2025年5月2日
西洋建築-デ・ステイル
背景 第一次世界大戦後 第一次世界大戦後、各国の経済は混乱し、人々の価値観や生活様式も変化しました。ストライキやデモなども行われるようになり、社会変革が急務となります。これは戦争に参加しなかったオランダにおいても例外ではありませんでした。 オランダは、中立を守ることによって国内の平和を維持しようとしました。しかし周辺諸国の経済的混乱や政治的変化の影響を受けないわけには行かず、大量の難民や貧困層、失業者などを抱え、経済的・社会的な不安定さが続きます。そんな中、社会主義的な政策や労働者の権利擁護が唱えられるの ...
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2025年5月2日
西洋建築-初期キリスト
背景 キリスト教の公認 キリスト教徒は当初、ローマ帝国によって迫害を受けていました。しかし313年に発布されたミラノ勅令*によって、これまでローマ帝国から弾圧を受けていたキリスト教が公認されます。 ミラノ勅令:4世紀初頭のローマ皇帝コンスタンティヌス帝によって発布された勅令で、キリスト教を公認するものでした。この勅令によって、キリスト教徒は迫害から解放され、徐々にローマ帝国内での信仰の自由が広がっていくのでした。 これによって、それまで地下に潜っていたキリスト教は、ローマ帝国の国教として華々しい役割を担う ...
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2025年5月2日
西洋建築-ゴシック・リヴァイバル
背景 啓蒙主義の台頭 17世紀から18世紀にかけてのヨーロッパでは、啓蒙主義が席感していました。啓蒙主義は、合理性や科学性を重視し、人間は理性的に考えるべきだと主張します。そのため、古典主義的な芸術や文化と相性が良く、古代ギリシャ・ローマの美学が模範となります。 しかし啓蒙主義が進展するにつれて、過度に理性を重視する考えに疑問を持つ人々が現れました。たとえば芸術においては、人間の感情や内面世界を無視して外面的な表現に囚われている節があり、また決まりきった規則や格式に基づくものが多く、個性や独創性が抑制する ...
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2025年5月2日
西洋建築-アール・ヌーヴォー
背景 新様式の準備 19世紀末、産業革命によって工業製品の生産が増え、大量生産や機械化が進む中で、人々の間に単調で機械的なデザインに対する反発が生まれていました。その代表格がアーツ・アンド・クラフツ運動です。彼らは手作りを重視することによって、自然の美しさや個性の再評価を図りました。 アーツ・アンド・クラフツはこの記事で解説 》建築-アーツ・アンド・クラフツ アーツ・アンド・クラフツ運動は、その理念こそ前進的であったものの、しかし中世主義という性格から、近代化と言える段階にまでは至れませんでした。その代わ ...
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2025年5月2日
日本建築-浄土教
時代背景 末法思想の流行 平安時代には密教が広まり、仏教の信仰はますます篤くなっていった一方で、「末法思想」というものが流行していきます。 末法思想:釈尊の教えが失われていき、正法の世界から像法の世界を経て末法になっていくという考え方で、それは釈尊入滅後1500年から始まるとされていました。 浄土への憧れ 当時の人々にとって、末法時代の到来は、ある意味「世界崩壊」を意識させるものでした。そして、現世にもう望みがないのなら、あの世での幸せを願おう、と人々は強く願うようになります。その拠り所となったのが「極楽 ...
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前の様式
背景
ヨーロッパ随一の絶対主義国家
フランスは17世紀後半、ルイ14世の時代を持って王権が頂点に達し、ヨーロッパ随一の絶対主義国家に成長しました。ルイ14世は絶対王政下で全権を握り、貴族や教会、一般市民にも厳しい統制を加えます。そして中央集権的な行政組織を整備し、強大な軍事力を築きました。
しかしその一方で、ルイ14世の統治による莫大な財政負担や、貴族・教会の排除などに対する不満は蓄積していきます。
ルイ14世亡き後は、ルイ15世が即位し、専制政治を引き継ぎましたが、この時にはすでに王権の権威は低下しており、貴族や官僚などの富裕層との対立は深まっていく一方でした。そのためルイ15世は、貴族や教会などの既得権益層に手厚い保護を与え、関係が良好に行くように図りつつ、王権の強化に励みます。しかし、彼の贅沢三昧な生活や戦争に多大な費用をかけたことから国財が逼迫し、深刻な財政問題を起こしました。
ルイ15世の死後は、ルイ16世が後を継ぎましたが、財政状況は悪化の一途をたどり、国家予算の大半が軍事費や王室の贅沢な生活費に充てられるなど、無駄遣いが横行するのでした。この独裁的な政治体制は、貧しい生活を強いられていた市民階級の反感を買いました。そして1789年、市民階級による反乱「フランス革命」が起こるのです。これによって王政が崩壊し、新たな政治体制が確立されました。
新体制が理念に掲げたのは、啓蒙思想・民主主義・自由主義です。その根拠となったのは、古典主義でした。古代ギリシャ・ローマ文化の復興を通じて、民主主義の理念を表現したのです。
特徴
着色ありきの古典主義
古典主義はおおよそ爛熟状態にまで行き着いたものの、真に古代の意思を継いだといえるものは未だありませんでした。ルネサンスやバロックも、手法においては古典的であるものの、それぞれに何らかの着色がある点は否めなかったからです。
考古学に基づいた、古典の新解釈
そこで、かつての古典主義のように本質が見失われた形での古典ではなく、より正確・忠実・厳密な古典を復興させるという需要が生まれました。この背景には、古典考古学の急速な進歩が挙げられます。
見落とされた古代ギリシャ
また、この時点での古典はあくまでも古代ローマに準拠しており、古代ギリシャにまでその知見は及んでいませんでした。ここに、古代ギリシャの再生という動機と、古典考古学の急速な進歩という情勢が相まって、古典主義は新たな活路を見出したのです。
政治的な要因も加味すると、新古典主義建築は、古代ギリシャ・ローマの共和制や民主主義の建築様式を再解釈することで、民主主義の理念を表現するのに適していました。新古典主義建築は。フランス王政崩壊後の共和制にとって、自らの権威や威厳を象徴するものでもあったのです。
造形・表現
バロックからロココへと順調に時間を進めていたフランスでは、ルネサンス的な古典理論に対する批判の声が挙がり始めます。また、建築構造の合理性への関心が高まり始めたこともあり、新しい古典主義が誕生するのでした。
より厳密な古典主義
サン・シュルピス聖堂|セルヴァンドーニ
左右の厳格な構成を持つ塔などから、新古典主義的な性格が伺えます。
ギリシャ建築が脚光を浴びる
1753年、マルク=アントワーヌ・ロージエは、著書『建築試論』において、ギリシャ建築こそ建築の典型であると説きました。「柱は屋根を支える構造材であり、無駄な装飾のために用いられるべきではない」というように、合理的な面からギリシャ建築を評価するという彼の姿勢は、当時大きな反響を呼びます。また同年、J・J・ヴィンケルマンの『高貴なる単純さ』においても、ギリシャ建築がローマ建築を上回ると主張され、当時の価値観は大きく揺らぎました。
古代ギリシャ建築に代表される、オーダーの再現
ブランデンブルク門|ラングハンス
古代ギリシャ建築のオーダーが再現されるようになり、それに加えて、穏やかで抑制の効いた造形が主流になりました。
古典的な形態を、単純な幾何学態に置き換える
ショーの王立製塩所監督官館|ルドゥー
単純な幾何学的形態による壮大な空間の構想も、新古典主義の特色の一つです。単純な形態を多様に組み合わせながら、広大かつ簡潔な空間を表現しました。この背景には、新古典主義者たちが古典を突き詰めた結果、形態よりもその本質・法則に答えを見出したという面もあります。
自然への回帰
アモー|リシャール・ミーク
新古典主義には、自然への回帰の動きなども見られます。ここでは、ひなびた建物が周囲の自然に調和するように建てられています。
西洋建築入門|著.森田慶一|東京大学出版会
建築の歴史|編.西田雅嗣・矢ケ崎善太郎|学芸出版会
西洋建築様式史|著.熊倉洋介・末永航・etc|美術出版社
美術史〈西洋〉|編・中山公男 中森義宗|近藤出版社
次の様式
西洋建築史年表
日本建築史年表
2025年5月2日
西洋絵画−オランダ・バロック
舞台 オランダ 16世紀末、「プロテスタント」勢力の強かったフランドル地方の北部にて、「スペイン領からの独立」を果たした新教国、オランダが誕生しました。 背景 イタリアからオランダへ輸入 イタリア起源のバロックは、国境を超えてオランダにも広がりました。 プロテスタントの国 オランダ共和国として独立を果たし、「東インド会社等の国際貿易」により、目覚ましい「経済発展」を遂げたオランダは、その経済力を背景にオランダ独自の「市民文化」を繁栄させていました。 「プロテスタントの国」であったオランダでは、「教会よりも ...
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2025年5月2日
西洋絵画−イタリア・バロック
舞台 イタリア 16世紀後半のイタリア、おおよそ芸術活動の低迷期に入っていました。しかし、カラヴァッジョの活躍によって、ローマで新たな盛り上がりを見せます。その後、カラヴァッジョ様式は国際的な広がりを見せました。(本記事では、イタリアに比較的近しい展開を見せたフランドル・スペインも一緒に取り上げます) 背景 宗教改革に対抗するカトリック教会 カトリック協会の免罪符を直接のきっかけに、「宗教改革」が勃発。離れていった信者の心を取り戻すため、カトリック教会は「反宗教改革」に乗り出しました。 分かり易さを武器に ...
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2025年5月2日
西洋絵画−ロマン主義
舞台 フランス 革命期から王政復古期にかけてのフランス。新古典主義が絵画の主導権を握っていた一方で、その「静的で厳粛な様式」は、人の心を真に動かす力に欠けていました。そんな中、絵画に再び「動き」を取り戻そうという流れが形成されます。 背景 ヨーロッパ各国の独立意識 「フランス革命」・「ナポレオンの侵略」という二つの事件をきっかけに、各国は「自我」に目覚めます。 古代ローマという西欧各国における「共通の祖先」から、「自国の歴史」・「風土」へと関心が移ったのです。 プロパガンダとしての絵画 ナポレオンの第一帝 ...
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2025年5月2日
西洋絵画−フランス・ロココ
舞台 フランス 絵画史の中でも、特にロココは時代区分の難しい様式です。そもそもロココとバロックの区分を認めない説もあります。そのため当ブログでは、ロココの特徴が最も顕著に現れている、フランスで展開されたロココのみを取り扱います。 背景 絶対王政に陰りが見え始める 「太陽王ルイ14世」は、神から与えられた王権の行使者としての役割を演じることの出来た「最後の王」でした。 それというのも、1715年に彼が他界すると、その絶対王政にも陰りが見え始め、「貴族等の側近勢力が台頭」して来たからです。 太陽王からの開放 ...
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2025年5月2日
西洋絵画−フランス・バロック
舞台 フランス 太陽王ルイ14世が主権権を握る「絶対王政期」のフランスもまた、芸術の舞台となりました。自国の土壌で独自の様式を形成して行きます。 背景 フランスへ輸入 イタリア起源のバロックは、国境を超えてフランスにも広がりました。 伝統を守るフランス しかしフランスでのバロックは、主に前時代様式の否定として展開されて来た各地のバロックと異なり、「古典主義」的な傾向を保ちます。 それというのも、古典尊重のルイ王朝は「古代ローマを美術の範」としたからです。 王立アカデミーの設立 また、王立アカデミーの存在に ...
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