2025年8月19日
日本建築-室町
時代背景 南北朝時代 鎌倉幕府による長期政権は、200年以上に渡りました。しかし14世紀に入ると、幕府内部に対立が生じるようになります。そして1333年、後醍醐天皇が幕府に反旗を翻して、建武政権を開きました。 建武政権:後醍醐天皇の直轄支配下にある新たな政治体制。天皇としての権威を回復し、幕府を打倒することを目的としました。 建武政権の初代天皇となったのは、後醍醐天皇の皇子である光明天皇です。しかし鎌倉幕府の滅亡を実現できぬまま、建武政権は1348年に崩壊します。そして、建武政権崩壊後に成立した北朝には、 ...
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2025年8月19日
西洋建築-ロココ
背景 ルイ14世と貴族 ルイ14世は、フランスの絶対王政期において、貴族たちを自身の権力の下に統制しようと努めました。彼は貴族たちに対して、彼らが持つ領地や特権を管理する役割を与え、その責任を負わせます。また、貴族たちに対して軍隊への奉仕も求めました。しかし、貴族たちが軍隊に奉仕することを嫌がったため、ルイ14世は貴族たちを厳しく取り締まることを余儀なくされました。 宮廷文化 宮廷文化を重んじていたルイ14世は、貴族たちを宮廷に招待して自分の側に置くことで、自身の権力強化を図ります。宮廷に招待された貴族た ...
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2025年8月19日
日本建築-近世寺院
時代背景 破壊の時代 戦国期は読んで字の如く「波乱の時代」でした。戦国大名たちによって繰り広げられる戦火の中で、多くの建物は失われて行きます。そのためこの時代は、新たな建築の生産というよりも、建築の破壊の時代でした。 渦中の寺院 幸か不幸か、当時の寺院も僧兵を構えるなど大名に比肩する勢力を誇っていたため、この争いの渦中に巻き込まれます。たとえば、延暦寺は信長の焼き討ちによって多くの建物が失われ、壊滅状態となりました。また東大寺は、松永久秀や三好三人衆らによる戦闘で戦火を被りました。 復興の時代 しかし16 ...
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2025年8月19日
西洋建築史年表
古代ギリシャ|西洋建築の精神は、古代ギリシャを範とするところから始まります。その意味で、西洋建築史の出発点に相応しいと言えるでしょう パルテノン神殿 古代ローマ|「栄光の都」ローマ帝国という舞台は、古代ギリシャ建築とキリスト教建築の架け橋となりました コロッセウム闘技場 初期キリスト|西洋建築の代名詞、「教会建築」はここから始まります バシリカ式 集中堂式 ビザンティン|政治的な東西分裂は、建築様式にも影響を及ぼしました ハギア・ソフィア ロマネスク|別名「地方様式」とも言われるロマネスクは、各地の風土に ...
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2025年8月19日
西洋建築-イタリア・バロック
背景 行き過ぎた人間中心主義 ルネサンス文化を特色付けたものは人間性の再発見でした。そして、この人間性の範は古代に求められます。それゆえ人間の有限性を前提する筈でした。しかし、ルネサンス人は人間の有限性を忘れたかのように振る舞います。それはキリスト教においてさえ例外ではありませんでした。そしてこのような情勢に対する不満こそ、やがて来る宗教改革へと繋がって行くのです。 宗教改革の勃発 宗教改革の先駆けとなったのは、マルティン・ルターです。彼は「95ヶ条の論題」を掲げ、贖罪状の販売などの不正や教皇の権威主義を ...
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前の様式
背景
ヨーロッパ随一の絶対主義国家
フランスは17世紀後半、ルイ14世の時代を持って王権が頂点に達し、ヨーロッパ随一の絶対主義国家に成長しました。ルイ14世は絶対王政下で全権を握り、貴族や教会、一般市民にも厳しい統制を加えます。そして中央集権的な行政組織を整備し、強大な軍事力を築きました。
しかしその一方で、ルイ14世の統治による莫大な財政負担や、貴族・教会の排除などに対する不満は蓄積していきます。
ルイ14世亡き後は、ルイ15世が即位し、専制政治を引き継ぎましたが、この時にはすでに王権の権威は低下しており、貴族や官僚などの富裕層との対立は深まっていく一方でした。そのためルイ15世は、貴族や教会などの既得権益層に手厚い保護を与え、関係が良好に行くように図りつつ、王権の強化に励みます。しかし、彼の贅沢三昧な生活や戦争に多大な費用をかけたことから国財が逼迫し、深刻な財政問題を起こしました。
ルイ15世の死後は、ルイ16世が後を継ぎましたが、財政状況は悪化の一途をたどり、国家予算の大半が軍事費や王室の贅沢な生活費に充てられるなど、無駄遣いが横行するのでした。この独裁的な政治体制は、貧しい生活を強いられていた市民階級の反感を買いました。そして1789年、市民階級による反乱「フランス革命」が起こるのです。これによって王政が崩壊し、新たな政治体制が確立されました。
新体制が理念に掲げたのは、啓蒙思想・民主主義・自由主義です。その根拠となったのは、古典主義でした。古代ギリシャ・ローマ文化の復興を通じて、民主主義の理念を表現したのです。
特徴
着色ありきの古典主義
古典主義はおおよそ爛熟状態にまで行き着いたものの、真に古代の意思を継いだといえるものは未だありませんでした。ルネサンスやバロックも、手法においては古典的であるものの、それぞれに何らかの着色がある点は否めなかったからです。
考古学に基づいた、古典の新解釈
そこで、かつての古典主義のように本質が見失われた形での古典ではなく、より正確・忠実・厳密な古典を復興させるという需要が生まれました。この背景には、古典考古学の急速な進歩が挙げられます。
見落とされた古代ギリシャ
また、この時点での古典はあくまでも古代ローマに準拠しており、古代ギリシャにまでその知見は及んでいませんでした。ここに、古代ギリシャの再生という動機と、古典考古学の急速な進歩という情勢が相まって、古典主義は新たな活路を見出したのです。
政治的な要因も加味すると、新古典主義建築は、古代ギリシャ・ローマの共和制や民主主義の建築様式を再解釈することで、民主主義の理念を表現するのに適していました。新古典主義建築は。フランス王政崩壊後の共和制にとって、自らの権威や威厳を象徴するものでもあったのです。
造形・表現
バロックからロココへと順調に時間を進めていたフランスでは、ルネサンス的な古典理論に対する批判の声が挙がり始めます。また、建築構造の合理性への関心が高まり始めたこともあり、新しい古典主義が誕生するのでした。
より厳密な古典主義
サン・シュルピス聖堂|セルヴァンドーニ
左右の厳格な構成を持つ塔などから、新古典主義的な性格が伺えます。
ギリシャ建築が脚光を浴びる
1753年、マルク=アントワーヌ・ロージエは、著書『建築試論』において、ギリシャ建築こそ建築の典型であると説きました。「柱は屋根を支える構造材であり、無駄な装飾のために用いられるべきではない」というように、合理的な面からギリシャ建築を評価するという彼の姿勢は、当時大きな反響を呼びます。また同年、J・J・ヴィンケルマンの『高貴なる単純さ』においても、ギリシャ建築がローマ建築を上回ると主張され、当時の価値観は大きく揺らぎました。
古代ギリシャ建築に代表される、オーダーの再現
ブランデンブルク門|ラングハンス
古代ギリシャ建築のオーダーが再現されるようになり、それに加えて、穏やかで抑制の効いた造形が主流になりました。
古典的な形態を、単純な幾何学態に置き換える
ショーの王立製塩所監督官館|ルドゥー
単純な幾何学的形態による壮大な空間の構想も、新古典主義の特色の一つです。単純な形態を多様に組み合わせながら、広大かつ簡潔な空間を表現しました。この背景には、新古典主義者たちが古典を突き詰めた結果、形態よりもその本質・法則に答えを見出したという面もあります。
自然への回帰
アモー|リシャール・ミーク
新古典主義には、自然への回帰の動きなども見られます。ここでは、ひなびた建物が周囲の自然に調和するように建てられています。
西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社
美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社
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西洋建築史年表
日本建築史年表
2025年8月19日
西洋絵画−ドイツ表現主義
著作権に対する配慮:当記事に掲載している模写作品の中には、著作権保護期間中のものが含まれています。そのため、「引用元(元絵)の明記」・「引用の必要性」・「画像は自前で用意すること」を徹底した上で、当記事の作成に望んでいます。 舞台 ドイツ これまでフランスに押され気味であまり活躍の場がなかったドイツでしたが、遂に自国を始点とする芸術運動の波風が立ち始めます。というのも、「近代化」を急激に進めて行ったドイツでは、それだけ社会に対する不満も生まれやすく、「苦しみを表現する画家」たちを産むには最適な土壌だったか ...
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2025年8月19日
西洋絵画−マニエリスム
舞台 国際的な展開 イタリアに端を発したマニエリスムは、16世紀後半には国際的な広がりを見せます。 背景 反宗教改革に乗り出す カトリック教会が「反宗教改革」に乗り出す時代、「神秘的な表現」が求められるようになります。 絵画による奇跡体験 論理を持って「奇跡」を説明することは出来なくても、絵画の世界の中でならそれは可能になるからです。 劇的な表現の追求 それはやがて古典主義の特徴である、「穏やかさ」や「荘厳さ」、「静けさ」や「バランスの重視」に対して、より「魂の根源」に迫る表現に至りました。 ミケランジェ ...
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2025年8月19日
西洋絵画−イタリア・バロック
舞台 イタリア 16世紀後半のイタリア、おおよそ芸術活動の低迷期に入っていました。しかし、カラヴァッジョの活躍によって、ローマで新たな盛り上がりを見せます。その後、カラヴァッジョ様式は国際的な広がりを見せました。(本記事では、イタリアに比較的近しい展開を見せたフランドル・スペインも一緒に取り上げます) 背景 宗教改革に対抗するカトリック教会 カトリック協会の免罪符を直接のきっかけに、「宗教改革」が勃発。離れていった信者の心を取り戻すため、カトリック教会は「反宗教改革」に乗り出しました。 分かり易さを武器に ...
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2025年8月19日
西洋絵画−後期印象派
一般に、スーラ・セザンヌ・ゴーギャン・ゴッホの四天王を総称して後期印象派と呼ぶことが多いです。しかし、当ブログでは個人的な趣きもあって、新印象主義(スーラ)・セザンヌ・後期印象派(その他の画家)という風に細分化しています。 舞台 フランス 印象派に続き、フランスが芸術の中心地として君臨しています。 背景 時代背景は主に新印象主義と同じです。 印象派の乗り越え 時代の寵児であった印象派も、1886年には最後の展覧会を迎え、いよいよ批判と反省の対象として乗り越えられる存在になります。 物の形を犠牲にした印象派 ...
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2025年8月19日
西洋絵画−フランス・ロココ
舞台 フランス 絵画史の中でも、特にロココは時代区分の難しい様式です。そもそもロココとバロックの区分を認めない説もあります。そのため当ブログでは、ロココの特徴が最も顕著に現れている、フランスで展開されたロココのみを取り扱います。 背景 絶対王政に陰りが見え始める 「太陽王ルイ14世」は、神から与えられた王権の行使者としての役割を演じることの出来た「最後の王」でした。 それというのも、1715年に彼が他界すると、その絶対王政にも陰りが見え始め、「貴族等の側近勢力が台頭」して来たからです。 太陽王からの開放 ...
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