いました。「ガラス」や「鉄」などの近代的な材料が、大胆に用いられています。

平板を駆使した構成

バルセロナ・パヴィリオン|ミース・ファン・デル・ローエ

この建物では、「平板」による要素的な「構成」と、「流動的な空間」が「統合」されています。

土地に限定されない様式

サヴォア邸|ル・コルビュジェ

「柱梁構造」による「単純な箱」・「ピロティ」・「水平連続窓」・「屋上テラス」など、コルビジュエの思想が最大限具現されたこの傑作は、インターナショナル・スタイル住宅の「お手本」となりました。

参考文献

西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会

建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会

西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社

美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社

西洋建築史年表

日本建築史年表

2025年10月3日

西洋絵画−マニエリスム

舞台 国際的な展開 イタリアに端を発したマニエリスムは、16世紀後半には国際的な広がりを見せます。 背景 反宗教改革に乗り出す カトリック教会が「反宗教改革」に乗り出す時代、「神秘的な表現」が求められるようになります。 絵画による奇跡体験 論理を持って「奇跡」を説明することは出来なくても、絵画の世界の中でならそれは可能になるからです。 劇的な表現の追求 それはやがて古典主義の特徴である、「穏やかさ」や「荘厳さ」、「静けさ」や「バランスの重視」に対して、より「魂の根源」に迫る表現に至りました。 ミケランジェ ...

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2025年10月3日

西洋絵画−フランス象徴主義

印象派に並行して、象徴主義が発展 舞台 フランス 象徴主義は各国において多様な発展を遂げました。中でも大きな影響を与えたのは、フランスにおいて展開された象徴主義です。 背景 もう一つの芸術運動 19世紀後半、印象派が盛り上がりを見せていたその頃、並行して別の流れが形成されていました。 商業化する芸術 先導したのは、「科学」と「機械万能」という時代における「実利的なブルジョア精神」や、「芸術の卑俗化」に嫌気がさした画家たちです。 人間の内面を描く 彼らは、人間存在とその運命に関する「深い苦悩」・「精神性への ...

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2025年10月3日

西洋絵画−後期印象派

一般に、スーラ・セザンヌ・ゴーギャン・ゴッホの四天王を総称して後期印象派と呼ぶことが多いです。しかし、当ブログでは個人的な趣きもあって、新印象主義(スーラ)・セザンヌ・後期印象派(その他の画家)という風に細分化しています。 舞台 フランス 印象派に続き、フランスが芸術の中心地として君臨しています。 背景 時代背景は主に新印象主義と同じです。 印象派の乗り越え 時代の寵児であった印象派も、1886年には最後の展覧会を迎え、いよいよ批判と反省の対象として乗り越えられる存在になります。 物の形を犠牲にした印象派 ...

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2025年10月3日

西洋絵画−ドイツ表現主義

著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 ドイツ これまでフランスに押され気味であまり活躍の場がなかったドイツでしたが、遂に自国を始点とする芸術運動の波風が立ち始めます。というのも、「近代化」を急激に進めて行ったドイツでは、それだけ社会に対する不満も生まれやすく、「苦しみを表現する画家」たちを産むには最適な土壌だったか ...

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2025年10月3日

西洋絵画−新印象主義

舞台 フランス 印象派に続き、フランスが芸術の中心地として君臨しています。 背景 印象派の乗り越え 時代の寵児であった印象派も、1886年には最後の展覧会を迎え、いよいよ批判と反省の対象として乗り越えられる存在になります。 物の形を犠牲にした印象派 「分析的な手法」を得意とした印象派は、物の「形態感」や「存在感」を失ってしまうという欠点を抱えていました。 新たな活路 印象派の色彩理論に共感しつつもこの弊害を重く見た後代の画家たちは、ここに新たな活路を見出します。 特徴と画家 求めすぎた理想 印象派は「光の ...

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-西洋建築史